約束1 「ねえ、もか」 「なに?」 呼びかけられて顔を上げる。 暖房のお陰でぽかぽか暖かい部屋の中。 折り畳みテーブルを挟んで、向かい合わせでアイスを食べている春と私。 テーブルの上には2人分のカップアイス。 チョコチップが入ったアイスをスプーンで掬って、春は私の口元まで差し出してきた。 促されるままに、ぱっくんちょする。 間接チューとか余裕ですね。 「付き合い始めたら、どこか遊びに行こうよ」 はた、と瞬きを落とした私に、春はにっこり微笑んだ。 雪がちらほら降り始めてきた12月。 期末試験を終え、私はすっかり伸びきっている。 そんな私とは逆に、春は2月のセンター試験に向けて勉強まっしぐらだ。 ずっと机に向かいっぱなしはさすがに疲れるみたいで、合間に休憩を挟みながら勉学に励んでいる。 今はその休憩中で、その最中に受けたのが、デートのお誘いだった。 「今までさ、2人で出掛けた事なかったよね」 春のその一言で気がついた。 確かに、休日に2人で遊びに行った記憶が無い。近くのコンビニへ行く程度でしかない。 私はバスケの練習があったし、春は3年になるまでバイト三昧だった。 だからどこかへ行こうにも、互いにスケジュールが合わない。 そもそも、2人でどこかへ行こうっていう発想がまず無かった。 高校卒業したらちゃんと交際すると決めた今、デートという名目で2人で出掛けても、別におかしなことじゃない。 そんな事に、今更気付くなんて。 「は、初デート!?」 「うん」 デートだって! 恋人同士みたい! 思わずにやけそうになる顔を止められない。 でも私達の事はまだ、郁兄にも、おじさんとおばさんにも言ってない。 ちゃんと交際を認められたわけでもないのに、初デートの誘いなんて気が早いんじゃないかな。 なんて思った私の疑問は、次に発した春の言葉でかき消された。 「ずっと勉強ばかりしてるとさ、気が滅入っちゃいそうで。明るい未来でも考えていないと、精神的にキツい」 らしい。 受験生は大変だね。 「でも、できるのかな」 「デート?」 「うん」 「なんで?」 さも不思議そうに、春が首を傾げた。 受験に合格すれば、4月から春は大学生。 私は地元の会社員。 春は医大の男子寮に入っちゃうし、私もこの家から出て、1人暮らしを始める予定。賃貸マンションとか、ネットで色々探してるんだから。 互いに住む場所が離れちゃうから、遠距離での交際になるんだよね。 遠距離っていうほど離れてもいないから、会いに行くのは苦労しない。私は。 でも、春はどうなんだろう。 寮から出るのって大変じゃないの? 門限とかありそう。 そんな疑問を投げ掛けたら、春はじっと私を見つめたまま固まった。 どうしたの? 「もか」 「なあに?」 「男子寮って何?」 「うえ?」 「俺、寮に住まないよ」 「………へ?」 目を丸くさせる私の前で、スプーンを持った春の手がアイスを掬う。 そして、また私に差し出してきた。 春のアイスなのに食べてもいいのかな? と思いつつ、2度目のぱっくんちょ。 「あのね、もか。医大の男子寮を利用するにも人数制限があるから、入寮は条件付きになるんだよ。成績優秀者が第一条件なのと、あとは家から通うことが出来ない人。遠方の人が対象になるの」 「………」 「俺は家から余裕で通えるし、対象外」 「………」 「わざわざお金かけてまで寮に住まないよ」 「……そうなの?」 「うん」 そうなんだ。 春、医大の寮には住まないんだ。 つまり、私はまたひとりで勘違いしてたってことですネ。 「言ってよ」 「ごめん。もかも知ってるものだと思ってた」 「あれ、じゃあ春、家出ないの?」 「ううん、出るよ」 カップの中身が無くなって、春の手がゴミ箱を引き寄せた。 その中にぽい、と捨てる。 