六十三、数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)



※画像準備中。

刀種:太刀
刀派:青江

《天下五剣》
銘:恒次 / 名物:数珠丸恒次
年代:平安時代〜鎌倉時代
刃長:二尺七寸六分(83.9cm)

重要文化財。本興寺所蔵。

200年行方不明だった聖人の守護刀

上古刀に属する年代物の太刀でありながら、所有者として名前がハッキリしているのは、日蓮宗の開祖・日蓮上人のみです。

名の由来は、日蓮上人が柄に数珠を巻いていたことから。

作刀は備中の刀工・青江恒次。
青江派は年代的に古・中・末の三期に分けられ、恒次はその中でも古青江派に分類される初期の人物。
82代・後鳥羽天皇の『御番鍛冶』に選ばれた名工です。
(※『御番鍛冶』とは
打倒鎌倉幕府のために召集された刀工の精鋭グループで、月番ごとに刀剣を制作していました。
恒次はそのうち5月の担当だったそうです。)

そんな名工の作であることから、きっと相当な斬れ味であろうと推測される太刀ですが
持ち主が僧侶であったため、目立った武勇伝は残っていません。

日蓮上人は建長五年に立宗宣言をしたのち、鎌倉を中心に布教活動を行っていましたが
幕府への布教などにより不興を買い、伊豆、佐渡への流罪に処されます。
しかし、蒙古襲来を予言したとして釈放されるや、帰還後も休むことなく布教に励んだ不屈の僧侶でした。
そんな彼に深く帰依していた甲斐波木井の地頭・南部実長は、佐渡から戻った日蓮上人へ、自身の領地であった身延山を寄進します。

日蓮上人は身延山に、日蓮宗の総本山として久遠寺を開くのですが
久遠寺ができる以前。身延山へ分け入る日蓮上人へ、山道は族に遭うこともあるからと、守り刀として贈られたのが数珠丸です。
贈り主は一般的に南部実長であるとされますが、所持した経緯については不明。
数珠丸を受け取った日蓮上人は、早速柄に数珠を巻きつけ、抜くことすらせずに専ら登山用の杖として愛用したそうです。なんてことだw

久遠寺創建の翌年。
日蓮上人が入滅すると、数珠丸は遺品として、生前使用されていた袈裟などと共に、久遠寺で大切に保管されていく、はずでした。

8代将軍・徳川吉宗の命で編纂された『享保名物帳』にも
『法主大上人之御太刀成ト云』と、日蓮上人に所縁のある品として紹介されているのですが
享保年間の何れかの時期に、久遠寺から忽然と姿を消してしまうのです。

数珠丸が再び発見されたのは、大正9年10月。
宮内省の刀剣御用掛であった杉原氏によって、とある華族の競売にかけられているところを発見され、買い上げられました。
数珠丸がどの様な経緯を持つ太刀であるかを理解していた杉原氏は、私有するのも申し訳ないとして久遠寺に返納を申し出ます。
しかし『真贋のほどがわからない』として受け入れてもらえず、悩んだ末に、杉原氏の自宅前にある日蓮宗・本興寺へ奉納される事になったそうです。


数珠丸さんの刀身も図鑑で見れますよ。
天下五剣は特別扱いで写真が見やすいw
反りが深くて細くスラリと長い綺麗な刀です。
上手く感想が言えないのつらw
何というか、静かな強さと美しさみたいなのを感じる。破邪顕正。

実装の情報出てからそわそわして
資材All100鍛刀チャレンジで敗北してからずっとずっとずーっと求めて止まなかった数珠丸さん。
極短刀ちゃん弱体化で江戸城内ボスマスまで行けなくなって泣き濡れてたらシールと交換できるチャンスが巡ってきて嬉し泣いたよ!
ありがとうパン祭り!!!!

Lv99
☆身長:181cm
☆「南無妙法蓮華経」
☆「何かお悩みですか?」
☆「行方知れずの期間、ですか?さて、どうしていましたかね」
☆おめめは瞑ったままですか?
☆「破邪顕正!」
☆「怒ってはいけませんよ」
☆青江派ジャージの着方可愛い
☆いつも真面目で穏やかだけど
☆「なるほど面白い。僧だけに、というわけですね」
☆あ、このひとも青江派だ…ってなる可愛い
☆青江ちゃんお兄ちゃんだよー!
☆二次創作に於いて。
青江派で静かに遊んでたり
天下五剣でもそもそしてたり
ぶっさんや江雪さんとわぼってたり
大包平にデレられてたり
髪の毛の中に短刀ちゃん包んでたりする。
生真面目に見えてかなりノリがいいタイプがほとんど。
モンペな個体もチラホラ。
破邪顕正!つって脳筋なタイプもいる。

参考までに

うそつき / sm28740205
数珠丸と和睦する舞を教わった(長谷部・江雪他) / sm29300886

※動画製作者様、モデラー様へ、感謝と敬意を込めて。リンクは出来ませんが、参考までにどうぞ。




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