そうしてゾロはスプーンで刺された。
お前の席はここだろ?と手を引かれ隣に座らせられる食事に呼ばれてキッチンに来た二人の少女は暫し考えた。
空席はゾロの隣と、ルフィの隣と対面。ゾロはテーブルの端に着きその向かい合わせにウソップが着席。
早い者順で好き好きに座るのが通常。この場合いつもならナミは迷わずゾロの隣に座る。ルフィの隣なんて食べ滓が飛んできて汚いし、他人の皿から掠めとろうとゴムの腕や指が伸びてきて落ち着いて食事なんか出来やしないのだ。
暴れるような団欒に慣れてきた自分でも嫌なのだから初めて一緒に食事をする少女には更に酷だろう。
ビビ、あんたはゾロの隣に座んなさい。と、言おうとしたのだが。
件の科白でナミはゾロに腕を引かれ力任せに隣に据え置かれた。ビビはナミの隣に座ろうとしたがゾロに阻止されウソッ プの隣へ。ビビはウソップの耳に囁いた。
あの二人はそういう間柄なのかしら。
囁いたが全員に丸聞こえだ。サンジの顔が不機嫌になる。ウソップは顔を青色に染めて、ななななんて恐ろしいことを言うんだおまえはナミがゾロになんてそんな恐ろしいこと、と震え上がった。
ちょっと恐ろしいってどういう意味よとナミが言うのとほぼ同時に、ゾロがナミのグラスに酒を注ぎ、おい酒が無ェぞコックと空瓶を振った。
サンジはテメェに飲ます酒は無ェどんだけ飲む気だクソ野郎と言いつつナミの前に食事とワインを並べて置いた。当然のようにワインに伸びるゾロの手を鷲掴み、ナミは隣で口よりもありありと文句を語る目を睨む。
あんたも上前撥ねようとしてんじゃないわよ。おれの酒はおまえのその一杯で最後だったんだ分け前を寄越せ。頼んで無いわよあんたが自分で飲みなさいよ。おまえのグラスだろ。 あんたが勝手に淹れたんでしょうが。
ビビは丁寧に運ばれてきた食事に礼を言いつつ目の前の光景に首を傾げる。
食事中の喧嘩は止めた方がいいかしら。それともこれって二人の世界?
悩むビビのフォークにぐにゃりと馴染みのない感触。皿の上に手が。悲鳴を上げたビビと痛みを訴えたルフィ。
ルフィはコックからマナー違反の体罰を食らい、ビビはウソップと席を交替。その隙にキノコをルフィの皿に打っ遣るウソップ。更に怒るコック。何故か腕相撲に負けているナミ と空いている片手でワインをかっ食らうゾロ。
ナミは思わず傍にあったフォークを掴み、ルフィみたいに刺されたくなかったらワインを返しなさいと脅した。ゾロは片眉を上げ、出来るならやってみろよ、それで。と笑った。
フォークだと思って掴んだものはスプーンだった。
ウソップが噴き出しルフィが笑いサンジは堪えるように唇を堅く閉じゾロはしたり顔。ビビはおろおろと皆とナミの顔を見比べ、ナミは。
怒りに顔を歪ませたナミは。
ゾロの眉間の変な形の痣と匙一本を犠牲に食事の席は女性優先にする事が義務化したのだった。
他の男を見てんじゃねぇ、と視界を奪われ何も見えない「ナミさんナミさん、見て見て、あれ!」
「ああ、可愛いわね」
「ナミさん似合いそう」
「あたしよりビビでしょ似合うのは。あたしはどちらかというとあっちのあの…」
「きゃーあんなセクシーなの?」
恥じらいながらビビが笑うとナミも笑う。
女同士でお買い物なんて久し振り、しかも同世代とくれば一緒に店を見て回るだけでも楽しい。洋服なんて時間と予算が許すなら片っ端から試着したい気分だ。勿論、たった今も某国は危機に晒されているのだからこんなことをしている余裕など無いと解っている。けれど寄港した町で必要物資を船に積む間だけ、情報収集と銘打って病み上がりの航海士に町まで連れ出されてしまった。焦った所で何が出来る訳でもない。気遣われているのも理解できるから、今だけ息抜きをしようと思っていた、ことを、ガラスに写る極悪顔の剣士によって思い出された。
思わずガラスに写る男に頭を下げて謝ってしまう。
「何してるのビビ?」
覗き込んだナミは、ああ、と納得した様な声を吐くと脅してんじゃないわよと背後の男に振り返った。
憮然としたまま男はうるせェと口の中で呟く。買い物でも何でもおまえらだけでしろよ、おれは腹が減ったから行くぞ、としかめっ面で歩き出すゾロの腕を搦めとりナミは迷子を探す余裕は無いのよと言って、振り向いて何かを言う前にゾロの向う脛を軽く、しかし勢いよく蹴った。い、と呻いて動きの止まった男をそのままにナミは店に入りあれとあれとあれを、と言いながらさっさと支払いを済ませ袋を幾つか抱えて戻って来る。
