・赤裸々な感情
「………………はぁ。」
我ながら阿呆みたいな声を出したと思った。
「つまんねー反応だな」
煙管を咥えたまま、独眼の下に不快気に皺を刻んで言う。
でもこの御仁の判断基準は表情ではなく声だ。
「……まだ寝てるの?」
「寝惚けたのはてめぇだろ」
喉で笑いながら言われれば腹も立つが機嫌が良いのをわざと損ねさせる必要も無い。
寝惚けたのも事実であるし。
平生なら夜の内に帰るのに寝過ごして朝焼けを見ながら揃って起床だなんて、有るまじき失態。
「あー…此所から見る朝焼けも絶景ですね。」
「感情籠ってないぜ」
「夕焼けの方が綺麗だったからね」
秘密を暴くように世界が明るく照らし出される様は神々しいが、沈んでゆく夕陽の世界が終るような冷たい熱さ程の感動は無い。
真っ赤な太陽が沈むあの山の向う側にいる人はだから赤く染まっているのかななんてくだらない事を考えたりもした。
「Don't see」
「は?ちょっと。見えない」
背後から伸びた手に頭を抱えるように掴まれ袖で視界を塞がれた。理解出来ないと何度も言っているのに異国語で話しかけて来る懲りない男だ。
「見んなっつったんだよ」
「見ないから放せ」
耳元で囁く男の顔を片手で押し退ける。
「あんたに付き合ってらんないの」
急げば、仕事には間に合うだろう。…旦那の朝餉には間に合わないだろうが。
慌しく帰り支度をしていたら存在を無視していた男に呼ばれた。
「佐助」
思い切り渋面を作ってしまった気がする。
「答えを聞いてねぇ」
言いながら、煙管を燻らせて逆光が眩しいのか眇めていた。
「…真剣に言ってんの?」
「そうだと言ったら?」
「正気を疑うね」
「そうか」
笑って煙管を置いて。黙ったまま見ている。
「…じゃあ、」
「ああ」
注がれる視線から逃げるようにその部屋から抜け出した。
嗚呼、情けない。何か言い返してやればよかった。
木々の間を抜けて、城が見えなくなった辺りで毎回言われる誘い文句を聞いていない事に気が付いた。
「…やばいな…」
見えない城を振り返る。
受けて立つ気か、あの男。戦の支度してないから攻め時だと思ってたのに。
ならば先刻の問は覚悟か。
「本気でてめぇに惚れてんだって言ったら、お前どうする?」
思い出して 、 欠伸が出た。
・白昼夢
「戦を始めようとしているのだろう」
背を向けた女が怨めしい声で言う。
「さぁねぇ」
その背を眺めながら応えた。
「何処に仕掛ける気だ」
「敵に教えるわけないでしょー」
「武田が攻めるなら…っ」
振り返ろうとして、締め上げた腕が痛んだのか言葉を切った。
「上杉しかないって?了見狭いねぇ」
苦しそうだが内情を知られたら放す訳にはいかない。探られた腹が痛いと特にね。どうにか見たものを忘れてくれるか、或いはその口を完全に塞ぐか。
考えながら口は思ってもいない事を喋っている。
「軍神と取引出来るかなぁ」
女が息を詰めたのが背後からでも見て取れた。
「あの方がそんな誘いに乗る訳が…!」
「当然だろ」
有力武将や嫡子じゃあるまいし。忍と人質交換する訳が無い。寧ろ、正体の知れた忍が捕まった時点で取る行動は決まってる。それをしないと云う事は、生きて戻れると思ってるのか?
