家族1


 卒業を間近に控えた2月。
 2月14日。
 聖なるバレンタインの日。
 街中がスイートな香りに溺れるこの日に、桐谷家のリビングではビターな展開が待ち受けていた。

「今なんて言った春樹」
「だから」

 これで何度目? と言いたげな春の溜め息が隣で聞こえる。

 目の前には、前髪をきっちり7:3に分けた渋い感じのおっさんがいる。
 もとい、春と郁兄のお父さん。
 ソファーのど真ん中をひとり陣取っている桐谷のおじさんは、腕を組みながら私達と向かい合っていた。
 見た目はちょっと怖い。
 でも本当は優しくて、面白い人だっていうことは知ってる。主にリアクションが。

「高校卒業したら、もかと正式に付き合いたいから許可が欲しい」
「いっかーん! いかんよ! アカンよ! そんなイキナリそんな、おま、ええええぇぇええっ!?!?」

 素っ頓狂な雄たけびを上げながら、おじさんは勢いよく立ち上がった。
 直後、整っていたはずの前髪が僅かに右にずれて、肌色の面積が広くなる。
 おじさんの頭髪に関しては突っ込まない方がいいのだろうと悟りつつ、私も声を上げた。

「おじさん、お願いします、許可ください!」
「も、も、もかちゃん」

 私に押し切られて、それまで強張っていたおじさんの表情がふにゃ、と柔らかく崩れた。
 勢いが折れたまま、すとん、と腰を下ろす。
 荒ぶった感情を抑える様に深く息を吐いて、真剣な眼差しを私達に向けた。

「……2人とも、一時の感情に流されてるだけじゃないのか」
「一時じゃない」

 春がきっぱりと否定すれば、おじさんの眉間の皺がまた深くなる。
 髪のふさふさはまだ、右にずれたまま。

 直さなくていいのかな、あれ。
 ていうか気付いてないのかな。
 でも「ヅラずれてますよ」って言える雰囲気でもないし、それを言える勇気もない。

「お前達はまだ学生なんだぞ」
「あと半月で卒業だし、ていうか交際は卒業してからって何度も言ってるのに。ちゃんと聞いてる?」

 春の声は明らかに不機嫌だ。
 それもそのはず。
 もうずっと、話がここから進まないからだ。

 許可が欲しいと言えば否定され、その理由を問えば学生だからと言われ、じゃあ卒業してからと答えれば、はぐらかされる。
 もう何度も繰り返されている会話。
 直談判しても聞き入れてもらえず、互いに疲労が見え隠れしてきた頃、軽やかな足音が私達のすぐ傍で止まった。
 コト、とテーブルにコーヒーカップが置かれる。

「もういいじゃない〜。いとこ同士なんだから、何も問題ないわよ」
「大アリだ!」

 にこやかに微笑みながら、私達の真横に立った女の人。春と郁兄のお母さんだ。
 キッチンで夕飯の準備をしながら私達の様子を窺っていたけれど、このままでは埒が明かないと、この井戸端会議に参戦してくれたようだ。
 盆を両手に抱えながら、のんびりした口調と態度は相変わらず。
 これがおばさんの通常運転だけど、今はさすがにおじさんの癇に障ってしまったようで、すぐさま噛み付かれていた。
 それでも動じないおばさんは、やっぱり強い。

 そのおばさんの後ろでは、プリンとスプーン片手に自室へと戻ろうとしている、郁兄の姿がある。
 私達の味方をしてくれるおばさんとは違い、郁兄は味方するつもりはないらしい。
 我関せず、といった感じで、その場からそそくさと立ち去ろうとしていた。

 でも、おじさんは目敏かった。

「―――郁也っ!」

 突然名前を呼ばれて、階段を上ろうとしてた郁兄の足が止まる。
 ものすっっっごく面倒くさそうな顔をしながら、おじさんの方を振り向いた。
 その表情から、面倒ごとに巻き込まれたくないという不満が如実に表れている。

 てか郁兄それ、私のプリンなんですけど。

「……なんだよ」
「2人が間違いを起こさないように監視していろと言っただろう! どうして報告しなかった! なぜこんな事態になっているのかわかってるのか!?」
「んな事言ったって、もうデキちまったんだから仕方ないだろ」
「でっ、ででっ、ででで、でき!?」

