登下校中の災難 私――― 最上《もがみ》もかと、従兄妹にあたる彼は、誰にも言えない秘密を共有している。 「―――もか」 放課後。 窓から夕日が差し込む廊下の端。 背後から私を呼び止めたその声は、既に聞き慣れてしまったもの。 透き通った綺麗な低音は、家で聞くそれと学校で聞くのとでは、微妙に温度が違う気がする。 気がするだけ、かもしれないけれど。 足を止めて後ろを振り向く。 その先にいたのは、予想通りの彼の姿。 両隣にいた友人2人が、その途端、黄色い声を上げた。 ミーハー共め。 「もか、今帰り?」 「うん、そうだよ。春も?」 息を切らしながら駆け寄ってきた男の子。 私の目の前まで辿り着いた後、友人達にも軽く会釈をしている。 彼女達は頬を赤く染めて、やや長身の彼をキラキラした眼差しで見上げていた。 ……ミーハー"友"め。 夕日に照らされた彼の髪が、温かみのある色合いに染まり、紅の影が落ちる。 端正な顔立ちと爽やかなルックス、そして穏やかな人柄でみんなに好かれている彼は、私の従兄妹の桐谷春樹《きりたにはるき》。 同じ高校に通う、同い年の男の子。 「この時間に春と会うの、珍しいね」 「今までは、もかの帰りが遅かったからね」 「うん。部活も引退しちゃったし、こんなに早く帰れるの、変な感じ」 会話を交わしつつ、隣同士に並ぶ。 夕闇に染まる廊下に、4つの影が伸びていく。 彼と帰りを共にするのは、かなり久しぶりかもしれない。 「今帰りなら、俺も一緒にいいかな」 「も、「勿論大丈夫です! さあ今すぐ行きましょう何処までも!!」 恍惚《こうこつ》とした法悦の輝きを満面に浮かべ、私を押しのけて友人達が会話に入ってくる。 ガッツキ具合が半端ない。 白けた視線を送る私とは対照的に、春はそれすらも優しい笑顔で受け止めている。 「あ、ごめんね。一緒に居られるの、校門前までなんだ」 春がそう告げれば、小さな悲鳴が上がる。 「なんで? 春、どっか行くの?」 「行かないけど―――郁也が、車で迎えに来てくれるみたいだから」 その一言に、私は目を瞬かせた。 「……え? ええっ? 郁兄が?」 予想だにしていなかった人物の名を聞かされて、思わず目を丸くする。 困惑している私に、春はポケットからスマホを取り出し、画面を私の前にかざした。 ずらりと表示されている着信履歴。 その一番上の欄に、件の名前が載っている。 なんてこった。青天の霹靂だ。 「……あの郁兄が、お迎えに」 「……うん」 「……雨降るかな。いや雪かな。みぞれかな」 「雪もみぞれも勘弁してほしいね」 確かに。今はまだ紅葉煌く秋の季節だ。 とはいえ、このショッキングな事態に、雪んこ様もうっかりフライングしちゃうかもしれない。 それ程までに、この出来事は私と春にとって衝撃的な事件なのだ。 その例の人物――― 私と春より2つ年上の郁兄、桐谷郁也《いくや》は、春に負けず劣らず端正な顔立ちで、間違いなくイケメンの部類に仲間入りする人物。 兄弟というわりに、顔はあまり似ていない。 中身に至っては、まるで正反対だ。 大人しく温厚な性格の春と比べて、郁兄は少々、いやかなり難アリな性格をしている。 いや、難アリっていうか、あれはもう――― 「悪魔だね」 下駄箱の中に上靴をポイッと突っ込んで、勢いよくロッカーの扉を閉める。 カラン、と地面に落とした外靴に片足を引っ掛けながら、私はもうひとりのイトコをそう吐き捨てた。 「悪、魔?」 不穏極まりない単語に、2人の友人は不安そうな顔つきで、私と春を交互に見やる。 