「…違うか」
死ねないんだな。自害って選択肢が無いんだ頭の中に。
「忍辞めれば?」
「っ私は!あの御方のつるぎになると決めたんだ!」
「…頭悪いよね、あんたって」
心底呆れちゃって脱力する。理由が欲しいならもっと単純に、
「女になっちまえばいいのに」
言って三つ数えたら耳まで真っ赤になった。
「…やっぱり阿房だ」
お前は真田の旦那か。否、今の言い方じゃ旦那には意味が通じないかな。
「そんなに軍神がいいかねぇ?俺さまの方が男前なのに」
呪い殺されそうな目で睨まれた。
冗談のように軽く言うがまぁ少しくらい本気って言うか、ね。
「お前は選ばない」
「うわ、ひでぇ。速攻で振られたよ」
「違う。お前がだ」
「あ?……あー…」
女の子は大好きだけど。命懸ける程かと言われればそれは無い。捧げる相手は疾うに決まりきって居る。
「…そー…だねぇー」
「私も選んだ。裏切りと云われようとも」
それが旦那でも俺さまでも無かっただけか。
「…莫迦だねぇ」
手近な所で済ませておけば、こんな面倒は無かったのに。後ろから歯を立てて首に痕を付けると、気付いて恐ろしい勢いで腕を振った。避ける振りで手を放してやって、中距離まで離れる。
「何を…!! 馬鹿か貴様!!」
「お互い様」
本気で嫌がってるのに首を押さえて赤らむ様が微笑ましい。
「夢って事にしておいてやるよ」
「…なに…?」
「御馳走さま」
首を指して笑うと、真っ赤になって苦無に手を伸ばしたが、近づいて来る他人の気配に気付いて姿を消した。
「佐助?いるのか?」
「…なんですか旦那?」
「何をしているのだ?」
「…昼寝、です」
笑いながら答えると、立ったまま寝るのかと不思議がられた。
・紫の誘惑
「旦那は優しいね」
「ぁあ?気持ち悪りィ事言うなてめぇ」
言うと髪の毛を乱暴に掴まれた。
「痛いっす」
「舐めた事言うからだ」
「正直に言ってるのに」
見上げれば僅かに目尻が染まっていて面白い。
「…あの人は優しくないからね」
「あ?誰だ?」
黙って肩を竦めれば鼻で息を吐いて頭から手を放した。追求もせずに追い出しもしない。
「始末もしないし。敵の草なのにいいの?」
「うるせぇなぁ…」
億劫に答えて、海に向かって深く息を吸い込む。
「俺はしたいようにすんだよ」
「…成程」
同じ事を言っているのにこうも印象が違うとは。
「…何笑ってんだ」
隻眼に睨まれて思わず噴き出してしまった。
「やっぱり似てるなと思って」
「? 似てねぇって言っただろうが」
白い髪が風に靡いて白波みたいだと思った。
「似てないとは言ってないよ」
訝る男の隣に立って強い潮の匂いに顔を顰めた。潮の匂いが染み付いちゃうかなぁ。
「決定的に違う所があるだけで」
言うと、気になるのか視線を寄越す。
「旦那みたいに強くて、旦那と同じで喧嘩好きで、旦那と似て我を押し通すような人で」
指を立てながら譬を挙げていくと微妙に擽ったくて不快な時みたいな顔をする。
「そんな人だから、仕様も無い我儘に付き合わされるこっちが大迷惑で」
「辞めちまえよ」
呆れた声に何故か笑ってしまった。
「慣れると癖になると言うか」
「…惚気か?」
鼻に皺を寄せて言われた。今更否定した所で信用は無いから、渋面を作って言ってやる。
「ただ、旦那と違って優しくはないんだよね」
「殴んぞ」
言いながら、上から頭を乱暴にだけれど撫でられた。
「…本当に旦那に乗換えようかなぁ」
「浮気なら余所でやれ」
見抜かれているのか、袖にされているのか。
「本命ならいいの?」
「どうだか」
…誘ったら乗ってくれそうだなぁ。
「振られたら慰めてくれる?」
「酒ぐらいなら用意してやるぜ」
なんて人の良い!これでよく鬼だなんて言えるなこの人は!