 直球すぎる郁兄の一言に、パニック状態に陥っているおじさんの髪が、更に2センチほどずれた。
 肌色が広がり、覗く頭皮がぴかりと光る。

「おいハゲ親父」
「こら郁也! 誰に向かってそんな傷つくようなことを言、」
「それより、前」
「へ」

 郁兄の一言に、全員がおじさんの前に座る人物を見た。
 私にとっては隣にあたる人。
 何だろう、心なしか、隣から不穏な空気を感じるんですけど。

「………何だよ、それ」

 静かな怒りをたたえた低音が響いた。
 ぴりっと空気が凍りつく。
 春の方をチラ見して、びくりと肩が跳ねた。

 邪気を含んだ空気を纏い、冷たい怒りを滲ませた視線はおじさんに向けられている。
 おじさんも、春の形相に固まっていた。

 は、春が。
 あの天使な春くんが、ダークマター化してる。

「監視って何」
「え、いやあの」
「父さん、俺ともかが間違いを起こすってどういう意味だよ」
「春樹、まて、話を聞きなさい」
「―――郁也」

 春の静かな声が、今度は郁兄を呼んだ。
 パパを完全にスルーした。
 眉間に皺を寄せたまま、郁兄が春に目を向ける。

「父さんにそんなこと言われたの」
「中学ん時にな」
「こ、こら郁也」

 おじさんが慌てて止めようとするも、郁兄の口は止まらない。

「適当に、はいはい頷いて受け流したけどな。今の今まですっかり忘れてたわ」
「なっ……」

 痛烈なカミングアウトに、おじさんは絶句した。
 ふらりと体が後ろに傾く。
 背中がソファーの背もたれにぶつかった衝撃で、更に右へとずれるヅラ。既に頭部の半分以上が露出してしまっている。
 命も頭髪も尽きかけた、哀愁漂うハゲたおっさんの姿がそこにあった。
 親父の威厳なんてもはや皆無。
 
「郁也はそう言ってるけど」
「……い、いや、その」
「父さん、見損なったよ。そんな風に俺達のこと見てたんだ」
「はうっ」

 息子の言葉にショックを受けて、おじさんはぴきりと固まってしまった。
 ちょっと泣きそうになってる。
 おばさんは「あらあら」とにこにこしながら事の成り行きを見守っている。マイペースだ。

「あの、おじさん」

 ぐす、と鼻をすすってる本人に声を掛ける。
 春が怒る理由もわからなくはないけれど、私は、おじさんの気持ちもわかるから。

 いとことか、親戚とか、そういう隔ても無しに、家族同然で私に接してくれた桐谷のおじさん。
 12年前の事故で両親を失って、悲しかったのは私だけじゃなかったのに、誰よりも私の身を案じて気にかけてくれた。
 ひとりぼっちになってしまった私を引き取ると、先に言ってくれたのもおじさんだった。

 例えいとこ同士だったとしても、家族が、家族に手を出すというのは、相当の覚悟が要る。
 それを、おじさんは医師という職業を通じて色々見てきたんじゃないのかな。
 いいことも悪いことも、全部。
 私達にはその覚悟を、背負わせたくなかったのかもしれない。

 それに、ひとつ屋根の下で年頃の男女が一緒に暮らすとなったら、もしかしたら、って危惧するのは当然だと思う、親なら。

「おじさんがすごく心配してくれるの、私は嬉しいです。おじさんもおばさんも、郁兄も春も、私にとっては大事な家族です」
「も、も、もかちゃん」

 泣き崩れそうになってたおじさんの表情がまた、ふにゃん、と柔らかく崩れた。

「でも、家族だからって自分の気持ちを誤魔化したくないです。大げさかもしれないけど、明日、何が起こるかなんて誰にもわからなくて、『あの時、ああすればよかった』って、そういう後悔は、もう2度としたくないんです」
「………」

 両親を亡くして、数年経った今、よく思う。
 あの時、ああ言えばよかったとか、こうすればよかった、って。
 何度も夢に見て、後悔を抱く。

 もう2人はいない。
 おはようも、おかえりも、おやすみも、大好きも、もう言えない。伝えてあげられない。

「ごめんなさい、でも私、春と一緒にいたいです」
「………」
「だから交際を認めてください。お願いします!」

 ぺこっと頭を下げれば、隣でも静かに頭を下げる気配がした。
 おばさんと郁兄は何も言わない。
 緊張で張り詰める空気が満ちる中、静かな溜め息が聞こえた。

「……2人とも、顔を上げなさい」

 その言葉に導かれて視線を向ける。
 どこか迷いの吹っ切れたような表情を浮かべながら、おじさんは小さく微笑んだ。

「なんだ、その」
「………」
「……行き過ぎた行為だけは、慎むように」
「……はい」

 ……行き過ぎた行為、しすぎてますけどね……。

「ふふ、一件落着かしら?」

 おばさんの一言で、その場が和やかな雰囲気に変わる。
 隣を見れば、春も小さく笑ってた。
 安心したら、お腹空いてきちゃった。

 その一方で、郁兄は階段に座りながら、ひとり優雅にプリンを食べていた。
 空気とか読まない。
 この郁兄のマイペースっぷりは、やっぱりおばさんからの遺伝なのかもしれない。

 夕食後のデザートを奪われ、悲しみに暮れる私を気に掛ける事もなく、奴は人のプリンを完食した。
 食べ終わった後、階段から降りてきておじさんに声を掛ける。

「おいハゲ」
「親父はつけよう!! せめてハゲ親父って言おう!!」

 涙ながらに訴えるおじさんの主張も、郁兄の心には響かない。
 誰もが口にする事が出来なかった一言を、奴は何の躊躇いもなく、言い放った。

「ヅラずれてんだけど」

 ド直球だよ。

「えっまじ? ちょ、早く言ってよ、もーお」

 ……なんでオカマ口調なんだろう。

「ちょ、直して直して」
「いやだ。自分でやれ」
「えっ、どっちにズレてんの? 右? 左?」
「左」

 何の迷いも無く、郁兄は真顔で言った。
 清々しいまでの嘘を。

 左の方へずれたと思い込んでいるおじさんは、自らの手で直そうと、ヅラを右側に戻した。
 でも、本当にズレているのは右側。
 盛大に右にずれていたヅラが更に右へと寄って、丸ハゲ間近となった頭皮がぴかーんと光り輝く。
 その場にいた全員が、ぶはっと噴き出した。

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