W「だから言ったのに」 *:..。o○ ・:,。*:..。o○
城内も寝静まる深夜、キョーコは足音を忍ばせて王子の寝室に現れた。
その手には短剣が握られている。
王子の心臓を一突きに、その血を浴びれば人魚の姿に戻れると親友は言った。キョーコは短剣を握る手を震わせながら、眠る王子の顔を覗き込む。
この人の為に故郷を捨て、身を尽くしてきた。この男が思い出してくれさえすればと、キョーコは王子の顔をほぼ初めて直視して、思った。
この人はこんな顔をしていたかしら。
「ショーちゃん!危ない!」
突然の違和感に戸惑っていたキョーコは、カーテンに身を隠していた美森に体当たりを食らってよろめいた。自らぶつかっておきながら体負けした美森はベッドに倒れ込み、王子を庇うような仕草で抱きつく。
うるせぇな、と王子は不機嫌ながらも身を起こした。キョーコの手にある短剣を見て寝ぼけた頭で状況を考え始める。
「あのね、この女はね!ショーちゃんと結婚できないから、ショーちゃんを殺そうとしてるんだよ!美森聞いたもん!」
「…結婚ン〜!?」
姫は己の正当性と献身を訴えたが、王子はやはり頭が寝ていた。留意する箇所を間違える。
「お前みたいな地味で色気のない女と結婚なんかする訳ねぇだろ!」
寝惚けていても自尊心は高い王子は、核心をついた言葉でキョーコを払い飛ばした。心無い言葉と突き飛ばされた衝撃でキョーコはよろめき、バルコニーに繋がる窓にぶつかりそうになって思わず目を閉じる。
「だから言ったのに」
キョーコの耳に響いたのはガラスが割れる音ではなく、聞き慣れた人の声だった。
恐る恐る目を開き、自分の身体を受け止めている蓮の顔を見上げてキョーコは一瞬だけ安堵した。
けれど、持っていたナイフが蓮の胸に刺さっているのを見つけて息を呑む。
「いいんだ。初めからこうするつもりだったから」
そう言って蓮は自分の胸に刺さった短剣を簡単に抜いてしまう。キョーコは音にならない悲鳴を上げて、慌てて手で押さえて流れ出る血を止めようとした。
「君には無理だと言っただろう?」
王子様と両思いになるなんて無理だと言われた、あの時からこの結果までを見透かされていたのならば、なんて無様な事だろう。
もう海の泡になったっていい。恋なんて愚かな事は二度としないと誓う。だから蓮さん死なないで、声にならない声でキョーコは喘ぐ。
「どうせ泡になってしまうなら、賭けてみようと思って」
何を言っているのだろうとキョーコが視線を上げると、月に照らされていた蓮の髪が黒から金に変わっていく。驚くキョーコの手は赤く染まり、足から力が抜けていった。
砕けた腰を掬い上げられ、横抱きにされたキョーコは、間近で見た蓮の顔に問いかける。
「妖精さん……?」
誰だテメェ、無視すんじゃねェよ、等と侵入者に向かって喚いていた王子の声を聞いて、駆けつけた衛兵と共に何事かと顔を覗かせたヒズリ国の王は、その場の誰よりも声を張り上げた。
「久遠っ!!」
誰?と疑問符を浮かべる衛兵を押し退けて王子の部屋に駆け込むヒズリ国王を一瞥し、蓮はキョーコを抱えたままバルコニーに出ると手摺に足をかけて、一度だけ部屋を振り返る。
「…ごめん、父さん」
駆け寄るヒズリ国王が伸ばした手が届く前に、蓮は海に身を投げ出した。
キョーコの悲鳴が響いた後、水飛沫の音が続いて夜の海に吸い込まれる。それから二人の姿が浮かび上がる事は無かった。
食い入るように海を見つめるヒズリ国王の背後で何なんだよと呟いた王子の声は残念ながら誰にも拾われなかった。
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