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ずっと一緒に -3-

 研案塔から貳號艇までの今日の距離は、ほんの数分。運良く近くを飛んでいたことに感謝しながら、與儀は夜の空を飛ぶ。
 見上げる貳號艇のむこうにはきらきらと輝くたくさんの星、足元に目を向ければちいさく見える家々の灯り。いつもなら、與儀は任務帰りの足を止めてこの夜景に目を向ける。きらめく星と暖かな灯りに、少しだけ元気を貰えるような気がするからだ。

 けれど今夜は、そのお気に入りの夜景も與儀の目には映らない。

「ちゃんと寝なさい、かぁ……」

 先程燭に言われた言葉が頭から離れなくて、僅かな余裕すらもなかったのだ。
 睡眠不足を言い当てられたことに驚いたことも勿論だけれど、『ちゃんと眠れなくなった』理由こそが最近の與儀の唯一の悩みだったから。



****

 與儀には、幼い頃の記憶がない。

 今の彼が持っている一番古い記憶は、白とオレンジ。研案塔の基調色だ。
 柔らかいオレンジのラインが入った白い壁の部屋、その窓際に置かれたベッドの上で目を覚ました時、與儀の中にはひとかけらの記憶も残っていなかった。

 起き上がろうと思っても、なんだか体にうまく力が入らない。まるで寝過ぎてしまった日の朝のようだった。そういえば今は何時なんだろうと時計を探す。けれど自分がいる見覚えのない部屋の中には、ベッド以外には何もなかった。

「……あ」

 どくん、と心臓の音が耳に響いて、全身がかたかたと震えだす。
 本能がこのシンプルすぎる部屋を全身で拒否した。
 
「っ、」

 この見知らぬ部屋でひとりぼっちでいるのがこわくてじっとしていられず、與儀は誰かを呼ぼうと息を吸った。けれど声の出し方がわからない。
 ――誰か? 誰を呼べばいいのだ。名前がひとつも思い浮かばない。焦れば焦るほどに喉の奥が狭くなって、呼吸すらもままならなくなった。

 誰か、だれでもいい、誰か来て。助けて。

 與儀の恐怖感と焦りは言葉にならなかったが、代わりに能力の解放というかたちで現れた。
 ぶわ、と病室の空気が動く。重力を無視したカーテンや掛布が宙を舞い、部屋の異変に気付いた巡回の看護師が慌てて医師を呼んだ。

 自身も宙に浮きかけたところで、與儀は駆けつけた医師によって抱きとめられた。しっかりとした、大人の腕。自分を抱きとめてくれる腕にほっとして、気が遠くなる。
 薄れてゆく意識の中、少しの違和感と一緒に朧げな記憶が與儀の脳裏にちらついた。少し前にも、知らない部屋でこうやって浮いていた自分を抱きとめてくれた『誰か』がいたこと。こわくてこわくて泣くことしかできずにいた自分を見つけてぎゅっと抱きしめてくれたあの人は、そういえばどこに行ってしまったのだろう。
 誰でもよかったはずなのに、もしかしたら自分はあの『誰か』を求めていたのかもしれないと、そう思った。



 それからしばらく、與儀にとっての世界はこの白とオレンジのシンプルな病室だった。
 毎朝決まった時間に起きて、決まった時間に届けられる食事を摂り、医師の診察を受ける。
 医師も看護師も、周りの大人は皆優しかった。相変わらず自分の名前も家族のこともどこから来たかも何ひとつ思い出せなかった與儀が、なんとか心を保てたのはそのお陰だ。

 けれどそれだってぎりぎりのところで、気を抜くと言い知れない不安に押しつぶされそうになる。あるはずの記憶が一切ないのだから、仕方ないのだけれど。こればかりは医師にも看護師にも埋めることはできず、ひとりで耐えるしかなかった。
 特に夜はそれが顕著で、ひとり布団に潜って泣くなんてことはしょっちゅうだった。当然あまり眠れなかったから、代わりに昼間うとうとしていることが多かった。
 徐々に回復していく体とは裏腹に、與儀からは元気がなくなっていった。なんだかこの部屋と同じで、世界からすべての色が抜け落ちてしまったような錯覚にすら囚われそうになってしまっていた。



 與儀の世界が広がったのは、その数ヶ月後。
 その日の朝、彼は燭医師に引っ越しを告げられていた。ここは病院のようなところだから、体調のよくなった自分はあまり長くはいないほうがいいのだそうだ。どんなところに引っ越すのかは分からなかったけれど、次は少しだけ賑やかなところがいいなと思った。白とオレンジだけじゃなくて、たくさんの色があるような。

 朝食が終わり陽が高くのぼったころに、燭に連れられたふたりの客が與儀の病室にやってきた。

「あ! お前は――」

 部屋に入って與儀を見た瞬間、赤い髪とタイが目を引く派手な印象の男が、驚いたように声を上げる。

「あ……」

 もうひとりの大人びた雰囲気の男は、眼鏡の奥の目をまるくしていた。
 彼は、燭医師と揉めるように少し話した後與儀のベッドへと歩み寄り、記憶と一緒に失くしたままだった名前を与えてくれた。

『與儀。これから君の事を、そう呼んでいいか?』

 きれいな、声だと思った。
 名前を思い出せず、だからといって他の名前で呼ばれるとますます失くした記憶から遠ざかってしまうような気がして拒んでいた、新しい名前。
 はっきりした理由なんてなかった。けれどこの声で呼ばれた新しい名は、すとんと與儀のこころに落ちていった。

