身長差は関係ありません。1


 さやは頭を撫でられることを極端に嫌う。

 彼女は背が低い。
 それは本人も気にしてるようで、頭を撫でられるという行為は甘やかされているのではなく、さやにとってはコンプレックスを刺激されるだけの行為に他ならないようだ。
 背の低さを理由に、子供扱いされているような気分になるから嫌だとも言っていた。

 試しに彼女の頭に手を置いてみれば、いつもの無表情っぷりが途端に崩れて、思いっきりしかめっ面に変わる。
 そして、ぺいっ、と手を払ってくる。
 いつも冷静で淡々としているさやには珍しい、狼狽っぷりだ。

 不機嫌な様を露にしているさやの様子が面白くて、……あとちょっと可愛かったから、もう一度頭の上にぽんと手を置いてみる。
 そしてやっぱり、ぺいっ、と手を払われる。
 その繰り返し。

「縮む」
「縮まないよ」
「ちぢむの!」
「縮まないから」

 苦笑しながら突っ込みを入れる。
 こんな事くらいで背が縮むわけがない。
 余裕がなくなると敬語がタメ語に変わってしまうさやの癖が、こんなところで披露される。本気で背が縮むと思い込んでるようだった。

 背、小さい方が可愛いと思うけどな。

 けど本人が気にしてる以上、こんなありきたりのフォローを入れたところで彼女の機嫌が良くなるとは思えない。
 だから大人しく手を引っ込めた。
 からかって遊びすぎると、後で痛いしっぺ返しがきそうだったから。



・・・



「なあ桐谷クンよ」

 まだまだ就業時間の最中。
 PCに向かい合っていると、不意に川井が声を掛けてきた。
 書類整理に飽きたのだろう、奴はくるくると椅子を回転させた後、ぐたーっと背もたれに体重を掛けている。やってる事がもう小学生レベルだ。

「ミズキチちゃんとは順調?」
「問題ないけど。何」
「あの子ってさあ」
「……何だよ」
「身長、どのくらい?」

 はあ? と素っ頓狂な声を上げてしまった。
 突然、何だ。
 さやの身長とお前に何の関係があるのか。

「……さあ。知らない」
「あの子って150ある?」
「……あるんじゃないか?」

 そう答えてみたものの、確信は無い。
 本人に身長なんて聞いたことはないし、何より、背が低いことにコンプレックスを抱いているさやに、そんな事を聞く勇気もなかった。
 だから想像でしかないけど、150は超えてるかギリ無いか。そんな気がする。

「桐谷クンは身長高いじゃん?」
「高くねーよ。175無いし」

 成人男性の標準身長は170センチ前後だと、以前聞いたことがある。
 だとしたら俺は標準並の身長だ。
 低くは無いけれど別段高いわけでもない。

「でも2人って結構身長差あるじゃん」
「まあ……つーか、何が言いたんだよさっきから」
「いやあ、大変そうだなあと思って」
「だから何が」
「キスする時」

 ……なんでコイツはいつも、頭の悪そうな考えしか出来ないんだろうか。

 白けた視線を向ける俺とは裏腹に、川井はいやらしい笑みを浮かべながら俺を見据えてきた。
 その目はらんらんと輝いている。
 自分が振ったネタに食いついて来いと、そう俺に主張してるのがわかる。
 面倒な事になりそうだから、ヤツを無視してPCに向き直った。コイツに構ってる時間すら惜しい。

「あれえ? 桐谷クン知らないの? 身長の差って結構響くんだよ? 特に彼女側はね、色々大変だって聞くよ」
「あっそ」
「キスする時とかさ、背が低いと背伸びしなきゃいけないし」
「………」
「えっちとかね、身長差があると出来ることと出来ないことがあるから」
「………」