春も異論は無いと言うように、控えめに頷いた。 普段から、あの悪魔による暴挙の被害を被っている私と春は、共に同じ苦労を分かち合う同志なのだ。運命共同体なのだ。 「……そんなにすごいお兄サンなの?」 友人達の問い掛けに、春は微妙な表情を浮かべながら「ちょっと、ね」と曖昧に言葉を濁した。 私と春は小学校から高校まで、地元の同じ学校に通っている。 けど郁兄は違う。 自身がモテる事を十分理解しているあの男は、「女に引っ掻き回されるのはウザい」と男子校に通っていた。 つまり友人達を含め、この学校の人達は郁兄の事をほぼ知らない。 春に兄がいるって事自体、知らない人が多そうだ。 これは、考えようによっては都合がいい。 普段の鬱憤を晴らす、いい機会じゃないか。 私は堪らず声を張り上げた。 「そりゃもうね! イケメンだか何だか知らんけど、ちょーっとだけ顔がいいだけで実態は極悪非道の限りを尽くす、最低最悪の大魔神だよ! 口は悪いし暴力振るうし、面倒くさがりで人に厄介事全部押し付けるし! 挙げ句の果てに、人が買ってきた高級プリン全部食べやがった! 昨日!!!」 私のプリンだったのに。1個148円。 絶対許さん。 「本当に、もうやる事なす事ゲスの極みなんだから! いっそ豆腐の角に頭ぶつけて、1度天に召されればいいのにー!」 早口でまくし立てる私に、ただ呆然と傍聴していた友人達の表情が曇っていく。 そして互いの顔を見合わせた2人は、 「顔がよくても性格悪いのはムリだよね……」 と、眉をひそめながら囁きあった。 そうそう、やっとわかったか。 顔がいいってだけで優遇されるのは、漫画や小説の中だけの話。現実は、顔だけでは世の中渡り合えないのだ。 外が良くても、中身が伴っていない奴なんて所詮、その程度。郁兄がいい例だ。 それを、友人達もやっと理解してくれたようだ。 ああスッキリした。 なんて気分がいいんだろう。 間接的ではあるけれど、郁兄に一泡吹かせたみたいで嬉しくなる。 私の答弁は、後世に残る名演説をしたと言っても過言ではない。 全米は私の勇姿に涙するがいいよ……。 ―――なんて。 すっかり有頂天になっていた私は、この時、背後から忍び寄る邪悪な気配に全く気付いていなかった。 いち早く気付いた春が、慌てたように私を制す。 「もか、待って。やばい。今はそれくらいで」 「それこそ待って! まだヤツの悪行を残り581点ほど、」 「悪行が、―――何?」 不機嫌さを滲ませた声が、真後ろから聞こえた。 当然、春の声ではない。 勿論、友人達のものでもない。 けどそれは間違いなく、私がよく知る人物の声だった。 背後から感じる威圧感。 身に覚えのあるそれに血の気が引いていく。 背中に、嫌な汗が流れたような気がした。 ―――わあ、やっちまった。 数分前の自分の発言を後悔したところで、時既に遅し。 可能であれば、このまま振り向かず全力ダッシュで逃げ出したいところだけど、後ろから羽交い絞めにされてスリーパーホールド(※プロレス技)をかまされるのは目に見えている。 だから私は、余裕の表情で振り返った。 顔をひきつりながらも堂々とした態度を見せたのは、内心ビビっているのをヤツに知られたくないが故の、小さな意地とプライドだ。 体ごと向き合った、その先にいたのは。 それはそれは大変麗しい顔立ちの、うすら笑いを浮かべた郁兄ご本人様だった。 「『581点ほど』? ぜひ聞きてーなその戯言。な、もか?」 にこやかに微笑んだ郁兄の額に、ぴきりと青筋が見えた。 ……………あ。私これ、死んだわ。 トップページ |