「じゃあ、頑張って生きて戻ってこなきゃ」
「…戦か」
「まさか」
そんな事答えられない。一応、驚いたような顔をして言うが、騙されてはくれないらしい。
「旦那とは違うって言ったでしょ」
大きな手から逃れて、海の先を見た。
「会いに行くのも命懸けなの」
・オレンジと涙
「旦那」
声を掛けたが珍しく無視された。
「大将が心配しますよ」
残り五歩の距離まで近づいて言う。見下ろした地面が赤いのは夕焼けだけの所為ではない。
「…沢山、死んだな」
「仕方無いよ。乱世だもの」
空を見上げれば昼の青さが嘘の様に真っ赤だ。
「旦那は天下を取るんだろ?」
「お館さまが、だ」
「そうだね」
そういう所だけは気がつく。聞かれない様に小さく溜息を吐いた。
「それまで、人に逢う度に今回みたいな事は続くよ」
振り向かない背中に緊張が走る。戦の時と違って崩れてしまいそうに果敢無いな。
「旦那も泣いてんの?」
「泣いてなどおらぬ」
即答に思わず口許が弛んだ。この人達はどうして頑なに否定するんだろう。誰と一緒にしたかは内証だけれど。
「武人が泣くなど情けない」
「そんな事言いやしませんよ」
武士がでは無く大人が、とは思うけど。鼻を啜るような音に、つい、懐紙を探してしまう。
「あの男を殺した事を後悔して、代わりに死ねば良かったなんて思ってるの?」
「佐助!」
「旦那は」
今にも殴り出さんばかりに振り向いた主に軽く手を上げて降参だと訴える。
「ちょっと、淋しいだけなんだよ」
困惑した顔をする主の赤い鼻に懐紙を押し付ける。
「本当は殺したくなかったのに、なんて後悔するのは醜悪だけど」
それは覚悟の無い輩の常套句だ。殺す気が無いなら戦に出なければいいのに。
「人がいなくなった事を悲しむのは悪い事じゃないんじゃないの?」
鼻をかんだ紙で眦を拭かれて何も思わないのかな、この人。
「今日だけ、皆には内証にしてあげますよ」
「佐助…?」
上擦った声に苦笑する。いつの間にか隠す気は失せたらしい。
「花なんか手向けられるよりいいでしょ、あの人も」
手の中で懐紙を屑にして投げ捨てた。
「この世にいないと云う事実を悲しんでやんなさいよ」
本人が聞いたら、そんなもん要らないって怒るかもな。それとも、鬱陶しいとか呆れるかな。
顔面ぐしゃぐしゃにして声を殺して泣く主を眺める。どんな言葉を掛ければ正しいのか解らない。目の前の主にも、いなくなった男にも。
西日に照らされて涙すら赤く染まったように見えた。
・泣きそうな青
目の前で、双牙と六爪がほぼ同時に折れた。
両腕を出して、膝を付く前に主だけを受け止める。首の六文を役立たせてやる気は無い。急場凌ぎだけれどせめて全身を染める紅だけでも止めてみる。
「陣で手当てしておいて」
音も無く側に降り立った部下に言い、手を放す。抱えて連れて行かれた主から意識を外し、臥せる竜を見た。
「悪いね。取り合えず旦那の手柄に首は戴いて行くよ」
「他は」
掠れた声で吐き出す竜の傍らで膝をつく。
「片倉さんは俺が。他はまだ聞いてはいないけど」
答えてやりながら兜を取る。この地上の月も見納めか。
「Goddamn!此処で仕舞いか!」
吐き捨てながら、竜は起き上がろうと云うのか腕をつくがその傷では無理だろう。
「何かある?」
兜を脇に置いて、竜の首に手裏剣を添える。
「伝えておくよ?」
「空」
「…は?」
「見せろ」
それで何が変わるんだと思ったが土に顔を埋めて終るよりは増しかなとも思った。
「言い遺す事とか無いの?」
仰向けにしてやって、主に負けない赤さに瞠目した。この人なんでまだ生きてんだ。
「鳥になりてぇな」
「…なれば。」
何も無いならさっさと刎ねてしまおう。手当てを頼んだと雖も旦那の方が心配だ。
「unexpectedly,天下は遠い、ん、だな」
「気付くの遅いよ」
喘ぎながらも喋り続ける竜の顔の泥を手で払い落とす。右目で判別出来るだろうけど一応顔が判る様にしておこう。
「伝言とか、無いんだね?」
「誰に言え、て?」
言われてみれば伊達陣営に名立たる武将はきっともういない。
「…真田の旦那とか?」
「くたばれ」
「はい、却下」
即答すれば息だけで笑う。そんな余力が何処にあるんだろう。
ふと、目許が濡れている様に見えた。
「泣く程悔しいの?」
「誰が。…雨だろ」
まぁ、狙った天下は手に入らないし。仲間は恐らく死なせてしまっただろうし。一騎討ちの結果だけれど今は忍に首取られそうだし。一武将としては泣きたくもなるのかねぇ。
「雨って。また」
言い訳にも成らないような戯言を。
「暗い、から。雨だ」
仰げば、鳶だろうか小さな影が弧を描いて翔んでいた。
「…そうだね」
あの鳶が鳴かないと良い。一つしか無いくせに役に立たなくなった眼を手で伏せてやる。
「きっと、雨だね」
ああ。なんて。
泣き出しそうな空の蒼。
prev | next
▲ 戻る ▲