関係の始まり1


 ―――春との、意味のないこの関係の始まりは、16歳の時だった。





「………フラれた」


 残暑も過ぎ去った10月の半ば。
 私室にあるベッドの上で、私は膝を抱えて沈み込んでいた。
 隣には、春が並んで座っている。
 学校から帰ってきて早々、自室に引き篭ってしまった私の異変に気づいたのか、すぐ様子を見に来てくれたけれど。


「……え?」


 そう告げれば、春から驚きの声が上がる。


「……もか、好きな人いたの?」

「………」


 答える気力すらなかった。
 顔も上げられず、小さく頷くことしかできない。
 生まれて初めて味わった失恋の痛みは、予想を遥かに超えるほど、深い傷跡を心に残した。




 春と一緒に、地元の高校に進学した。
 一見普通の高校だけど、バレーにバスケ、新体操など、屋内スポーツに関しては毎年好成績を残している、いわゆるスポーツ強豪校だった。

 バスケ好きが講じて女子バスケ部に入部したのはいいけれど、その練習量や質は、強豪校ならではの、かなりハードなものばかり。
 次々に音を上げて退部していく子達が多い中、キツい練習にも必死に食らいついた。
 レギュラーをとりたいが為の執念ではなく、ただ単純に、ここで挫けたら所詮その程度な奴なんだと思われるのが嫌だったから。
 負けず嫌いな性格が、こんなところで功を成しただけだ。


 そんな苦しい練習の合間や休憩中に、よく話をしていた人がいた。


 男子バスケ部の副主将。
 1つ年上の、明るくて頼りがいのある先輩。
 笑うと出来るえくぼが特徴の、優しくて気さくな男の子だった。


 厳しさがある意味取り柄の郁兄とは、まるでタイプが違う人。
 そのギャップの差に最初は驚いたもので、自然と興味を抱いた。
 その好意は、徐々に特別なものになっていく。

 初めて男の子を好きになった。
 初恋だった。


 先輩は、私以外の女子と積極的に喋る方ではなかった。
 女子バスケ部の中で仲がいいのは、私だけ。

 もしかして、先輩も私のことが―――

 ……なんて、今思えば本当に、思い上がりも甚だしい。



 先輩には好きな人がいた。
 私も、誰も知らない女の子に片想いしてた。
 他校の生徒らしい。

 それを知った時、胸にひどい痛みを感じた。
 呼吸がうまく出来なくて、心は悲しみの色で染まっていく。
 なんて滑稽なんだろう。
 とんでもない勘違いをしていた自分を恥じた。


 気を抜いたらすぐに泣いてしまいそうで、練習を中断して家に帰ってきてしまうという失態。具合が悪くなった、なんて、ありがちな嘘まで吐いて。
 とてもじゃないけれど、平常心で練習を続けられる自信がなかった。

 帰ってくるなり、部屋に閉じこもっている私。
 それが、今。

 今日、私は失恋した。


「あーあ……」

「………」

「ほんとに好きだったんだけどなあ」


 最近の、先輩の態度が妙によそよそしく感じていたから、きっと私の想いに気がついていたんだ。
 でも、ちゃんと想いを告げる前にフラれるとは、さすがに思っていなかった。
 それが心残りではあったけれど、先輩も先輩なりに考えて、好きな人がいることを早々に打ち明けてくれたんだと思う。
 「想いに応えてあげられなくてごめん。ありがとう」と、誠実な返事もしてくれた。

 体調悪い、なんて理由で早上がりできたのも、先輩が気を遣って、女子バスのキャプテンに事情を話してくれたからだ。
 明らかな嘘なのに、話を合わせてくれた。
 先輩はやっぱりどこまでも優しかった。


「先輩ね、ずっと好きな人がいるんだって。5年越しの片想いなんだって。すごいよねえ」

「………うん」

「先輩の恋が実るといいなあ」


 いっそ好きな人にフラれて、私に見向きしてくれないかな、なんて浅はかな考えは浮かばなかった。

 散々部屋で泣いた後は自然と心も軽くなって、不思議と元気が沸いてくる。失恋の痛みは、涙と一緒に流れちゃったみたい。
 泣いてる間、春がずっと隣にいてくれたのも心強かった。

 初めて好きになった人が先輩でよかった。
 今ならそう思える。


「春はさー」

「うん?」

「好きな人いないの?」


 問いかければ、春の目が私に留まる。


「……どうして?」

「春からそういう話、聞いたことないし」

「気になるの?」

「うん。だって春すごくモテるもん」

「そんなことないよ」

「あるよ。高校入ってから何度か告白されてるでしょ」

「なんで知ってるの」

「もかちゃんは何でも知ってるのだ」


 茶化すように言えば、春は小さく笑う。


「今は、誰とも付き合う気がないから」

「ええ、もったいない」


 大人しいけれど真面目で優しい春は、見た目だけじゃなくて中身まで絵に描いたような好青年。彼女が出来たら、ずっと大事にしてくれそうなタイプ。
 そんな春の、彼女のポジションに立ちたいと切望してる女子は周りにたくさんいる。
 選び放題、よりどりみどりなのにね。
 もったいない。

