これから それから程なくして、マンションに辿り着く。 シートベルトを外し、水森が助手席から降りた。 その姿を見届けてから、俺も運転席を降りる。 そのままお別れだと思っていたらしい水森は、俺の行動に首を傾げていた。 「部屋の前まで送ってく」 そう告げて手を差し出せば、水森は戸惑いつつも、おずおずと手を差し出してくる。 緩く握った手は滑らかな曲線を描いていて、温かくて柔らかい。 頬を染めながら唇を結んでいる水森は、なんというか、とても可愛かった。 彼女の部屋は3階にある。 さほど遠い距離でもない。 だから手を繋いだところですぐ離さなければならないけど、彼女の特別なポジションに立てた事が嬉しくて、その立場を実感したかった。 そんな格好悪いことを言う勇気もなく、マンションの中に足を踏み入れる。 エレベーターを素通りしてわざと階段を使うあたり、わかりやすいなと自分でも思う。 3階の上り口に着く頃にはお互い息が上がっていて、間抜けすぎて少し可笑しかった。 「今日は、誘ってくれてありがとうございました」 部屋の前に着き、水森が俺に頭を下げる。 こんな時でも彼女は丁寧だ。 「こちらこそ。また明後日、会社で」 「はい」 「ちゃんと鍵閉めろよ」 「……はい」 「……」 「……」 なんとなく、互いに見つめ合う。 名残惜しくて離れがたいとか、ほんとどんだけだよ。 まだ掛けるべき言葉があるんじゃないかと思案していた時、水森は急に身を翻した。 「ちょっとだけ、待っててください」 「え」 俺の返事も待たず、彼女は部屋の扉を開ける。 そして奥へと消えて行った。 訳もわからず待っていれば、カシャン、と鈍い音が部屋の奥から聞こえてくる。それは、どこかで一度は聞いたことがある無機質な音だ。 何の音だったかと首を捻っていたら、水森は小走りで玄関先へと戻ってきた。腕に、何かを抱えながら。 その何かに視線を落とせば、2匹の小動物が彼女の腕に抱えられている。茶色い毛並みで覆われた、耳がペタンとしな垂れているウサギだった。 そして傍らには、白と黒の毛が入り混じった謎の生き物。 長い毛並みで覆われていて、顔がどこにあって尻尾がどこなのかもわからない。 わからないが、確実にウサギではない。 「……モップ?」 「モップじゃないです。ウサギのウサ子と、モルモットのモル男です」 「……そのまんまだな」 「そのまんまです」 ネーミングセンス皆無か。 苦笑しつつウサギを撫でれば、つぶらな瞳を俺に向けたまま、鼻先をすんすんと鳴らし始めた。 俺の手は食いモンじゃないんだけど。 飼い主に似たのか。 モルモットらしい生き物に至っては、どこに目があって口があるのか、全然わからない程のもっさり具合だ。 「ペット、いたんだ」 先程の鈍い金属音は、ゲージを開閉している音だったらしい。 「はい。キリタニさんはペットを飼っていないようなので、黙ってたんですが。折角の機会なので、ご紹介しようかと」 ああ、なるほどな。って思った。 ペットを飼っていない奴にペットの話をされるほど、苦痛なものは無いから。 その辺りの機転や気遣いが咄嗟に、自然とできてしまう。他の女の子には無い、水森だけの長所だ。 「あの」 両腕に収まっている2匹を抱え直して、水森は俺を見上げた。 相変わらずの無表情で。 「これからも、よろしくお願いします」 「うん」 「飽きられないように、頑張ります」 「……」 その言葉の端から、彼女の中にある不安が感じ取れる。 好意を抱いていた男から飽きられて、振られてしまった過去の記憶。 俺を信用していないわけじゃない。 それでも、不安要素は拭えないんだろう。 「……頑張らなくてもいいよ」 「でも」 「関係が変わっても、何かを無理に変える必要ないだろ」 「………」 「今までみたいに仕事の話して、株の話もして。またこうやってご飯、食べに行こ」 「……キリタニさん」 「俺達は『ご飯仲間』、だろ」 「……はい」 花びらが舞うように、水森はふわりと微笑んだ。 ご飯を食べてる時の笑みとはまた違う、きっと本来の素の笑顔。 ……ここで全開の笑顔とか、ほんと反則だ。 コートのポケットに手を突っ込んだまま、身を屈める。彼女の吐息を唇で感じながら、そっと熱を落とした。 すぐに顔を離せば、無表情のまま赤面してる水森の姿がある。 違和感がありすぎて、なんか笑えた。 「ふ、不意打ちはズルいと思います」 「そっちもな」 「え?」 「そろそろ帰る」 「え、あ、はい。おやすみなさい」 「うん。おやすみ」 ゆっくりと扉が閉まる。 施錠する音を確認してから、俺もその場から歩き出した。 頬を撫でる夜風はひやりと冷たくて、でも心は温かい。 スマホを取り出して時間を確認すれば、もう22時を回っていた。 水森といると時間が経つのが早い。 自宅から着信があった事にすら気付かなかった。 車に戻ってから自宅に電話を掛け直そうとして、けれど突然、ライン音が響く。 その相手先の名前を確認して、つい口元が緩んでしまった。律儀すぎる。 彼女らしいシンプルな文面に苦笑しながら、俺もシンプルな一言を打ち込んで、送信ボタンを押した。 (本編・了) トップページ |