再会、そして もう会うことは無いだろう。 そう思っていた彼女に、再会した。 空腹で倒れていた彼女を助けた、その翌日の朝に。 出社前。 自社ビルのエントランス。 奥にあるエレベーター前に、彼女はひとりで立っていた。 腕にはピンクのショルダーバックと、昨日と同じトレンチコートを抱えている。着ている制服は、アジュールで指定されているものだった。 「……まじか」 昨日の、彼女の格好が脳裏に浮かぶ。コートの襟元から覗く制服は、うちの会社のものだったのか。全く気付かなかった。 そもそも女性社員の制服デザインなんて、どこの会社も似たり寄ったりなものばかりだ。まさか同じ会社の人間だとは夢にも思わない。 どうする、と思考を急かす。 また偶然会ったとしても関わらない、そう決めていたけれど、同じ会社の人間ならそうもいかない。何より「また会えるなら会ってみたい」、密かに抱いてしまった彼女への興味が、頑なだった意思を揺らぎ始めていた。 女とは深く関わりたくない。 そう思っていたはずなのに。 立ち尽くしたままの俺の横を、同じように出社してきた社員が通り過ぎていく。なのに俺の足は一歩も動かない。小さな後ろ姿から、目が逸らせなかった。 けれど彼女も鈍くはないようで、自分に注がれる視線に感付いたらしく、その視線の矛先へと顔を向ける。当然、その矛先は俺だ。 ぱちり。 彼女と目が合う。 大きな瞳がぱちぱちと、瞬きを繰り返す。 あっ、と開いた口がそう発するのが、遠くからでもわかった。 ポン。到着を知らせるエレベーター音が、その場に静かに鳴り響く。当然のように開かれた扉に、けれど彼女は乗り移らなかった。くるりと方向転換して、艶やかな茶髪をなびかせながら俺の方へと駆け寄ってくる。顔は昨日と同様、無表情に近い。 そういえば、笑った顔を見ていない、気がする。 「キリタニさん。おはようございます」 「おはようございます」 「同じ会社の方だったんですね」 「そうみたいですね」 「びっくりです。こんな偶然ってあるんですね」 「俺もびっくりしてます」 「あの。途中までご一緒してもいいですか」 「いいですよ」 断る理由など無い。 俺は素直に頷いた。 敬語に直したのは、彼女が同じ会社で働く先輩かもしれないからだ。 共に並んで歩き出す。 既に別の階へと稼動していたエレベーターの到着を待つ間、改めて自己紹介を交わした。 彼女── 水森さやかは、俺と同じ時期に入社した子だった。 つまり同期。 先輩ではなかったようだ。 アジュールには3つの部門があり、俺は営業部門に所属している。彼女はマーケティング部門で、役割的には近い位置にいる。マーケの人間と情報交換する機会も多い。 とは言え、俺も彼女もまだ駆け出しだ。大掛かりな案件を任せられる機会はほとんど無く、企画課や開発課と組んだことは一度もない。更に言えばマーケは部署が多く、役員数も営業に比べたら遥かに多い。つまり、彼女と接する機会は現時点ではほぼ無い、ということになる。社員数がそこそこ多い会社で彼女の存在を知らなかったのは、ある意味、仕方ないとも言えた。 昨日、あの時間帯に住宅地を歩いていたのも、彼女がマーケの人間だと知れば納得がいく。俺は営業職で外回りの仕事が大半だが、マーケは基本、デスクワーク型だ。けれど常に変動していく市場のリサーチやログ解析、市場の構造やターゲットをより正確に描く為に、外へ出向き直接足を動かすことも多い。彼女があの場にいたのも、そういう理由なのだろう。 ……空腹で倒れていた件については、目を瞑る。 「昨日は、本当にありがとうございました」 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。 「お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。すみません」 「おにぎりひとつで足りたの?」 「足りませんでした。あの後、牛カルビ特盛り弁当を3つ食べました」 「……3つも」 「はい」 「すごい食べるんだね」 「私にとっては普通なんですが」 真顔で言う。 たまに発言がおかしい。 何だろう、妙に面白い子だ。 到着したエレベーターに乗り込んで、3階と4階のボタンを同時に押す。俺と彼女以外、エレベーターに同乗した人間は誰もいなかった。 「……あのさ。昨日の事なんだけど」 「はい」 「ご飯でも一緒に、って言ってたヤツ。今日、どうかな」 自然体を装って誘ってはみたものの、実のところ、俺は緊張していた。 昔から女が苦手だった。 どこがどう苦手なのかと聞かれても、うまく言えない。強いて言うなら、会話が噛み合わない、執着が激しい、面倒くさい。そんなところだ。 だから必要以上に話しかける事もしないし、プライベートで関わる事もしない。食事に誘うなんてもってのほか。その俺が、まさかこうして異性を誘う日が来るとは思わなかった。自分の発言に、自分が一番驚いている。 彼女に対して苦手意識は全く抱かなかった。 昨日交わした会話の中で、彼女の機転の早さと聡明さを目の当たりにした。その時胸に抱いたのは、嫌悪感ではなく好奇心。女の内面にある苦手な部分、それを、彼女からは何ひとつ感じなかった。そればかりか、もっと話してみたい、仲良くなってみたいという気持ちが俺を突き動かしている。 それに、マーケの人間と情報を共有できるチャンスでもあるから。 ……まあ、これは完全に言い訳だな。 「もちろん大丈夫です。是非、お礼させてください」 「お礼、とかじゃなくてさ。ただ一緒にご飯を食べに行こうって話」 「なるほど。ご飯仲間ですね」 「え? あ、うん。それでいいけど」 お礼とか、かしこまって欲しくない。 お礼されて当然だとも思っていない。 「あ。着いたので、わたし降りますね」 「うん。仕事終わったら1階で待ってる」 「はい。17時ですね。楽しみにしてます」 3階でエレベーターを降りた彼女は、扉が閉まる寸前、また俺に向かって頭を下げた。 この光景は何度目か。 その礼儀正しい姿に、更に好感を覚えた。 ……マーケ部門の水森さやか、か。 大食いで、ちょっと天然入っていて。 けど幼い見た目とは裏腹に賢い。 なぜかいつも無表情の、礼儀正しい女の子。 ……変わった子だな。 普段からあんな感じなんだろうか。 彼女の事をもっと知ってみたいと思った。 結局その日は仕事中も、水森と名乗ったあの子の存在が気になってしょうがなかった。 トップページ |