白鳥さんの性癖


 ───大手企業A社。
 ヒールを鳴らしながら歩くわたしの姿を、すれ違った男性社員が横目で見やる。
 微笑を浮かべながら会釈をすれば、全員が同じような顔を浮かべて会釈を返してきた。

「……相変わらず綺麗だなあ、白鳥さんは」
「まじ俺らのマドンナ」
「見たか、あの胸。でかすぎだろ。揉みてぇ」
「おい、言葉に気を付けろよ。白鳥さんを狙ってる先輩方もいるって話だぞ」

 あらあら。
 聞こえてるわよ、君たち(笑)。

 羨望にも似た眼差しを受けながら顔を上げれば、前方からバーコード頭……いえ、大事な上司の姿が見えてくる。緩く片手を上げて存在をアピールしてきたから無視はできない。にこやかに笑みを返す。

「やあおはよう、白鳥さん」
「おはようございます、沢田部長」
「今日も相変わらず白鳥さんは美しい」
「恐れ入ります」

 ほら、聞いた?
 わたしの美貌は、わたしの主張だけの話じゃないの。ちゃんと社員公認なのよ。
 とはいえ、謙虚さは大事。いくらわたしだって、ナルシストな部分を表に出すような真似はしないわ。
 他の女性社員のように、男性に媚びた口調や態度を取るなんて絶対ダメ。尻の軽い、はしたない女に成り下がるつもりはないの。

 いい女は常に冷静に、穏やかに。
 物腰柔らかく、女性らしく。
 感情的になるなんて言語道断。
 クールだと周りから思われても、誰もわたしに文句なんて言わないわ。わたしが邪険な態度を取っているわけでもないし、何より、わたしほどの美人を前に、誰も文句を言えないみたいなの。「言ったところで負け惜しみ」っていう心理が働くのかしら?

 まあ、いいわ。
 それより今は、この人よ。

「白鳥さんほど綺麗だと、周りの男が放っておかないだろう。俺ももう少し若かったらな……実に羨ましい」

 沢田部長はいつも、思わせ振りなことばかり言うの。
 わたしはただ、穏やかに笑って受け流すだけ。
 どんなに褒めちぎられても一切動じないわたしに焦れたのか、部長はふと、意味ありげに瞳を細めてきた。たらこ唇をいやらしく緩めて、わたしの全身を舐め回すように見つめてくる。頭のてっぺんから爪先まで、それはもう……じっくりと。

 ああ……これ。これよ。
 この視線をわたしは待っていたの。

 制服の上からでもわかるグラマーな体型は、男の妄想を容赦なく掻き立てる。脱いだらすごそうな女、そんな邪な視線を常に浴び続けている毎日は実に刺激的よ。
 ああ、お願いそんなにわたしを見ないで……。
 エロスイッチが入っちゃう……。

「相変わらず白鳥さんはそっけないな。そこが君の魅力でもあるし、燃えるけれど───どうかな、今晩……一緒に食事でも」
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
「ありゃ、また振られてしまった」

 ハハ、と自嘲気味に笑う部長に、ショックを受けているような様子はない。初めから断られることを予想していたかのような態度に、わたしは控えめに微笑み返した。
 沢田部長からの意味深な誘いは、これが初めてじゃないの。わたしだって子供じゃないわ、この誘いがただの食事会だけで終わるわけがないことくらいわかる。だから、安易に誘いへ乗ったりはしないの。

「それじゃあ、また日を改めて出直すとするかな」

 なんて言いながら、立ち去ろうとする沢田部長に焦りを感じて眉を下げる。
 ねえ、もう誘いを諦めてしまうの……?
 もう少し粘ってくれないかしら……?

