・オレンジと涙「旦那」
声を掛けたが珍しく無視された。
「大将が心配しますよ」
残り五歩の距離まで近づいて言う。見下ろした地面が赤いのは夕焼けだけの所為ではない。
「…沢山、死んだな」
「仕方無いよ。乱世だもの」
空を見上げれば昼の青さが嘘の様に真っ赤だ。
「旦那は天下を取るんだろ?」
「お館さまが、だ」
「そうだね」
そういう所だけは気がつく。聞かれない様に小さく溜息を吐いた。
「それまで、人に逢う度に今回みたいな事は続くよ」
振り向かない背中に緊張が走る。戦の時と違って崩れてしまいそうに果敢無いな。
「旦那も泣いてんの?」
「泣いてなどおらぬ」
即答に思わず口許が弛んだ。この人達はどうして頑なに否定するんだろう。誰と一緒にしたかは内証だけれど。
「武人が泣くなど情けない」
「そんな事言いやしませんよ」
武士がでは無く大人が、とは思うけど。鼻を啜るような音に、つい、懐紙を探してしまう。
「あの男を殺した事を後悔して、代わりに死ねば良かったなんて思ってるの?」
「佐助!」
「旦那は」
今にも殴り出さんばかりに振り向いた主に軽く手を上げて降参だと訴える。
「ちょっと、淋しいだけなんだよ」
困惑した顔をする主の赤い鼻に懐紙を押し付ける。
「本当は殺したくなかったのに、なんて後悔するのは醜悪だけど」
それは覚悟の無い輩の常套句だ。殺す気が無いなら戦に出なければいいのに。
「人がいなくなった事を悲しむのは悪い事じゃないんじゃないの?」
鼻をかんだ紙で眦を拭かれて何も思わないのかな、この人。
「今日だけ、皆には内証にしてあげますよ」
「佐助…?」
上擦った声に苦笑する。いつの間にか隠す気は失せたらしい。
「花なんか手向けられるよりいいでしょ、あの人も」
手の中で懐紙を屑にして投げ捨てた。
「この世にいないと云う事実を悲しんでやんなさいよ」
本人が聞いたら、そんなもん要らないって怒るかもな。それとも、鬱陶しいとか呆れるかな。
顔面ぐしゃぐしゃにして声を殺して泣く主を眺める。どんな言葉を掛ければ正しいのか解らない。目の前の主にも、いなくなった男にも。
西日に照らされて涙すら赤く染まったように見えた。