「じゃ、お茶でも飲もっか」
抱えた荷物を男の足許に置き捨ててナミは通りを歩いていく。この女、と唸りながらゾロは荷物を手にしてナミの後について行き、ビビはナミを引き止めようかゾロを手伝おうかおろおろと手を彷徨わせた挙句、二人の背中を見ながらおろおろとついて行った。
「ごめんなさい、私邪魔ですよね…」
喫茶店で項垂れてビビが言うと、顔を逸らしたまま沈黙するナミに代わりゾロがうんざりと答えた。
「何の邪魔だよ…」
「でも…その、私の分まで荷物持ちさせてしまって…」
「さっきみたいな会話に付き合わされるよりはマシだ」
店先で見てあれ可愛いーと言うナミに腕を捕まえられて渋面のゾロ、を想像してビビは思わず笑う。
お待たせしましたとウェイターが、運んで来た料理をビビの前に置くとゾロは片手を挙げて、ナミの顔の前に遮るように翳す。
「ジロジロ見てんじゃねェよ」
「あら、他の男を見ちゃ悪いの?」
「…おまえなァ…」
「わかってるわよ」
ゾロの手を下ろさせてナミは店内に向かって微笑む。何を見ていたのかしらとビビがナミの向いていた方を探ると顔をだらしなく弛ませた男性客が慌てて顔を逸らしていた。
目の前の二人に視線を戻せば何事も無かった様に料理を取り分けるナミの頭の上を通過して先程の男性客にゾロの鋭い視線が刺さっていた。
やっぱり私邪魔なんだわ、とビビははしたなくもストローをズコーと鳴らした。
船に戻ってから、ナミは暫く部屋から出て来なかった。
出航だーと船長が声を上げ、陽も傾き夕食の匂いが漂い始めた頃、
「あー!!」
ナミが部屋から飛び出して来た。
「ナミさん!? どうしたの!?」
「ちょっとゾロ!どうしてくれるのよ!」
甲板にいた船員を無視してナミは見張り台に立っていたゾロに詰め寄る。
「昼見た男やっぱり賞金首だったわ!」
「海賊だったのか?」
突き付けられた紙を見ながらゾロは山賊かと思ったと呟く。
「どこを見てるのよ!800万よ!800万ベリー!どうしてくれるの私の800万ベリー!! あんたの借金に上乗せしときますからね!」
「おれは関係無ェだろう!」
「あんたが止めなきゃあの男海軍に突き出して今頃800万ベリーは私のものになってたはずなのよ!? 賠償して当然でしょ!」
「そんな理屈が通るか!」
後部甲板でみかんの皮を干していた医者は、見張り台で口論する二人を見つけてマストに駆け寄ろうとした。
「あっ!ナミ、まだ見張りに上がるなって言ったのに!」
「声をかけるのはもう少し後にしましょ、トニー君」
階段を駆け降りたトナカイの首の皮を掴んでビビが言う。
見張り台では口論を続けながらも何故か距離が近いままの二人がいつまでも罵り合っていた。
私どれくらいお邪魔なのかしら、これはやっぱりナミさんを問い質すべきよね。とビビは階段に腰掛けながらニヤニヤとマストを見上げ、チョッパーはそんなビビの顔を隣から気味悪そうに見上げていた。
「いいの?ほんとにもらって」
「ああ、構わん。私は全部読んだからね」
「ありがとう」
誰が帰っていいと言った?と腕を掴まれ阻止される興味深い本を無料で手に入れたナミは、上機嫌で廊下を歩いていた。
逸る気持ちを押さえ切れず、部屋に辿り着く前に持っていた本のページを捲りながら歩いていると声を荒げる兵士に行き当たる。
「貴様!本当は何が狙いだ!?」
「だから、部屋に戻るだけだ」
「嘘を吐くな!待て!誰が帰っていいと言った!」
「…どうしたの?」
兵士に腕を掴まれ怒鳴られていたのはゾロだった。
見つけてしまったからには仕方無いとナミが声をかけると、ゾロは知らねェ、と答えて掴まれた腕を振りほどいた。
兵士はナミの顔は見知っていたらしく、怒号は止んだがそれでもゾロを見る眼には疑心が色濃く表れている。
「この男が怪しい動きを」
怪しい動き?とナミは兵士の顔を一瞥してからゾロに視線を巡らせる。
「先程から何度も同じところをウロウロと」
「迷子か!」
「違ェよ!」
兵士の言葉にナミが思わず持っていた本の背表紙でゾロの肩を叩くと、ゾロは払いのけながら怒鳴り返す。
