身長差は関係ありません。2


・・・


「……最近さ、家に居場所が無いんだよな」

 なんて愚痴を、さやの部屋で聞いてもらっている。手には、ここに来る前にコンビニで購入したチューハイの缶がひとつ。

「弟さんがいるんですよね」
「弟と、あと訳入りで居候してるイトコな」
「その2人が今、アレな感じになってきてる、と」
「確信はないんだけどさ」
「いとこ同士の恋愛ですか」
「家の中の空気が微妙に気まずくて」
「あらら」

 ベッドを背に、2人で並んで缶を開ける。
 既に週末の恒例と化している、さやと2人での宅飲み会だ。



 俺の両親は医師として、海外に滞在している。
 国際医療ボランティアの一環として、人材派遣、社会福祉など幅広く活動しているようだ。

 日本に帰国するのは年に1、2回程度。
 両親と会える機会はほぼ無いに等しい。
 母親から海外移住を勧められたこともあったが、当時俺は高校生で、弟はまだ中学生だった。
 互いに日本から、そして今の学校から離れたくないという気持ちが強く、両親もその点に関しては理解を示してくれた。
 だから俺達は両親の元へは行かず、兄弟で暮らしている。
 俺が一人暮らしをしないのは、まだ高校生の弟の面倒を、両親に代わって見なければならないからだ。

 そして俺達兄弟とは別に、訳ありで居候している家族がもう1人いる。
 俺より2つ下で、弟と同い年の女の子。
 俺にとっては妹のような存在で、それ以上でもそれ以下でもない。大事な家族の一員だ。

 けど弟にとっては、そうではなかったらしい。
 それが今、俺の頭を悩ませている。

「郁也は、2人の関係に反対なんですか?」
「俺は別に。ただ、父親が煩いんだ」
「おとうさん?」
「人様から預かっている大事な子だからな。そんな子に自分の息子が手を出したとか、あまり考えたくないんじゃないのかな」
「親としては、複雑な心境なんでしょうか」
「色々、思うことはあるだろうけど……でも好きになったもんは、もう仕方ないだろ」

 無意識に、自分の経験と重ねてしまったのかもしれない。真実味を帯びた俺の言葉に、さやは「そうですね」と深く頷いていた。



 好きになりたくて、好きになる訳じゃない。
 諦めようと思って、諦められるものでもない。
 好きになってしまったらもう、受け入れるしかない。感情なんて、理性でどうこうできるものではないのだから。
 それを父親にも理解してほしいのだけど、なんせあのオッサンは頭が固い。
 母親はもっと柔軟な考えの持ち主なんだが、当の本人は頑固な性格だ。理解を得るのは難しいだろう。

 そして一番の悩みのタネ。
 この2人の空気が微妙に気まずくなっている。

 特に何かが変わった訳ではない。
 今朝だって2人は変わらず、仲がいい。
 さながら、本当の家族のように。

 けれど時折、纏う空気が変わることがある。

 2人の目があった瞬間。
 たまたま手がぶつかりあった時。
 軽い沈黙が落ちた時。
 何て事の無い日常の合間合間に、家族の仲とは違う雰囲気が満ちる瞬間。
 その瞬間に、毎度立ち合う羽目になる俺の心境は、言わずともわかるというものだ。

 居づらい。
 冗談抜きで、本気で、非常に、居づらい。



 2人とも多感な年頃だ。幼い頃からずっと共にいて、信頼できる相手がいつも傍にいる安心感、更に異性だと意識してしまえば、互いに惹かれ合ってしまうのは致し方ないかもしれない。それがたとえ、一時的な感情だったとしても。
 もういっそ、惹かれ合ってるならさっさとくっついてくれ、そう言いたいのが俺の本音だ。
 が、そうなると今度は親父が面倒な事になる。
 頭の痛い問題だ。

