3ヵ月後のふたり 腹ペコでぶっ倒れていた水森を助けたあの日から、4ヶ月が経った。 「なあ、マーケの子から今日聞いたんだけど。お前、ミズキチちゃんと付き合ってるってマジ?」 「うん」 「なっ、テメッ、みんなのミズキチちゃんを独り占めしやがって!」 隣から勢いよく片腕が伸びてきて、容赦なく首を絞められた。痛い。そしてウザイ。 何かと突っかかってくるこの男は、同じ営業部署で働く同期の川井《かわい》|祐一《ゆういち》。妙に気が合う友人でもあり、同時に悪友でもある。 そしてコイツは、社内一の情報通で名が知れている男でもあった。 ただしその情報というのは、社内で誰と誰が付き合ってるだの不倫してるだの、いかにも噂好きの女が好みそうな情報ばかりだ。胡散臭い上にあてにならない。 むしろその情報通を営業面に生かせばいいのにとすら思う。 けど、それをこのバカに言ったところで「真面目か」と流されるだけだろうから言わない。 言うだけ無駄だ。 思えば、水森のあだ名を教えてくれたのもコイツだった。 水森が社内で人気があると言っていたのも。 「まじかぁ……女嫌いなお前にもようやく春が」 「付き合い始めたのも春頃だったな」 そう呟けば隣から、は? と謎の奇声が上がる。 「え、待って。春? 今、夏よ?」 「だな」 「なにそれ交際何ヵ月目?」 「3ヶ月くらい」 「はあああ!? 3ヶ月も経ってんの!?」 「そうだけど」 「俺全然知らなかったんだけど!?」 意外だった。 いつもの情報通スキルどこいった。 「なんだよ、言えよ!」 「なんで」 「うわーまじかー……。あのミズキチちゃんとお前がねー……」 腕を組みながら、感慨深そうにうんうんと頷いている。お父さんか。 無視して目の前の書類を片付けていたら、瞑っていた目をぱちり、と開けた川井の口角が上がった。 何ともいやらしい目線を俺に送ってきて、また首元に腕を巻きつけてきた。だから痛い。 「なあ、どこまでいった? さすがにチューはしたよな。エッチした? した?」 「黙秘権を行使する」 「そういう言い方するって事は、お前まだしてねーな?」 「いいからもう仕事戻れよ」 勤務時間内だろうが。 そう嗜めたところで、奴の猛攻は止まらない。 「誤魔化すなって。ミズキチちゃんって確か1人暮らしじゃなかったっけ? 部屋には行った?」 「玄関までは行った事ある」 「はい???」 訝しげに俺を見返してきた川井が、突然ぶはっと噴き出した。汚ねぇ。 「何、玄関までって! 新手のギャグか!?」 「お前の顔の方がギャグだわ」 「ちょ、やめてそんな事言わないでオレ傷ついちゃう! じゃなくて! 3ヶ月も付き合ってて何もナシって、お前色々大丈夫!?」 「声でけーよ」 「まさかの奥手キャラだったのかよ!」 何が可笑しいのかわからんが、どうやら俺は川井のツボに入ったらしい。腹を抱えてヒーヒー笑い転げてる。 マジで煩い。 体を捻って川井の足をガツンと蹴れば、上手い具合に向こう脛にクリティカルヒットしたらしく、激痛に悲鳴を上げながら悶絶している。 ご愁傷様、そう告げてから俺は席を立った。 これから外回りで仕事がある。 ・・・ オフィスを出てエレベーターに辿りつくまでの間、すれ違う社員が軽く会釈をしてきた。 俺も同じように交わした時、ふと、意味ありげな視線に気づく。 俺と水森との関係を知ったのだろう、耳元でひそひそと囁きあいながら見つめてくる女性社員達の姿があった。 正直、ウンザリする。 女の何が苦手って、こういうところだ。 コソコソと噂を立てられる事が、本人達にとってどれだけ居心地が悪く、不快な気分を味わうか。 きっとわかっていない。 わかろうともしない。 だから嫌い、だった。 過去形になってしまうあたりが、以前の自分との違いだ。決してそんな女の子ばかりじゃないと、俺はもう、知ってしまったから。 ……と言っても、知っているのは今のところ、身内を除けば1人だけだが。 「……けどなあ」 エレベーターに乗り込んで、壁にもたれながら溜息をつく。 あのアホ(※川井)の言う事も一理ある。 付き合い始めて3ヶ月も経っているというのに、未だに何も進展していない現状というのは、確かに遅い気はしてる。 キスはしたけど、それ以上は何もない。 自分からも、何も仕掛けない。 勿論彼女の方も、それらしい素振りはない。 基本仕事人間な俺達は、休日出勤なんてわりと普通だ。デートらしいデートも、ほぼ無いに等しい。 彼女の部屋に行ったのも、水族館へ一緒に行ったあの日のみだ。それだって玄関まで、だけど。 2人だけのご飯会も、話す内容は仕事と株、そしてご飯。それは付き合う前も後も変わらない。 別に奥手キャラでもないし、清く正しく、なんて一昔前の綺麗事を主張するつもりもない。 ただ、がっつく程の事でもないと思うし、そもそも俺も水森も、色恋で騒ぐようなキャラじゃない。自分達のペースでいい、そう思ってる。 それを周りが勝手に騒ぎ立てるのは、やっぱり少し、不快感が増す。同時に焦りも。 ……自分達のペースでいいと思っている俺が、間違ってるのか。 水森自身は、それ以上を望んでいるのか。 それに俺自身も、もう少し先に進みたい、そんな思いも少なからずある。 頭抱えるほど固執していないだけだ。 望んでいないわけじゃない。 彼女と付き合い始めて、3ヶ月。 そろそろ彼女自身にも触れたい思いが芽生え始めていた。 トップページ |