関係の始まり2 思えば、あのキスが始まりだった。 あの日以来、誰も見ていないところで、こっそり春とキスをする回数が増えた。 家の外や学校ですることはなく、決まって互いの部屋のみに限定していた。 桐谷のおばさんもおじさんも家にはいない。 郁兄は夜になれば帰ってくるけれど、残業や飲み会で帰りが深夜になる事もあるし、休日に会社へ行くことも多い。 人の不在が多いこの家の中は、都合がよかった。 ふと、春と目が合った瞬間。 会話が途切れた時にできる、僅かな間。 なんとなく、何気なくキスを交わす。 私達は何やってるんだろう。 このキスに、何か意味があるんだろうか。 そんな考えが何度も頭にちらついたけど、誰にも見つからないように隠れてするキスは思いのほか楽しくて。 私はすっかりハマってしまっていた。 失恋の痛みは一日二日で癒せるようなものじゃない。 部活が始まれば、体育館を2面に分けたその先に先輩の姿があって、視界に入る度にぎゅうっと胸が締め付けられた。 けれどもう、泣きたくなるような衝動は無い。 家に帰れば春が待っていてくれる。 思う存分、私を甘やかしてくれる。 甘いキスをくれる。 春がくれる優しさに、私は縋ってしまっていた。 溺れてしまっていた。 そんな日々が3ヶ月続いた。 「………え、春……?」 戸惑いと緊張で自分の声が震えてる。 いつもと違う様子の春に、私は困惑を隠せなかった。 時間はまだ夕方だった。 空からは雪がちらついている。 郁兄は仕事中で帰ってきていなかった。 暖房の効いた春の部屋で、私達、2人きり。 隣同士に並んで、キスを交わしてた。 いつもなら、それで終わる行為。 でも、今日はそうじゃなかった。 唇が離れた直後、ぎゅうと春が胸に抱きついてきた。 いや、抱くなんて優しいものじゃない。 ぎゅうっと、しがみついてくるようなもの。 予想だにしていなかった展開に、私は動揺した。 「え、どしたの……?」 なにか、様子がおかしい。 事態をうまく飲み込めないまま、しがみつく春の頭をぽんぽんする。 それでも春は何も言わず、それどころか強く、強く私に抱きついてくる。 さすがに、キツくなってきた。 「……ね、春、くるし……」 苦しさを訴えようとしたけれど、出来なかった。 突然、重心が後ろに傾く。 視界いっぱいに、天井が滑る。 そのまま、床に押し倒された。 私に覆い被さってくる春の瞳は、深い漆黒に染まっている。 その目を見た瞬間、背筋がぞくっとした。 春が今、何を考えているのか。 何をしようとしているのか、瞬時にわかってしまったから。 キスは、まだいい。 いや、良くはないけど。 ないけど、まだ私の中では受け入れられる範囲だった。 でもこれは、この先はもう、全然違う。 キスの時みたいに、ノリとか、好奇心でしていい話じゃない。 「ま、まって」 圧し掛かってくる体を必死に押し返そうとするけれど、春の体は離れない。 「は、春」 「………」 「さすがにこれはマズイって」 「……どうして?」 「ど、どうしてって」 は、春が。 あの天使な春くんが、野獣化してる。 「もかは、俺とするの、いや?」 「い、嫌とかそういう話じゃなくて」 だってこれは、コイビト同士がする行為だ。 私達はそういう関係じゃない。 家族だもん。 だから、こんな事をするのはおかしい。 キスしてる時点でもう既におかしいけれど、これ以上先へ進むのはさすがに抵抗がある。 それに素肌を男の子に晒すのも恥ずかしい。 なんで春はこんな事を望むんだろう。 したいから? また、好奇心から? そう問いかけようとしたけれど、春の手が服の中に忍び込んだ直後、疑念は全て吹き飛んだ。 焦りは途端に恐怖へ変わる。 「や、やだ」 「……もか」 「や、むり、こわい……っ」 いやいやをするように、懸命に首を振る。 最後の方は泣き声に近い。 行為そのものより、いつもと違う春の方が数倍、怖かった。 目尻に浮かんだ涙を、春の指先が拭う。 そっと目を開ければ、困ったような表情で微笑んでいる春の姿があった。 いつもと同じ穏やかな笑みに、少しずつ恐怖心が消えていく。 震えていた体も落ち着いてきた。 「……春、なんで?」 恐る恐る問いかける。 「……もかは、何で嫌なの?」 逆に問いかけられてしまう。 「え、だって……」 「だって?」 