「弟さん、どんな子ですか?」

 隣に寄り添いながら、さやが笑う。

「郁也から弟さんのお話、聞いたことがないから」
「周りからは、正反対って言われるけど」
「顔が?」
「顔も中身も。弟は俺と違って優しい奴だから」
「そんな事言って」

 ことり、と肩に重みが乗る。

「郁也だって優しいですよ」
「俺、一部の女子から嫌われてるぞ。無愛想な奴だって」
「男の外見しか見えてない一部の女子なんて、放っておけばいいんです」

 それきり、さやは黙ってしまった。
 顔を覗き込めば、瞼が閉じられている。
 眠いのかと思った矢先、薄く目が開いた。
 至近距離で目が合う。

「……私だけが知っていればいいのに」
「…………」
「郁也の優しいところは、私ひとりで独占しちゃいます」

 軽く目を見張る。
 独りよがりな宣告は、明らかな独占欲の現れ。
 さやがあからさまな独占欲を露にするところを、今日、初めて見た。

 感情を顔に出さないのはお互い様で、負の感情も口には出さないのが俺達だ。
 だから内心、俺だけなんだろうと思っていた。
 さやが、他の男と話をしている場面を見る度に複雑な思いを抱えていたのは。


 ……結構、嬉しいものだな。
 相手がヤキモチを妬いてくれる、っていうのは。


 手にしていた缶をテーブルに置く。
 中身はまだ残っていたけれど、そんなものはもう、どうでもいい。
 今はさやを独占したくて仕方なかった。

「……郁也」

 顔を近づければ、その意図を悟ったのか、待ったの声が掛かる。

「歯、磨いてくる」
「いいよ」
「でも、わたしお酒くさいです」
「いい」

 そのまま唇を塞ぐ。
 軽く重ねているだけの触れ合いは、徐々に深みを増していく。
 絡む熱に混じるアルコールの匂いが、室内に漂う雰囲気を酔わせていくように感じた。

 勢いのままに、ベッドになだれ込む。
 僅かに唇を離せば、甘い吐息が微かに漏れた。
 潤んだ瞳が俺を見上げてくる。
 熱っぽい視線にあてられて、胸に込み上げてくる欲を抑えきれず、顔を近づける。

 再び唇が重なる、その寸前。


『無理に合わせてて、辛いらしいし』


「………っ」

 今の今まで忘れていた、あの言葉が脳裏によぎる。思わず動きを止めてしまった俺を、さやが不思議そうに見つめていた。

「……郁也?」
「あ……ごめん」

 突然謝罪の言葉を口にした俺に、さやは訝しげな視線を向けてきた。
 さっきまでの甘やかな雰囲気が一変して、微妙な空気に包まれる。

「どうかしましたか?」
「いや、その」
「あ、やっぱりお酒くさいですよね。歯、磨いて」
「いや違う」
「………?」

 困ったように眉を下げるさやを目にして、申し訳ない気持ちで苛まれる。

 余計な意識に囚われて、中途半端に行為を止めてしまった。相手だって当然、不安に駆られるだろう。

 独り善がりな行為なんて最悪だし、一番最低な行為だ。さやは性の捌け口なんかじゃなく、俺の恋人なのだから。彼女が満たされなければ、肌を重ねている意味がない。
 けどそれを、どう確かめればいいのか。
 というか、どう言えばいいのか。
 さやに限って無理に合わせてくれているとは考えにくいけれど、確証なんてない。


『飽きられないように、頑張ります』


 想いを互いに打ち明けたあの日。
 別れ際に告げたさやのあの言葉から推測すれば、俺に、無理に合わせてくれている可能性だってゼロではない訳で。

「郁也」

 沈みかける思考は、途中で遮られた。
 凛とした声が、耳に届く。

「何か言いたいことがあれば、言ってください」
「さや」
「私も、一緒に考えますから」

 真っ直ぐな視線が俺を射抜く。
 迷いのない瞳は、俺が抱く不安を払拭させるだけの、強い意志が垣間見えていた。

「………あのさ」
「はい」
「その、俺と、こういう事してる時」
「?」
「だから、その……抱かれてる時、痛かったり、しんどい時とかないか、不安になって」
「………え」

