十二国【誓約、完了】マギ范王即位の報を聞いて、才に逃れていた範の荒民は自国へ戻ろうとして国境の高岫山に押し寄せた。才国は関所の混乱を緩和させようと、荒民の救済施設からも船団を送り出して海方面からも浮民が帰れるように計らった。
その船の上で、シンドバッドは才の港を眺めていた。
船に乗り込む人々は、新王への期待と荒廃した国へ戻る不安との入り交じったような顔をして、桟橋では救済施設の長を務める才国の公主が、目まぐるしく浮民の采配をとっている。
──これでも、近頃は漣から流れてくる荒民も少なくなりましたから。
浮民の世話も少し楽になりましたけれど、やっぱり心配ですわぁ、と疲れた笑顔を浮かべた少女の顔色は決して良いものではなかった。
才の公主が漣の民に苦心しているのに、漣の人間の己は逃げる様に範に向かう船に乗っている。
「おまえこんな所で何してんだよ」
頭の上から声をかけられる事にも慣れた。慣れた分、逃げる事にも厭きた。振り返って見つけたジュダルの遠く後ろに仲間たちの姿が見えて、昨日の舎館での会話を思い出す。
──何れ王になる時の為に、他国を見聞していたのだと思っていましたが。
──王様も似合うっスよ。
諸国見聞だとか王になるだとか、本当にそんなつもりはなかった。ただ好奇心に任せただけの旅を続けて、それをまだ終わらせるつもりもなく、範に行くと言った時のあの表情は呆れられていたに違いない。
「何だよバカ殿?鬱陶しい顔しやがって」
「…どうして俺なんだ?」
傍らに来て見上げてくるジュダルに言えば、何故そんな事を訊かれるのかわからないというようなきょとんとした顔で見返してきた。
「おまえと一緒に戦争したら楽しそうだから?」
慈悲は何処にあるのだろうと疑う発言だが、所詮、自分を選ぶ程度の仁なのだ。
戦争はしないと心に決めていても、守る為なら盾より剣を取る確信がある。王になれば尚更、大義の為に権を振り翳す。それでこの麒麟が病んでも、憐れに思うが当然の報いのようにも思う。
「俺がおまえを憎んでいたとしても、俺を王に選ぶのか?」
「何おまえ、オレのこと嫌いなの」
ジュダルが悪い訳ではない。ジュダルを利用した偽王が悪いのだと、理解はしているつもりだけれど。
ジュダルは頭の後ろで両手を組んで、苛立ったように顔を顰めた。
「オレが何したってんだよ?」
「……おまえが、麒麟だから」
王は麒麟が選ぶ。麒麟がいたから、王宮にいる人物を誰も王と疑わなかった。歯向かう者は王師に討伐され、妖魔が出たと救援を求めれば空行師が妖魔ごと一帯を焼き尽くした。
廬が焼かれ街が襲われ一人生き残った事が罪のように心を縛る。
あの国の王を恨んでいる。偽王を擁したあの国を憎んでいる。民に罪は無いけれど、一人でも多く無事に逃げ延びてくれればと思うけれども、それよりも早く、あんな国は沈めばいい。
滅んでしまえば、あの国を救うなんて誰にも無理だったのだと、自分だけの罪ではないのだと言い訳が立つ。
どれだけ抗っても目の前で死に行く人間を助ける事も適わない、そんな人間が王になってもきっと誰も救えないに違いないのに、こんな子供が頭を下げただけで王になって、否が応でも数万、数十万の民の行く末まで一人で負わないといけないのか。
「オレが麒麟なのはオレの所為じゃねーし」
ジュダルの声で迷走する思考から我に返った。
同じ事を思っている筈なのに、実際に聞くと共感より先に苛立つのは何故だろうか。王になりたくないと世の理に理不尽を感じている自分に苦笑してしまう。
「じゃあ、オレが拐われた時に女怪とか女仙が殺されたのも、毎日吐くまで無理やり頭下げさせられてたのも、ニセモノのくせに王様ヅラして好き勝手に戦争してやがるのも、全部オレが悪いっていうのか?」
なぁ、と袖を掴んで潤んだ目を赤くして見上げてくる少年は、出会った時はもっと幼い子供だった。血と怨詛ばかりの荒廃の国では生き難かっただろう。
「……すまない」
「しょーがねぇから許してやる」
自分ばかりが辛いのではないと、謝罪の言葉を言い終わるが早いか、ジュダルはすがるように掴んでいた袖を思い切り放り捨てた。さっきまで赤く潤んでいた目は、濡れるどころか乾いていて、ジュダルの目が赤いのは自前だった。
「ってゆーか、オレが言ってどうすんだよ。おまえが許すって言えよバカ殿」
いい加減折れやがれと悪態を吐きながら膝を蹴られた。
慈悲の生き物に暴力を働かれた事より、半ば冗談だろう発言に動揺して、民意の具現とはこういう事かと妙に納得してしまう。
「……そうだな」
その一言が言いたくて言えなかった。
いなくなってしまった人に許されたかった。偽王に与した者を──愚かに争う人々を許したい。
身の不運を嘆くのも疲れたし、抱えきれない事に怯んでも、守る為にすべき事はわかっている。
彼等を許せたら、己の罪も許せるだろうか。
「でも、今日はまだ言われてないぞ?」
「どーせ断るんだろー」
船端から海を覗き込むジュダルは、陸から手を振る紅玉殿に面倒臭そうに手を振りかえす。本当に今日は言う気がないようだ。
「残念だな。今なら何をされても許せる気がしたんだが」
「あーそうかよ……ッ!、?!、!!」
「痛い痛い危ない」
勢いよく振り返ったジュダルは、何故か体当たりをしてから、ひとの髪を引っ張って、更に足を引っ掻けてきた。いきなり何をするのかと睨めばジュダルは既に膝をついていて、ひとの足を押さえつけて、やるぞとばかりに睨み返してきた。
その気迫に、引き倒されかけたままの姿勢が辛いと言うのも憚られて、船縁にしがみついて黙って耐える。
目の前でジュダルの頭が下げられる。
「詔命に背かず、御前を離れず、忠誠を誓うと誓約する」
こんな真面目な声も出せるのかと驚いたが、この宣誓を聞いたのは初めてではない。適当にあしらってきたことに今さらながら悪いことをしたなぁと足許の頭を見下ろす。
「……おい。バカ殿」
「悪い。これが最後かと思ってな」
沈黙に焦れて噛みつきそうな目で見上げるジュダルに、笑う口元を隠して謝る。笑みを飲み込んで、出来る限り明瞭な声で答えた。
「許す」
一瞬、ジュダルの全身が戦慄いたように震えて見えたが、声をかける前に先より深く頭を下げてしまった。
「──天命をもって主上にお迎えする」
そう言って上げた顔は喜色満面で、余韻も何も無く普段のように飛び掛かってくる。
「まずはニセモノ血祭りに上げようぜ!」
「血に病むくせに何を言ってるんだ」
飛びついてくるジュダルの頭を叩きながら仲間たちを探せば、既に荷物を抱えて船を降りようと渡り板に立っていた。
慌てて追いつき、待たせた事を詫びれば今更だと呆れられた。
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前回から5年程経過して、
ジュダル18歳 / 覇王28歳 / ジャ24歳…くらいの設定で脳内変換お願いします。
偽王は銀行屋のつもりですので、この後で何かして雷光剣で〆るという具合い。(←考えてない。)