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ずっと一緒に -6-

 夜も深くなりしんとした貳號艇の廊下に、コツコツと平門の足音が響く。艇長という地位に相応しく、普段から冷静沈着で滅多に焦ったりしない彼にしては、随分とらしくない足音だ。
 艇長室から與儀の部屋までの距離は、ドア3つ分。彼がこの艇に来てからずっと変わらない筈のその距離が、今日はなぜだかひどく遠く思えた。

 ようやく見慣れたドアに辿り着き、形だけのノックをしてドアノブに手を掛ける。逸る心を落ち着けるようにひとつ息をついてそっと力を込めると、鍵の掛かっていなかったそのドアはまるで平門が来るのを知っていたかのように迎え入れてくれた。
 既に灯りが消えていた室内に、廊下から入った光がすっとひとすじの道を作る。
 寝転んだまま空が見えるようにと窓際に置かれたベッドの上、ドアが開いたことにも気付かず眠ったままの與儀を、カーテン越しの柔らかな月明かりがそっと照らしている。

 ドアを閉め、淡い金色の明かりを頼りに平門はベッドの傍へと歩み寄った。
 うすい夏用の布団に包まってすうすうと寝ている與儀の寝顔を目にしたその瞬間、自分が纏っていた空気ががらりと変わったことに、彼はきっと気付いていないのだろう。
 仕事でトラブルに見舞われた時にだって他人には見せない、焦り、苛立ち、苦しい気持ち。與儀と過ごす時間がなくなってからずっと心の奥底で燻っていたそんな気持ちを、今日はとうとう隠しきれなかった。そのせいで硬くなっていた表情が今、心の奥底で求めていた相手の寝顔を目にしたことでふわりと綻んだのだ。ふう、と心底ほっとしたようなため息が、ひとつ平門の口から漏れた。



 先程平門が卓上カレンダーで見つけたのは、明後日から一泊の予定で入れていた出張の予定だった。
 ある大企業の代表から『火不火について心当たりがある』と連絡を受け、詳細の確認の為にその企業がある街へ。少し離れているから一泊で、補佐には與儀をと予定していた。
 そういえば先程羊が教えてくれたイヴァからの伝言とはこのことだったのかもしれない。このところなんとなくぼんやりしてしまっていたが、旅行好きでそういったことに詳しい彼女に宿の予約を頼んでおいたことを思い出す。

 ともかく、その出張を口実にして平門は與儀の部屋を訪れたのだ。羊は、與儀は寝ていると言っていたけれど、もしかしたら起きているかもしれない。そうしたら出張の詳細を打ち合わせができる。
 例え寝ていても構わない、寝顔をひと目だけでも見られれば、それで。



「……與儀」

 彼には聞こえない程度の声で名前を呼び、そっと髪に触れる。
 撫でるように少し手を動かすだけでするりと指の間を通り抜けてゆく、ふわりとやわらかな金の髪。その感触を手放せなくて、平門は二度、三度と金の髪を撫でた。彼を起こしてしまわないように、そっと。

「ん……」

 静かに寝息を立てていた與儀が、ふと小さな声を上げて身じろいだ。起こしてしまったかとどきりとした平門が手を止める。與儀の瞼が瞬きをするようにぴくりと動くその一瞬、時間が止まったように思えた。
 もし彼が起きて、何故ここにいるのかと尋ねられたらどう答えよう。
 何もやましいことはないはずなのに、じわりと全身に汗が滲む。
 仰向けに眠っていた與儀が、ころんと寝返りをうち平門の方を向いた。ぴくりとも動けずにいる平門とは対照的に、もぞもぞと動いて布団から腕を出す。
 暑いのだろうか、と思ったのは一瞬だった。
 だって與儀は布団から出したその腕を、平門の方へと伸ばしてきたのだから。

「……らと、さん……」

 聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの声量だった。だから本当は何と呟いたかは聞き取れなかった。けれど、平門は自分の名前だと確信した。
 だってこれは與儀の癖だ、ほんの半年前まで、何度も何度も繰り返し見た彼の癖。
 平門が仕事に追われて與儀が一人で先に寝る時。
 夢見が悪くて起きてしまう一歩手前の時。
 それから、弱っていて平門に甘えたい時。
 彼はいつもこうやって腕を伸ばし、平門の名前を呼んだのだから。

「〜〜ッ」

 我慢なんて、できる筈もなかった。そんなことはちらりとも思い浮かばなかった。
 伸ばされた腕に応えるように、ぐっと上体を倒してベッドの上のからだを抱きとめる。與儀の金色の髪が頬を擽り、その懐かしい感覚に目を瞑った。ふわりと香るシャンプーのにおい、與儀のにおい。一日たりとも忘れたことはない、與儀のぬくもり。

「……ひらと、さん……」

 先程よりも少しはっきりした声でもう一度名を呼ばれる。腕の中でもぞもぞと身じろいだ與儀が、甘えるように平門の肩に顔をうずめてきた。懐かしいその仕草に胸の奥が苦しくなる。
 大丈夫だよ、ここにいるから、そんな気持ちを込めて額にひとつキスをすると、目を覚ましてはいないようなのに、それでも嬉しそうに與儀の口がやわらかく弧を描く。それを見た平門の顔も、與儀に同じく綻んだ。
 いつも自分の名を呼んで、たくさん話をして、自分を癒してくれる與儀のくちびる。頬に手を添え、親指でそれをそっと指でなぞると、與儀は擽ったそうに平門の手に頬をすり寄せてきた。

「……與儀」

 一度は離れたふたりの距離が、また近づく。まるでキスをするときのように、平門は首を傾けた。ふたりの唇が触れるまで、あと1センチもない。静かな吐息が、どちらのものかわからなくなる。

 けれど結局、ふたりの唇が重なることはなかった。

 触れる寸前、平門は想いを断ち切るようにぐっと目を瞑って、そしてそのままそっと身体を離したのだ。與儀が風邪を引かないように、乱れてしまっていた布団を掛けてやった。
 そうして、名残惜しさを紛らわすように金の髪をひと撫でして――そのまま與儀に背を向け、自室に戻るのだった。







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20141201 新規作成
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