 大きな瞳がはたり、と瞬き繰り返した。
 まさか最中での不安事を問われるとは、さや自身、思っていなかったのだろう。

「えっと………特には、何も」
「本当に? 無理に合わせてたりとか、してないか?」
「………」

 キョトン、と見上げてきた瞳が、途端に不機嫌な色に染まっていく。
 唐突に、むぎゅう、と両頬をつねられた。

「痛い」
「郁也はアホです。アホアホです」

 アホを3回も言った。
 アホの川井を上回ってしまった。屈辱だ。

「私がいつ、郁也に合わせたんですか」
「……悪い」

 即座に謝れば、さやの両手が離れた。
 容赦ない力でつねられた頬は、痛みで熱を持ち始めている。

「わたしは」

 ぱたり、さやの手が毛布の上に落ちる。

「私は、郁也が触れてくれるだけで嬉しい」
「…………」
「いつも優しく抱いてくれる郁也に、不満なんて、あるはずないじゃないですか」
「………さや」
「ばか」

 毛布を掴み、そのまま布の中にもぞもぞと潜り込んでしまった。頭ごと。

「………さや」
「…………」
「ごめん。出てきて」
「いや」
「ごめんって」
「私は貝になりました」
「さや」
「私は貝です。ムール貝」
「…………」

 すっかり拗ねてしまった。
 俺のせいだけど。



 川井の放ったあの一言に、勝手に不安を感じた。
 どうして、不安に駆られたのか。
 その理由を初めから素直に口に出していれば、さやを怒らせる事もなかったのかもしれない。

「……悪かった。好きだから不安になったんだ」

 正直な想いを口に出す。
 しばらくの沈黙の後、毛布にくるまれたままのムール貝がもぞり、と動き出した。
 控えめに顔を覗かせて、ジトリと俺を睨み付けてくる。

「……今それ言うのズルい」
「でも本当のことだから」
「……ズルいです」

 俺の告白に機嫌を直してくれたのか、それとも妥協してくれたのかはわからないが、ムール貝……改め、さやは毛布の中に入ったまま、俺に身を寄せてきた。
 その頭を、ぽんぽんと軽く撫でる。

「どうして急にそんなこと考えたんですか?」
「あ、あー……それは」
「それは?」
「川井が、ちょっと」
「川井さん?」

 話の見えてこない展開に、さやは困惑しているようだった。

 自分にも多少なりとも非がある以上、あまり他人に責任を押し付けたくはなかったが。
 許せ川井。

「身長差があると、女の子は彼氏に合わせてる事が多くて辛いらしいってアイツが言ってたから」

 さやにとっては絶対的タブーでもある身長のコンプレックスを指摘され、本人の目の色が憎しみへと変わる。

「……川井さんには明日、ゴールデンバッドで股潰しておきますね」

 すまん川井。合掌。

「郁也は肝心なことを見落としてます」
「え?」
「身長差がある分、出来ることと出来ないことがあるのは確かです。でも、解決策はあります」
「……解決策?」

 そんなものあるんだろうか。
 身長なんて、伸ばそうと思ってすぐ伸ばせるものじゃない。背丈の差はどうやったって縮まらない以上、解決策があるとは思えない。

「……策、という程でもありませんが」

 彼女の言う" 見落とし "に気付けていない俺を前に、相変わらずの無表情なまま、さやはきっぱりと言い放った。

「寝転がれば、身長差は関係ありません」
「………」

 解決した。



・・・



 余談。


 後日、鉄製ゴールデンバッド(煙草にあらず)を手にしたさやが、川井の股間目掛けてフルスイングをぶちかました結果、特大認定ホームランを受けた川井が病院送りになったのは、また別の話だ。



(了)

目次|→

トップページ
- ナノ -