・紫の誘惑「旦那は優しいね」
「ぁあ?気持ち悪りィ事言うなてめぇ」
言うと髪の毛を乱暴に掴まれた。
「痛いっす」
「舐めた事言うからだ」
「正直に言ってるのに」
見上げれば僅かに目尻が染まっていて面白い。
「…あの人は優しくないからね」
「あ?誰だ?」
黙って肩を竦めれば鼻で息を吐いて頭から手を放した。追求もせずに追い出しもしない。
「始末もしないし。敵の草なのにいいの?」
「うるせぇなぁ…」
億劫に答えて、海に向かって深く息を吸い込む。
「俺はしたいようにすんだよ」
「…成程」
同じ事を言っているのにこうも印象が違うとは。
「…何笑ってんだ」
隻眼に睨まれて思わず噴き出してしまった。
「やっぱり似てるなと思って」
「? 似てねぇって言っただろうが」
白い髪が風に靡いて白波みたいだと思った。
「似てないとは言ってないよ」
訝る男の隣に立って強い潮の匂いに顔を顰めた。潮の匂いが染み付いちゃうかなぁ。
「決定的に違う所があるだけで」
言うと、気になるのか視線を寄越す。
「旦那みたいに強くて、旦那と同じで喧嘩好きで、旦那と似て我を押し通すような人で」
指を立てながら譬を挙げていくと微妙に擽ったくて不快な時みたいな顔をする。
「そんな人だから、仕様も無い我儘に付き合わされるこっちが大迷惑で」
「辞めちまえよ」
呆れた声に何故か笑ってしまった。
「慣れると癖になると言うか」
「…惚気か?」
鼻に皺を寄せて言われた。今更否定した所で信用は無いから、渋面を作って言ってやる。
「ただ、旦那と違って優しくはないんだよね」
「殴んぞ」
言いながら、上から頭を乱暴にだけれど撫でられた。
「…本当に旦那に乗換えようかなぁ」
「浮気なら余所でやれ」
見抜かれているのか、袖にされているのか。
「本命ならいいの?」
「どうだか」
…誘ったら乗ってくれそうだなぁ。
「振られたら慰めてくれる?」
「酒ぐらいなら用意してやるぜ」
なんて人の良い!これでよく鬼だなんて言えるなこの人は!
「じゃあ、頑張って生きて戻ってこなきゃ」
「…戦か」
「まさか」
そんな事答えられない。一応、驚いたような顔をして言うが、騙されてはくれないらしい。
「旦那とは違うって言ったでしょ」
大きな手から逃れて、海の先を見た。
「会いに行くのも命懸けなの」