ミズキチちゃんは頑張る(後) - 水森視点 「女の意地とプライドと、男の股間に関わる問題なんですよ」 「沽券な。お前はいい加減、真顔で下品な下ネタを発言する癖をやめろ」 「真顔で下ネタを言うからキャラが活きるんです」 「お前は一体何を目指そうとしている」 「そんな事より色気の話です」 「何なんだ。そんなに色気を振りまいてどうしたいんだ。世界征服でもするのか」 「誰彼に対しても色気を振りまいてるような発言しないで」 「男でも出来たのか」 「できました。だから悩んでいるんです」 「ほう」 何のデザインも施されていない質素なティーカップに口をつけて、物珍しい表情で兄は私を見た。 「今度は大丈夫なのか」 私の今までの恋愛事情は、兄もよく知っている。 だからこそ、この発言なんだろう。 「大丈夫です。とても誠実な方で優しい人です。真面目にお付き合いさせて頂いてます」 「なら何の不満も無いだろう。なぜ急に色気なんて言い出すんだ」 「抱かれたい」 「直球すぎる」 「変でしょうか」 「変、ではない。仲が深まれば体の繋がりを求めるのは自然の摂理だ、そういう展開にも発展するだろう。ただ、色気を身につけたからといって成せるものではないんじゃないか? むしろ、それで安易に抱くような男なら別れた方がいいと俺は思うが」 「………」 「何をそんなに焦っている」 ―――焦っている? そうだ、焦ってる。 私はいつも不安でしょうがないから。 別にそういう行為が目的なわけじゃない。 いや、結果的にそういう話になるけれど、そうじゃなくて。体の繋がりではなくて、気持ちの方。 私を好きと言ってくれたキリタニさんを信じていないわけじゃない。ちゃんと想われている事もわかってる。 でも、人の気持ちに絶対なんて無い。 この先、キリタニさんがずっと私を好きでいてくれる保障なんてどこにも無い。 だから目に見える確かな絆が欲しくなる。 兄の言う通り、キリタニさんは色仕掛け如きで簡単に流されるような人じゃない。 けれど。 わかっていても、譲れない想いもあるのだ。 ひとりで悶々としていると、兄がやれやれといった調子でひとつの提案を私に下した。 「色気など必要ない」 「……でも」 「お前は馬鹿か。今まで見た目だけで近寄ってきたヤツとは違う、素のお前を受け入れてくれた男なんだろう。色仕掛けなどせずに、そのままの自分をぶつけてみろ」 「つまり剥ぐってことですね」 「どうしてそうなった」 「違うんですか」 「そうじゃない。今お前が悩んでいる事を、ちゃんと相手に伝えろ。言葉に出来ないなら、行動で示せ。間違っても剥ぐなよ。それでも相手に応える気が無いなら、その時にまた2人で話し合え」 「………」 これは私だけの問題じゃないのだと、暗にそう示してくれているのがわかる。 お互いに気持ちを伝え合ったあの日、頑張らなくてもいいとキリタニさんは私に言った。無理に何かを変える必要はない、と。 その言葉通りに受け取るなら、兄の言う通り、今の自分のままで素直に悩みを打ち明けた方がいいのかもしれない。 私達の、問題だ。 いくら想い想われているとわかっていても、口に出して言わないと相手に伝わらない事もある。 「それともうひとつ」 「?」 「お前、アレは持ってるのか」 「アレとは」 「ゴムだ。そういう展開になったら必要だろう」 「……はあ」 実の兄から避妊具の有無を聞かれるのは、なかなか気持ちの悪いものがある。 「……持っていません」 「相手が持ってくれているとは限らないからな。自分で用意しておけ。それから、ゴムを持ってることはギリギリまで相手に言うな」 「……?」 「試すんだ。もしゴム無しでも事に及ぼうとする男なら速攻別れろ。女を大事にできない無責任な男など、この世のクズでしかないからな」 「………」 ……ドヤ顔で言うことなんだろうか、それは。 ・・・ 私の予想を遥かに超えるほど、キリタニさんの心のガードは固かった。 口で直接言うのはやっぱり抵抗があって、それとなく部屋へと招いてみた。 キリタニさんは鈍い人じゃない。 私の不自然な誘いに、何かしら意図を感じ取ったはずだ。 けど、手を出してくる様子は無い。 それどころか、私が淹れたコーヒーを飲んだら帰るとか言い出した。 なんという鉄壁の守り。 崩せる予感がしない。 やっぱり剥ごう。 それでも距離を詰めてぴったりと寄り添えば、キリタニさんも私に応えるようにくっついてきた。 衣服を通じて伝わる体温が心地よくて、ああもうこれでいいや。