「来年には、もかも郁也も家出て行くからさ」 「うん」 「1人で住むには、ここは広すぎるよね」 春の言葉に頷きながら、バニラアイスを掬って口に運んだ。 桐谷家のしきたりは、絶対のものじゃない。 だから無理に従う必要はないと、桐谷のおばさんとおじさんに言われたことがある。 でも、私達はしきたりに従う事にした。 中学の途中で、おじさんとおばさんが海外医療ボランティアを支援するようになって以降、家を空けることが多くなった。 高校に進学してからは、ずっと不在の状態。 育ての親がいない中、私達3人は互いに色々助け合いながら、今まで何とかやってきた。 両親以外にも頼れる大人は周りに沢山いたけれど、それでも自分達で出来ることは、自分達でやってきた。 全部、ご両親の為に。 海外医療ボランティアの人員が不足している今、桐谷のおじさんとおばさんの手を必要としている子供達は、向こうの国にたくさんいる。 ご両親が向こうで尽力できるように、私達が遠い地から出来ることはなんだろうと考えた時、早く自立することが2人の為になると、私達は考えた。 私達は大丈夫だから心配しないで、そう胸を張って言えるようになりたかった。 そうすれば、おじさんもおばさんも安心して医療に集中できるのかなって、そう思った。 桐谷家のしきたりがあるからじゃない、結果的に従う形になっただけ。 私達がこの家を出て行ったら、この家はどうするんだろう。このまま残しておくのかな。 誰も住んでいないこの家の事を考えたら、少し、寂しい気持ちが残った。 ふと顔を上げる。 春は肘をつきながら、私を眺めている。 何か、考え込んでいるように見えた。 「春?」 「………あのさ」 「うん」 「今、すごくいい事思いついたんだけど」 「いいこと?」 「2人で住まない?」 「………え?」 ぱちぱちと瞬きを繰り返す。 冗談でも何でもなく、春の目は真剣だった。 「え、ここに?」 「ううん、家からは出るけど」 「それって、同棲?」 「うん。嫌?」 「い、嫌っていうか、急すぎてびっくりした」 「まあ、今も同棲してるようなものだけどね」 苦笑しながらボヤく春に同意する。 確かに、そうかも。 郁兄はほとんど家にいない。 そして今も、ヤツは不在である。 私は部活を引退してから家にいる時間が増えて、以前よりも、春と2人きりの状況が多くなった。 だからって、前みたいな流れにはならないけれど。 もう、全然春と触れ合ってないなあ。 ………別に寂しくないよ。 「もか、今変なこと考えてなかった?」 「考えてませんー!」 残り一口になったアイスを口に運ぶ。 ぽかぽかと温まった体に、冷えたバニラが気持ちいい。 「食べ終わった?」 「うん」 「こっち寄越して」 空になったカップを春に手渡せば、私の代わりにぽい、とゴミ箱に捨ててくれた。 食べ終わったら、休憩時間は終わり。 春の邪魔になるからと部屋を出ようとした時、何故か手を握られて、引き止められた。 「まだ、ここにいてよ」 甘えたような声音に胸がきゅんとする。 「でも、私邪魔じゃない?」 「邪魔じゃないよ。話も途中だし」 「勉強は?」 「大丈夫」 いいのかな? と思ったところで拒否することも出来ず、もう一度その場に座る。 私から手を離してテーブルを片付けた後、春は机に戻らず、ベッドに腰掛けた。 そして、ちょいちょいと手招きされる。 ……な、なんだろう? 首を傾げつつも立ち上がる。 訳がわからないまま隣に座れば、今度は私の真後ろに、春の体が移動した。 脇腹から伸びてきた両腕がお腹に回る。 そのまま、後ろから抱き締められた。 「あー……久々だ」 耳元に吐息が掛かって、体が硬直する。 ぴったりと体が密着して、心臓が途端に暴れだした。 トップページ |