V「きみじゃむり」


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宵闇の中、少女は痛む足を海水に浸らせて溜め息を吐いた。両足を交互に揺らして水面を叩く事に意味など無いが、尾鰭でなくなったせめてもの意地だった。
こんな筈ではなかったのに、と呟いた声は音にならず吐息に消えていく。
一番難関だと思っていた王子様付きの侍女には、案外簡単になれた。あとは、王子様にさえ逢えれば、すぐには無理でもいつかは幼い頃に出会った事を思い出してくれる筈で、きっとお嫁さんにしてもらえると思っていたのに。
朝となく夜となく王子様に尽くす日々、自慢だった長い髪も手入れが行き届かなくていっそ短く切ってしまった。
頭を悩ませるのはそればかりではない。
王子様の身の回りの世話をしているうちに、賓客のヒズリ国国王に何故か気に入られてうちの子にならないかと誘われて、それを見ていた王子様に調子に乗ってんじゃねーぞと詰られてから距離を置かれた。王様の誘いはお断りしたという言い訳も、怒らせてごめんなさいと謝罪する機会もないまま、その時は来てしまったのだ。

その人たちは隣国のアカトキからやってきた。
アカトキの美森姫は謁見したその場で王子様に求婚した。浜辺で倒れていた王子様を手当てしたお姫様は、一目惚れしたその男性をずっと探していたらしい。王子様は溺れて助けられた事を醜聞だとひた隠していたから、今まで見つからなかったという。
一目惚れをしたのはお姫様だけじゃないし、海に沈んでいた王子様を本当に助けたのはお姫様じゃなくて自分なのに。
救いは、王子様の興味が美森姫ではなく侍女の祥子にある事だろうか。

「キョーコ……キョーコっ……」

王子様に名前を呼ばれるのはお姫様の侍女ばかり。婚約者のお姫様さえ愛称で呼ばれるだけ、自分は名前を尋ねられもしないのに。

「キョーコ!何度も呼ばせるんじゃないわよ!」

ばしゃん、と顔に水をかけられて、キョーコは思考を遮られた。上げた視線の先に、海面から顔を出して美少女が睨んでいる。

『モー子さん!どうしたの!? どうやってこんなところまで!? また逢えるなんて!!』
「うるさい!人間に気づかれるでしょ!もー!」

キョーコが破顔して少しでも奏江に近寄ろうと波打ち際で足掻いていると、奏江は怒鳴りながらキョーコの足元まで泳いできた。
私声が出ないのに。と身振り手振りで訴えるキョーコに、そーゆーところがうるさいのよ!と足の甲をつねってから奏江は赤くなった顔を海へ逸らした。

「あの人に連れてきて貰ったの」

奏江の視線を追うと、波間に浮かぶ岩の上に人影があった。夜の闇に紛れて顔まで判別はつかないが、並外れて整い過ぎた体格にキョーコは誰だかを理解する。

「聞いたわよ。アンタの王子、他の女と結婚するって?」

まだ決まった訳じゃない、と沈んだ表情で否定するキョーコに、奏江は溜め息を吐いて眉間の皺を深くした。

「でも婚約はしたんでしょ?もうアイツとの結婚なんて諦めて戻ってきなさい。皆心配してるわ」

でも、ミューズは二度と戻れないって言っていたのに。首を傾げるキョーコの思考を正しく読み取った奏江は、よく聞いて、と声を落としてキョーコににじり寄る。

「人魚に戻る方法があるの」

額を寄せて話し合う二人を、沖合いから見つめながら蓮は呟く。


「……きみじゃむり」


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2014/10/12 comment ( 0 )







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