なんて夢見心地のまま瞳を閉じる。 …………いやいや。 違う。 ダメだ。 何の為に部屋に誘ったんだ。 「あの、お風呂沸いたので。入っていきませんか」 「……え?」 つい数分前に帰ると言い出した本人に、こんな誘い方あるか。不自然極まりない。 キリタニさんも心底驚いたような表情で私を見つめていて、さすがにあからさま過ぎたと内心焦る。 彼の顔を直視できなくて、私はずっと視線を下に向けたまま、なおも不自然な言い訳を主張し続けた。 彼の沈黙が重い。 お兄ちゃん、どうやら私は盛大にスベッたようです……泣きたい。 悲観に浸っていた、その時。 彼の腕が突然、私の頭を抱いた。 直後、こめかみに触れたひとつの熱。 それが何かなんて、見ずともわかってしまった。 思わず頬が熱くなる。 「もういい」 「……え」 「俺が悪い」 見上げた先にあったキリタニさんの視線と、私の視線が絡む。 さっきまで戸惑いの色を帯びていた彼の目は、今は力強い光を宿して私を映し出していた。 衣服の擦れる音と同時に近づいた互いの顔の距離に一瞬、目を見張る。 キリタニさんの髪が頬を掠めて、視界が彼一色に染まった途端、唇を塞がれた。 今までの、そっと触れるような優しいキスとは全然違う。 本能のままに、ありったけの思いをぶつけるようなキスだった。 それから先のことは、必死すぎて鮮明には覚えていない。 何度も重ねてくるキスは素の自分を暴かれるんじゃないかと思う程に激しくて、体を撫でる彼の手のひらは酷く熱い。 与えられる刺激に翻弄されっぱなしの私に平然を装う余裕なんてある訳がなく、ただただ彼がもたらす快感の波に体を震わせていた。 けれど恐怖心なんてものは全く無くて、むしろ女として求められている事に高揚感すら抱いた。 いつも冷静沈着な彼が見せる、もうひとつの姿。 私だけに見せてくれた、剥き出しの男の顔。 きっと今の私も同じ、女の顔をしてる。 彼も私を抱きたいと思ってくれていたことが嬉しくて、体が繋がる以上に、心が繋がった気がした。 ……ちなみに、キリタニさんは兄の言う「この世のクズ」でもなかったです。 あと意外にSでした。 萌えたね。 ・・・ 深い眠りから覚醒した時、隣にあるはずの温もりが消えていた。 昨日キリタニさんのスマホに、実家からの着信があった事を思い出す。 もしかしてお家に帰っちゃったのかな。 ベッドに横たわりながら、そんな事をぼんやりと考える。 目が覚めた時、傍に好きな人がいない現実は、意外にも胸にちくりと痛みを残した。 そろりと身を起こした時に感じた、お腹の底に鈍く伝わる違和感。 けどそれは一瞬の事で、気だるい感覚はすぐに消えた。 思いのほか、体が疲れていない。 若さって素晴らしい。 一息ついた時、視界の端に白いものが映る。 テーブルの上に置かれた、一枚の紙切れ。 キリタニさんが私宛てに残したメモだった。 ベッドから手を伸ばし、メモを手に取る。 そこには、コンビニに行って来る旨と、部屋の鍵を借りると書いてあった。先に帰ったわけじゃなかったんだ。 仰向けのまま、メモをまじまじと眺める。 キリタニさんらしい、達筆で綺麗な字。 メッセージの最後には、「すぐに戻るから」と一言添えてある。 寂しさで埋まっていた胸に、今度は温かさが宿っていく。 彼の真面目な性格と優しさがその文面に表われていて、思わず笑みが漏れた。 ふと、自分の姿に目を落とす。 あられもない姿だった。 身体のところどころに赤い印が残されていて、それが彼の独占欲の表れのように感じて、下半身がきゅんと疼く。 こんな朝っぱらから発情よくない。 キリタニさんが帰ってくる前にシャワーを浴びてしまおうと、バスタオルを手に取って自分の体に巻きつける。 浴室へ向かう前に、私は兄に電話をした。 何度目かのコールの後に出た兄の声は、意外にも普通の声音だった。もう起きてたのかな。 「お兄ちゃん」 『どうした妹よ』 先日と同じ挨拶を交わした後、私は兄にある報告をした。 「わたしは今日、いや昨日」 『?』 「漢になりました」 『女の間違いだろう。アホ妹め』 一度頭の病院に行って来い。そんなツッコミが受話器の向こうから聞こえてきたけれど、有頂天になっている私に兄の声は届かない。 早く帰ってきてほしい。 彼の顔が見たくて、声が聞きたくて、そんな風に思う私はもう末期かもしれない。 兄への余計な報告を済ませた私は、足取り軽く浴室へと向かった。 (了) トップページ |