 口には出さないけれど、本当は沢田部長をこの場に引き留めたくて仕方ない。別にこの人に惹かれてるわけじゃなくて、わたしはこの人の、このいやらしい視線が好きなの。快感を覚えるのよ。
 もう少し、この快感を味わっていたい。
 だってこんなの、まるで……まるで……視姦されているみたいじゃない……っ!
 視線だけで辱しめを受けるなんて、激しく悶えるわ……。
 ましてやこの人達は、わたしの制服の中身を知らないのよ。



 わたしが今日身に付けている下着は、黒レースのオープンブラにオープンクロッチ。隠すべきところをあえて隠さない、M女の性癖にグッサグサ突き刺さる素晴らしい仕様。更にショーツはTバック。美脚が映えるガーターベルトも忘れずに装着済みよ。
 『クールで清楚な白鳥さん』と呼ばれているわたしが、こんなに卑猥な下着を身に付けているだなんて、男性社員は誰も思っていないはず。
 なのに、どうしてそんなにわたしを見るの……? まさか、バレてるの……!?

 なんて思ったら不安でソワソワするし、緊張でドキドキするし、興奮でハアハアするわ。

 だって、いつどこで、どんな形でわたしの格好がバレるかなんてわからないじゃない?
 もし誰かと2人きりになって、もしその場で襲われでもしたら、って考えたら……あっ……だめよそんな、あっ……あん……
 バレる訳がないけれどバレるかもしれない、このスリリングがたまらないの……!

 もし、こんな破廉恥すぎる下着を誰かに見られてしまったら、わたしは一体どうなってしまうの……?「淫乱女」と罵られて、更なる辱しめを受けるのかしら……それとも、脅されて性奴隷に……?
 ああ、イイ……妄想が尽きない……妄想だけでイケそう。

「白鳥さん、聞いてる?」
「………、え?」

 いけない。わたしとしたことが。
 脳内暴走して相手の話を聞き流すなんて、淑女にあるまじき失態だわ。
 中身は真性のM女だけど、自分の性癖は完璧に隠さなきゃいけない。上品でそつのない振る舞いをしなくては、怪しまれてしまうわ。

「どうしたのかな? 今日は随分とぼんやりしてるね」
「すみません、少し考え事を……」
「ふむ、穏やかじゃないね。悩みごとかな? それとも───恋煩い、というやつかな?」
「まあ……」

 恋煩いだなんて。
 可愛いことを言うのね。
 それから一言二言会話を交わし、沢田部長は立ち去っていった。
 わたしも目的地へと向かって歩みを進める。歩調のスピードを落としながら、沢田部長の言葉を頭の中でリピートしていた。

「恋煩い……」

 わたしも今年で23になる。いまだに彼氏が出来たことがなくて、男性経験も全くない。運命の人と出会いたいって気持ちは、女の子だし当然ある。
 でも、よく考えてみて?
 美の女神フレイアに匹敵する程の美貌を兼ね揃えたわたしと普通の一般男性を並べるだなんて、わたしと比べられる男性があまりにも可哀想だと思わない? リアル美女と野獣だもの。
 それに、もしわたしが特定の人を選んでしまったら、わたしを想ってくれている他の男性陣は、全員不幸になってしまうわ。
 そう考えたら、わたしはこの先1人で生きていくべきなのかもしれない。恋人さえ作らなければ、それだけ男の人の不幸が減るってことだもの。

 ああ、なんてこと。
 わたしの美しさはどこまでも罪ね……

「……あの」
「(妄想中)」
「そこのアンタ」
「………え?」

 背後から呼び掛けられて我に返る。男の声。

「邪魔なんだけど」

 つっけんどんに言われて気がついた。
 いつの間にかエレベーター前に到着していたわたしは、扉を塞ぐ形でその場に立ち尽くしている。誰も乗車できない事態になっていたの。

 やだ、なんて迷惑なことを。
 恥ずかしい。
 慌てて後ろを振り向けば、背後にいたのは若いお兄さん1人だけだった。

「っ、ごめんなさい」

 慌てて謝罪をして、足早に中へと乗り込む。後ろにいたお兄さんも、ゆったりとした足取りでエレベーターに乗車した。
 目的地のボタンを押せば、静かに扉が閉まる。わたしとお兄さんを乗せたエレベーターが、ゆっくりと上昇し始めた───はずだった。

 ガタッ、と不自然に床が揺れた。


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