「は、初めてだもん。こわいよ」 「それだけ?」 「は、恥ずかしいし」 「うん」 「春も、なんかいつもと違うし」 「そうかな」 「そうだよ」 断言すれば、春は小さく笑った。 その表情も、声音も口調も、いつもと同じ。 春はいまだに馬乗りになってるような体勢で、私は彼に押し倒されている状況なのは変わらずだけど、春がいつも通りに戻ったように見えて安心してしまった。 「よかった」 だから、春のその一言に首を傾げてしまった。 よかった、って、何が? 「もかは、俺とするのが嫌なわけじゃないんだね」 「え……」 思わず目を見張ってしまう。 春にそう言われて気がついた。 私は、春がいつもと違うことが怖かっただけ。 この先に進む事に恐怖を感じたのも本当だけど、春が優しくしてくれるなら、この先も受け入れられそうな気がした。 春が望んでいるなら受け入れたい。 他の男の子は嫌。 春がいい。 どうしてそう思えるんだろう。 春は家族なのに。 恋愛対象じゃないのに。 初めてキスされた時も、全然嫌じゃなかった。 あの時は失恋したばかりで悲しかったけど、春が隣にいてくれて、私の話を聞いてくれて、それがとても嬉しかった。心強かった。 明日からまた頑張ろうって、そう思った直後にキスされた。 あまりにも突然のことで驚いたけど、何故か心は舞い上がった。 あの時、私はきっと春のことを「家族」じゃなくて、初めて「男の子」として見たんだ。 その後、何度も春とキスをした。 嫌だなんて一度も思わなかった。 何やってるんだろうと頭の片隅で思いながらも、やめてほしくなくて、この不誠実な関係を続けた。 どうして、やめてほしくなかったんだろう。 春がキスをくれる度に嬉しかったのはなんで? いつの間にか「男の子」になってた春に、胸が高鳴ったのはどうして? その答えを導き出せないまま、私は春の眼差しを見つめ返した。その答えを求めるように。 ゆっくりと、春の顔が近づいてくる。 私も自然と目を閉じていた。 そっと触れ合った温もり。 離れてはまたくっつけて、を何度も繰り返す。 「俺も初めてだよ」 「?」 「するの」 「………」 「初心者マークつけないと」 おどけて言うから、緊張も緩んでしまった。 「ね、初めての時って痛いのかな」 「優しくする」 「優しくされても痛いものは痛いもん」 「うーん、そこはほら、愛情でカバーみたいな」 「なにそれ。変なの」 「もか」 「ん?」 「俺とするの、いや?」 さっきもされた問いかけを、もう一度受ける。 でも、今は。 「……いやじゃないよ」 したい、という気持ちは正直、ない。 でも、春が私を望んでいるなら。 春が私を選んでくれたなら。 私の初めては、春にあげたい。 ―――――――― ――――― 頭が酷くぼんやりする。 体中が熱くて溶けそうだった。 部屋が暑いとか、風邪を引いたときに出る熱とは全然違う火照り方。 熱に浮かされるって、こういう事を言うのかな。 「……もか、大丈夫?」 春の声が、少し掠れていた。 小声だったからかもしれない。 心配させたくなくて、私は小さく頷いた。 「ねえ、好きだよ」 耳を疑った。 何の前触れもなく、さらりと告げられた一言に頬が熱くなる。 聞き逃しようのない告白に、鼓動は甘やかに胸を打ち始めた。 ………どうして。 どうして、そんな事を言うんだろう。 私達はいとこ同士で、家族。 それは揺るがない事実。 私にとって春は恋愛対象じゃないはずで、それは春にとっても同じこと。 それとも春は、好きじゃない女の子にも好きとか平気で言うの? 違うよね。 春はそんなに軽い男の子じゃない。 それは私がよく知ってるもん。 じゃあ、なんで今、私に好きって言ったんだろう。 気分を盛り上がらせるため? 私も、好きって言った方がいいの? 困惑と躊躇が混じり合った頭の中。 けどそれも、下腹部に襲った痛みで思考を遮断される。 「あ……っ」 理性と本能の狭間で悟る。 このまま春を受け入れたら、普通の家族ではいられなくなってしまう事を。 春を、家族として見れなくなる。 もう、戻れなくなる。 そんな確信めいた予感が、一瞬この行為を、受け入れようとした覚悟を忘れさせたけれど。 「もかが好きだ」 「………」 「だから、俺を受け入れて」 その一言ですべて、霧散した。 トップページ |