「それより……あいつら何してんだ?」
ゾロに言われてナミは内庭に抜ける出入り口から建物の外を見た。わざわざ廊下から身を乗り出して水溜まりだらけの地面を覗き込んでは嬉しそうに笑う人を示し、ゾロは気味が悪そうに見ている。そんなゾロにナミは呆れたように答えた。
「3年ぶりの雨だもの」
「…ああ、そうか 」
こういう事かと呟いてゾロは濡れた中庭を眺める。ゾロに詰め寄っていた兵士はそのやりとりを見て一応納得したのかナミにだけ挨拶をして黙って去って行った。
ナミも返事代わりに兵士に手を振ろうとして持っていた本を思い出し、壁に寄り掛かって内庭を眺めているゾロに声を掛ける。
「私も部屋に戻るから…」
「もう帰るのか?」
まだいいだろ、と空いた片手を掴まれて、ナミは僅かに頬を染め、短く息を飲んだがすぐに冷静になって溜め息を吐いた。
「…一人で部屋まで帰れないんでしょ」
「だっ誰が!」
「素直になりなさい」
連れて行ってあげるわよ?と詰め寄って問えばゾロは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おまえこそ素直になれよ」
「何がよ」
「足。まだ痛ェんだろ」
ナミの手から本を奪って中庭に通じる階段に座らせて、ぱらぱらとページを捲りながらナミの頭の上からゾロが問う。
「もう治ったわよ」
「足音を聞く限り、歩き方がおかしい」
いつ聞いたのよとは思ったが、一度座って足を休ませてしまえば傷があった箇所が次第に痛くなってきた。無理をして見つかればきっと小さな医者は怒るだろう。そんな事で誰よりも疲弊しきっている彼の体力を消耗させるのも気の毒だ。
「…仕方無いわね。杖代わりにしてあげるわ。あと本も持って」
言いながらナミは立ち上がりゾロの腕に全身で寄り掛かった。
「人にものを頼む態度か」
「抱えさせてあげてもいいのよ?」
こうやって、と両腕を拡げて姫抱きの仕種をするとゾロは懲り懲りだと答えて眉間のしわを増したが、腕を振り解いたりはしなかった。
「言っておくけどね、ロビン」
反論はさせねぇよ、と口を塞がれ息もできない「私はあいつら程簡単じゃないわよ」
「って言いながら目がベリーじゃねェか!」
ウソップの呆れながらのツッコミに、ナミはロビンが取り出した宝石の入った袋を引っ掴んで勢いよく振り回し、長い鼻を圧し折った。
「私に逆らったら承知しないから、そのつもりでいなさい」
ウソップの悲鳴を背景音に、ナミは腰に手を当ててロビンを見下ろして言い放つ。
「あら、船長は麦わらの彼だと思っていたわ」
「船長はあいつだけど航海士は私よ。だからこそ、私の言うことは聞きなさい?」
ロビンは座ったままくすりと笑った。
「了解したわ」
「じゃあとりあえず──」
「宴だー!」
「何でよ!?」
言葉を遮られナミが怒鳴る。ルフィは麦わら帽子からロビンの腕を生やしたままナミに振り返り、それが常識のように言い放った。
「仲間が増えたら宴だ。当然だろ?」
「よく言ったクソ船長!レディは大歓迎ですロビンちゃんとお呼びしても構いませんか!?」
サンジが膝をつき恭しく問うとロビンは泰然と動じず、ナミはテーブルを叩いて抗議した。
「待ってよ!今出航したばっかりなのに、そんなことしたら確実に次の島まで食料保たないわよ!!」
「でもチョッパーの時はやったじゃないか……ケチャップ星!」
鼻が曲がったウソップがナミに睨まれてトマト臭を漂わせながらその場に倒れた。臥せたウソップの隣でチョッパーは全身をわななかせる。
「あの時の食料難はおれのせいだったのか…!」
「大丈夫だよナミさん!おれがいる限り、レディを飢えさせたりなんかさせないさ!」
「でも…──ッ!」
サンジが拳を握り腕を叩いてみせたが、それでも言い募ろうとしたナミの顔にべたりと手の形をしたゴムが張り付いた。
「文句言うなナミ!船長命令だ!宴をやるぞー!」
「「「おぉ〜!」」」
「むぐ〜っ!」
ルフィが片手を掲げ声を上げると、男達は諸手を上げて歓声を返した。
ナミは顔に張り付いた手を剥がそうと腕を引っ張るが伸びるだけで全く剥がれない。
「ロビンは音楽家だな!」
「いいえ。考古学者よ」
「ええ〜歌わねェのかよ〜」