 大体、今は誰とも……って、じゃあいつ? って話になる。


「あ、いいな。って思った子と、付き合ってみればいいのに」


 だから、そう助言してみた。
 まあ春の性格からして、「そういう曖昧な関係から始めるのは好きじゃない」って言うだろうなあ、なんて思いながら。

 でも。


「俺はいい。もかがいるから」


 返ってきた言葉は、私が予想していたものと全然違った。


「………へ?」


 はたり、と瞬きを落とす。
 隣に目を向けても、春はずっと俯いたままで視線が合わない。
 わざと期待感を持たせるような告白に、頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。


 私がいるから、彼女は要らない。
 そう、春は言った。
 そこに込められた意味はわからないけれど、その思考はちょっと、よろしくない気がする。


「え、えっと?」


 なんて答えていいのかわからず戸惑っていると、隣にあった温もりが離れた。
 と思ったら、すぐ目の前に移動する。
 向かい合わせになった春が、私に視線を向けた。

 言葉も無く見つめ合う。
 顔が近い。
 胸が途端にざわつき始める。

 なにこれ。
 なにこの状況?


 春の意図が読み取れなくて、私は身動き一つできず固まっていた。
 先に視線を逸らしたのは春の方で、そのまま、私の肩にもたれ掛るように頭を預けてくる。
 こつん、と額を肩口に埋めてきた。

 なんでかな、私よりも春の方が落ち込んでいるようにも見える。


「………春?」


 どうしたの。
 何かあったの?

 そう問いかけようとしたけれど。


「………俺は10年越しの片想いなのに」


 ぽつりと囁かれた一言は、うまく聞き取れなかった。


「え? ごめん、何? 聞こえなか、」


 言いかけて、途中で塞がれた。






 触れていたのは、ほんの数秒だけ。
 でも、もっと長く感じた。

 目の前に、春の睫が見える。
 唇には、自分じゃない人の熱が触れていた。


 ―――……キス、だ。


 あれ、キスしてる。
 わたし、今、春とキスしてる。


 そう理解できたところで突き放すことも出来ず、ただ黙ってキスを受け入れていた。


「……は、春?」


 唇が離れた直後に出た声は掠れている。


「え、あの、今、あの」

「……嫌だった?」

「あ、ううん、ビックリした、けど」

「引いた?」

「引いてはいないけど、え、なんで」


 言葉が途切れ途切れになる。
 頭の中はすっかり混乱していた。

 だって今、キスするような流れじゃなかった。
 それっぽい話もしていなかった。
 ていうか、キス自体初めてだったのに。
 まさか初めて失恋した日に、初めてのキスを奪われることになるとは思わなかった。しかもイトコに。


 改めて、春の顔と向き合う。
 なんでキスしたの? そんな疑問を抱きながら顔色を窺う。
 ほんのりと目元を赤く染めている春の瞳は、不安定に揺れていた。


「したかったから」


 何を? なんて聞かなくてもわかる。


「そ、そっか。春も男の子だもんね」


 なんて、自分で結論付けてしまった。
 好奇心からだったのか、と。

 勝手に導きだした持論に、ひとり納得する。
 その言葉の裏に隠された、春の本当の想いに気づくこともなく。

 はあ、と小さく息を吐く春は、どこか落胆しているようにも見えた。


「……もかは鈍いよね」

「え、そんなことないよ」

「あるよ」

「ないよ。え、私でよかったの?」

「何が?」

「あ、えーと、き、キスの、相手?」


 自分で言ってても、すごく恥ずかしい。


「うん」


 何の躊躇いもなく頷かれた。


「そ、そう」

「もかは?」

「わたし?」

「俺でよかったの?」


 逆に問われても返答に困る。
 初めてはやっぱり、好きな人としたかった。
 それが本音だけど。


「ど、どうだろ……?」


 私は春のように、迷いなく頷くことができない。

 でも、春としても嫌じゃない。
 嫌じゃなかった。
 それも本当。

 なんでかな。
 家族なのにね。変なの。


「……へへ」


 なぜか笑いがこみ上げてきた。

 失恋したせいで鉛のように重かった心が、ふわりと舞い上がっていく。
 嬉しい感情とは違う、妙な高揚感。
 人から貰ったプレゼントを開ける時の、ワクワクした感じに少し似ていた。

 涙はすっかり引いてしまっている。
 春にキスされた事の衝撃が大きくて、失恋した事も先輩の事も、頭の中からすっぽりと抜けきっていた。


「ねえ、私キス初めてした」

「俺もだよ」

「こんなもんなんだね」

「こんなもん?」

「なんか、アッサリしてた」

「じゃあ、もっかいする?」

「え」


 まるで、「ご飯食べる?」みたいな軽い言い方だった。
 そもそも、なんでそこで「もう一度する?」みたいな流れになるのかも、よくわからない。
 けど気分が舞い上がっている私に、冷静な判断が出来るわけもなく。


「……しちゃう?」


 悪戯っ子みたいに笑う春の表情が、とても可愛く見えて。
 私もつられるように、うん、と軽く頷いていた。

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