 與儀がこくんと頷くと、その男――平門はほっとしたように少しだけ笑顔を見せ、髪を撫でてくれた。とても深い、吸い込まれるように深くて濃い紫の瞳に見つめられるととてもこころが落ち着いた。



 その日から、與儀の世界は白とオレンジの研案塔から、色とりどりの飾りで賑やかな空を飛ぶ大きな艇へと移った(後から聞いたところによると、飾りは與儀が貳號艇に来てから平門がどんどん増やしたそうだ)。
 研案塔とは違って、窓から見る景色はいつも違う。何よりも平門と同じ空間にいれることが嬉しかった。

 もちろん、一緒に居られるとはいってもずっと一緒に、という訳ではなかった。與儀には詳しいことはわからなかったけれど、平門は上の立場にいるようだということはなんとなくわかった。他の闘員に指示を出し、自身も任務へと赴き、自室にいる時でさえも難しい顔をして書類に向かっている。
 けれど、どんなに忙しい日でも與儀との時間をとってくれた。夜中に泣いてしまえば、必ず自分のもとにきて眠るまで傍にいてくれた。朝目が覚めた時にはもういなくなっていたが、それで十分だった。

 けれどある朝、ふと目が覚めた時に與儀は自分の手の違和感に気づく。平門が、ベッドの隣の椅子に掛け自分の手を握ったままうたた寝をしていたのだ。
 與儀は寝すぎてぼんやりした頭で記憶を辿り、眠りに落ちる寸前に口にしてしまった我儘を思い出した。

『いかないで、朝までずっと傍にいて』

 もしかして、あれでそばに居てくれたのだろうか。たったひとことの我儘を聞いてくれて、疲れているのに、椅子に座ったままで、一晩中朝まで、ずっと。
 目の奥が熱くなって視界が滲む。零れた涙が、與儀の頬を伝い落ちてシーツにしみをつくった。ぐす、と鼻をならすと平門が目を覚まし、大丈夫かと心配そうに髪を撫でてくれた。縋るように腕を伸ばすと、ぎゅっと抱いて背中を撫でてくれる。平門の体温が嬉しくて、與儀の目からいくつも大粒の涙が零れおちた。
 自分が会いたかった『誰か』は平門サンだ、と、素直にそう思った。


 よく眠れたせいか、その日は今までにないくらいに気分が晴れていた。数ヶ月分のもやもやしていたものが、すべてなくなった気がした。
 與儀の心境の変化は表情にも現れていたらしく、平門にご機嫌の理由を聞かれた。『平門サンが手繋いでてくれて、いっぱい眠れたから』と素直に答えると、平門は少しだけおどろいたように目をまるくして、そしてふわりと笑ってまた髪を撫でてくれた。
 その日から、ふたりは一緒に寝るようになった。
 與儀はぐっすり眠ることが多くなって、みるみるうちに元来の明るい性格を取り戻していった。
 そうして、数年が過ぎる。




『もうお前も大きくなったし、明日からは別々に寝ようか』
 平門からそう言われたのが、半年程前。
 大好きな兄代わりと別々に寝るのは寂しくて嫌だったけれど、我儘を言ってはいけないとぐっと我慢をしてその言葉を受け入れた。

 けれどその翌日から、與儀は、それまでのようにぐっすり眠ることができなくなった。
 この数年で心身共に成長したお陰なのか、この貳號艇に来たばかりの頃のように魘されて起きてしまうことはなかったけれど、昨日まで隣にいてくれていたはずの大好きな体温がないことが寂しくて仕方なくて、なかなか寝付けないのだ。

 任務で疲れきった日だって、ふと目を覚ましてしまうことがある。そうして、自分を抱きしめてくれる腕を探して手を伸ばしてしまう。もういくら手を伸ばしても、平門に抱きしめてもらうことはできないのに。



 大抵はそのままうとうとしながら明け方になり、起床時間が近づいてようやく眠気が来る。本当は寝ていたいけど、でも絶対に任務には支障をきたしたくないからつい睡眠時間が減ってしまうのだ。
 まだ眠たい目をこじ開けて寝ぼけながらする着替えを、羊が手伝ってくれるようになったのはいつ頃だろうか。

 ただ與儀は周りに要らぬ心配をかけないようにとそのことを表には出さないようにしていた。努力の甲斐あって今のところ平門にも誰にも睡眠不足を指摘されたことはない。それをあっさり見破ってしまうとはさすがにSSSだ。

(……眠れないんだって、燭先生に相談してみてもいいのかなぁ)

 燭に言われた通り、このままではいつか大きな失敗をしてしまいそうだということは本人が一番わかっていた。睡眠が思うように摂れないというのは、想像以上につらいものだ。現に今日のこの怪我だって、体調が万全だったら防げたかもしれない。

 燭先生は、言葉は冷たいけれど、その本質はとてもやさしい。だから平門サンも朔サンも燭先生のことが好きで信頼しているんだろうな、と思う。今度燭先生に会うときに、勇気をだして相談してみようか――そんなことをぼんやり思っていたら、いつの間にか貳號艇のすぐ近くまで辿り着いていた。







改定履歴*
20140425 新規作成
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