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六十二、物吉貞宗(ものよしさだむね)
![](//static.nanos.jp/upload/s/screamxxxxxxxx/blog/1/62/20180309131630.jpg) ※画像準備中。
刀種:脇差 刀派:貞宗
無銘:相州貞宗 / 名物:物吉貞宗 年代:鎌倉時代末期〜南北朝時代 刃長:一尺9分(33cm)
重要文化財。徳川美術館蔵。
徳川家秘蔵の幸運の脇差。
脇差としては比較的短いという事実と、文化財登録では短刀として区分されていることもあり 短刀として紹介されている資料もありますが、徳川美術館に於いては脇差と表記されています。
名の由来は、徳川家康がこの刀を帯びて戦に臨むと必ず勝利したことからとされます。 また、刀の拵についている目貫の龍を、じっと見つめていると龍が瞬きしているように見えるとして、家康が『瞬きの龍』と呼び珍重したともされています。
もともとは豊臣秀吉の蔵刀であり、豊臣家御腰物帳にも『貞宗』として三之箱に入れられていた事が記載されています。 秀吉の没後、三男・秀頼へと継承され、その三年後に家康へと贈られています。
家康の没後は尾張徳川家へと移り、初代から藩主の守り刀として代々伝わりました。
尾張家二代目藩主の時は、狩衣着用で脇差をさせない場合や、将軍家から御祓いや日光のお鏡を頂戴する時にこの刀を懐中に帯び、また道中は駕籠の中に入れて携行し 隠居する時に初めて次の藩主に譲り渡すことになっていたそうですが 四代藩主の時には、普段は刀箱に入れ、中御間の床のうえに置いてあり、急火の場合は、小姓が持ち出すことに定められていたそうです。 幕末には藩主のお側の刀箪笥の引き出しに入れられていたのだとか。
本来ならば家康の遺産として将軍家に受け継がれるはずだった刀ではありますが 尾張家初代藩主の生母・お亀の方が、家康の晩年、密かに持ち出し、息子に与えたという古伝が裏付けられています。
物吉くんの本体は白黒の資料画像でしか見たことありませんが 思ってたより短くて、短い刀身に幾つも彫られた彫り物に目がいきますな。 拵も見てみたいからそのうち貞宗さんちの刀の写真載ってる図鑑買うかもしれない。
とうらぶ三周年キャンペーン中の、しかも鍛刀チャレンジ@物吉くんのターンの最中に江戸・新橋にてボスドロ。 ドロ率倍増とか信じてなかったからパニック起こして危うく刀解しちゃったかも騒ぎになりました。一人でw 実際はちゃんと居るよw アレだ。初ドロが自動的に保護されるようになったのはいつからなんですか肝が冷えましたw
極・Lv42 ☆身長:157cm ☆脇差アイドル ☆「物吉貞宗と言います!今度は、あなたに幸運を運べばいいんですか?」 ☆「笑顔が一番!主様も、笑いましょう!」 ☆「幸運は、いつもここに!」 ☆はっぴーぷりんす ☆もっとこう ☆清楚な感じかと思ってたら ☆元気一杯で可愛い子 ☆貞宗さんちの脇差 ☆二次創作に於いて。 徳川刀剣と一緒にいるイメージ。 後藤くんといちゃいちゃしてたり ソハヤくんや蜻蛉さんと真面目に絡んでたり 脇差でもわちゃわちゃ。 貞宗派でも仲良し。 いつも楽しそう。 基本的に一生懸命な良い子だが 実はスーパー攻め様だったり 頭のネジ外れてるタイプもいたりする。 強烈な幸運体質だからかかなり無茶苦茶する感じ。
参考までに ▽ LUVORATORRRRRY!(貞宗派) / sm32709736 スターナイトスノウ(脇差アイドル) / sm32437398
※動画製作者様、モデラー様へ、感謝と敬意を込めて。リンクは出来ませんが、参考までにどうぞ。
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