「無理ね」
「んん!ん〜ッ!」
呑気な会話が聞こえる端でナミは顔を真っ赤にして呻く。顔を覆った手は口どころか鼻まで塞いで息が出来ない。視界も潤んだように霞んでほんとにヤバイかもとナミが思った時、横から伸びてきた腕がルフィの掌をばりっと音を立てて剥がした。
「生きてるか?」
「ッぷはァ!」
涙目で肩を怒らせて必死に呼吸を繰り返すナミに、ゾロは宥めるように一度だけ肩を叩いて横をすり抜けた。
「あんたも見てないで止めなさいよ!」
「船長命令だろ?」
酒が飲めるしな、と呟いたゾロの顔は嬉しそうに緩む。
ナミは折角整えた肺の中の空気を全部吐き出すように大きく長く溜め息を吐いて、目の前を歩く背中を殴った。
「痛てェな!っておまえ、背…」
「うるさい!わかったわよ!サンジくんは宴の準備、それ以外の男共は船を動かして!一応逃げ切ったけど、出来るだけ海軍から離れておくの!」
アイアイサー!と男達の声は海と空の間に響き渡り、ロビンはなるほど、航海士さんのいうことは絶対なのねと笑いながら囁いた。
背中を狙うんじゃねェよという剣士の非難は完全に黙殺された。
「たこ焼きだー!」
「早く早くー!」
「待ってろよ、すぐ作ってやるからニュ〜」
本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?と抱き締めて離してくれないサニー号の手摺を飛び越えて魚人の屋台船に乗り移ったルフィ達を横目に見ながら、ゾロは屋上のみかん畑へ向かう。
木の傍らにしゃがんで、みかんの手入れをしているはずの女に声をかけた。
「どうすんだ?」
「なに?何か用?」
ナミはゾロに背を向けて蹲ったまま、振り返りもせず聞き返した。
「…タコが」
「すぐ行くから先に行ってて」
「ナミ」
「今忙しいの。あっち行って」
語気を荒げてナミが言う。ゾロは片手で頭を掻いて一つ息を吐くと、ナミの隣まで近付いた。
「おい」
「しつこいわね!後で行くって言っ」
ゾロに腕を掴まれ無理やり立たされたナミは、怒鳴って腕を振りほどいたが、ゾロは構わず突き放された腕をナミの背に回して抱き留める。
「ッなにっすんの!放しなさいよ!このッ」
ナミは一瞬呆気に取られたが、すぐにゾロの腕から逃れようと暴れ出した。
「本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?」
「あんた馬鹿!? 嫌がってるでしょ!放しなさいよ!」
「おう。馬鹿だからちゃんと言われないとわかんねェな」
ナミはゾロの胸板を拳で叩きまくるが、ゾロは押さえ付けるように抱き締めて離してくれない。
「ふざけないで!! 放し」
「おまえはいいのか。魚人と一緒で」
ゾロを叩いていた手はぴたりと止まって、文句を言っていた声も途切れた。
「無理をする必要は無ェだろ。嫌なら言え」
「……良い訳、ないでしょ…!!」
ナミの手は小刻みに震え、ゾロのシャツを掴んで押しつけるように顔を覆った。
「何で仲良くしてるの!あんな奴と!」
叫んだ声はゾロの体で覆うようにくぐもって、畑より外には響かなかった。
「…って、思うけど。もう終わったことだし…」
シャツを握る手が離れ、ナミは俯いた顔を片手で覆って溜め息を吐く。
「私は、あいつが無害な奴だって、知ってるもの…」
「…調子が狂う奴ではあるな…」
俯いたままのナミの頭に手を置いてゾロが応えると、ナミはでしょ、と呟きながら苦笑を零した。ナミの頭の上に置いた手の上に顎を乗せてゾロは尋ねる。
「…泣くか?」
「なにそれ!泣かないわよ!」
「そうか」
笑い飛ばすナミに、ゾロは明らかにほっとした声を返してナミから離れようと回していた腕を緩めた。
「でも今手を放したら泣く」
ぼそりとナミが呟きゾロは思わず放した腕を一度目より強くナミの背中に回した。
「…ぷっ…」
「…てめェ…」
肩を揺らし笑い声を漏らしたナミの頭を睨んでゾロが唸る。
「ひとが心配してやったらコレかよ…」
「私を誰だと思ってるの?」
転んでもタダでは起きないわよ、と笑うナミに、そんな事は知っているとゾロは溜め息を吐いて、ナミは両腕をゾロの背中に回して苦笑を浮かべるその顔を見上げた。
「本気で嫌がるなら、やめてあげるわ?」