 淡々と作業を続けるものの、奴の口調は止まらない。

「身長差とか体格差があるとね、女の子が無理に彼氏に合わせてる事が多くて、辛いらしいし」
「………え」

 キーボードを打ち込んでいた指が、その途端、ぴたりと止まる。

「まあ女の子は基本受身だし、主導権握ってる男に合わせちゃうのは仕方ないとしてもさあ」
「………」
「やっぱり、体格とか身長で苦労してるのはかわいそうだなあと、俺様は思うわけだよ」
「………」
「まあナニがでかいだけでも女の子はたいへ、」
「下品」

 ばしん、とファイルで川井の頭を殴りつければ、いてぇな! と喚きながら抗議の声を上げてきた。
 そんな訴えを無視して手元の作業に目を向ける。
 けれど、非常に腹立だしいことに、俺の脳内では奴が放った一言がぐるぐると駆け巡っていた。


『身長差とか体格差があるとね、女の子側が無理に合わせてる事が多くて辛いらしいし』


 ……………そうなの?



・・・



「さや」

 1階のロビーで見慣れた後ろ姿を見つけて、声を掛ける。
 自販で缶コーヒーを購入していたさやは、周囲に誰もいない事を確認してから、俺の方へと近づいてきた。

「郁也。お疲れ様です」
「うん、お疲れ」

 普段、社内では互いに名前で呼び合うことは控えている。
 仕事中とプライベートで呼び方を変える、そのあたりの線引きをする事で公私混同をしないようにと、2人だけのルールを決めていた。
 けど今は周囲に誰もいなくて、もうすぐ定時の17時を迎える。
 周りに見えていなければハメを外していいわけじゃないけれど、少しぐらい砕けていても問題はないかと思った。

「それ飲んだら帰る?」
「はい」
「じゃあ俺も帰るかな」
「一緒にご飯、食べに行きます?」
「豊さんの店?」
「今日から新メニューが登場するらしいです」
「へえ、なんだろな」

 他愛ない会話を繰り返していると、急に彼女の目線が泳ぐ。
 ほんのりと赤く染まった頬を見て、さやが何を言おうとしているのかを悟ったけれど。


『女の子が無理に合わせてる事が多くて』


「……ああ、くそ」

 あのアホのせいで、いらん思考が邪魔をする。

「郁也?」
「え、あ、何でもない」
「そう、ですか。あの」
「うん?」
「今日、金曜日です」
「……うん」
「………来ませんか?」

 目元まで赤く染めて彼女が言う。

 さやとの付き合いも、もう半年が経った。
 この誘いが何を意味してるのかぐらい、さすがにもうわかってる。
 川井の言葉がなかったら、今日も何の躊躇も無く、彼女の誘いに乗っていたかもしれない。

「……あのさ」
「?」
「無理、してないか?」
「むり?」

 こて、と首を傾げる姿はちょっと愛らしい。

「いや、さやんとこ、ほぼ毎週行ってたから」
「そう、ですね。……?」
「最近忙しかっただろ」
「はい。仕事詰まってました」
「疲れてるかなって」
「全然平気ですよ」
「……あ、そう」

 週末に、さやの部屋へ足を運ぶことも増えたけれど、だからといって毎回泊まる訳じゃないし、毎回そういう行為をする訳でもない。
 実際ここ3週間ほど、彼女の部屋には訪れていない。単純に仕事が忙しかったからだ。
 だから、確信に近い予感があった。
 今日彼女の部屋に向かえば、多分、そういう流れになる、と。

 そろそろ彼女に触れたいと思っていた頃だった。俺がそう思ってるなら、多分さやも同じ事を思ってる。でなければ、頬染めしながら男を部屋に誘ったりなんてしないだろう。

 さやはこれでも、思ってることはハッキリと言うタイプだ。自分で出来ない、無理だと思ったことは、きちんと口にする。
 しんどい思いして俺に合わせるくらいなら、たとえ恥ずかしいことでも、俺に一言相談するだろう。さやなら。

 けど、そんな相談を受けたことは一度も無い。

 だから、きっと大丈夫だ。
 ………多分。

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