幼き日々2


 もかの両親は、もかの小さな体の上に、覆い被さるような体勢で亡くなっていたらしい。
 土砂崩れに気付いたもかの両親が、咄嗟に、身を挺して娘を庇ったのだろうと父は言った。
 実際そうなんだと思う。
 仲のいい家族だったから。
 両親が命がけで助けてくれたから、もかは今、生きている。

 不幸だったのは、もかの意識があったことだ。

 もし事故の際にもかが気を失っていたら、後々、精神的なトラウマを抱えることも無かったのかもしれない。
 生き埋めの状態で12時間、もかはずっと意識を保ち続けていたんだ。
 体も動かせない、声も出せない。
 目も開けられない、誰も助けに来ない。
 唯一わかるのは、遠くに聞こえる雨音だけ。

 暗く冷たい土の中、自分を庇ってくれた両親の体が、徐々に死へ向かって冷たくなっていく。
 それを、背中越しに感じなければならなかった。
 たった6歳の女の子が背負うにはあまりにも酷過ぎる現実に、母親は顔を歪めて泣き崩れた。

 もし、自分がもかの立場だったら。
 そう考えたら、恐怖で身がすくんでしまう。
 外傷よりももっと大きな傷を、もかは心に負ってしまったんだ。



・・・



 1週間後、もかは退院し桐谷家に来た。

 元々互いの家が近く、俺達は物心ついたときから、よく3人で遊んでいた。
 幼稚園も小学校も一緒で、もかも、何度も俺達の家に出入りしていた。それぐらいの仲だった。

 退院したといっても、もかはまだ学校に通えるような状態じゃない。
 怪我の面でも、精神的な面でも。
 両親を亡くして1週間。2人の葬儀も終わり、みんなが悲しみの底から立ち直ろうとしても、もかだけが塞ぎ込んでいた。
 泣く事は無くなっても、元気だとは言い難い。
 ソファーの上で膝を抱えたまま、顔を伏せて動こうとしない。

「もかちゃん」
「………」
「いっしょにあそぼ?」
「……いい」
「……もかちゃん」
「お父さんとお母さんいないから、いい」
「………」

 何とか元気になってもらいたくて話しかけても、もかは答えてくれない。
 一緒に遊ぼうと誘っても、頑なに拒む。
 こんな状態がずっと続いている。

 困り果てていた俺の元に、郁也が駆け寄ってきた。手には3つ分のプリン。

「もか」
「………」
「プリン食べる?」

 郁也がそう尋ねれば、しばらく反応のなかった小さな頭がむくり、と動いた。
 やっと顔を上げたもかの目が、郁也の手元のプリンに留まる。
 その後に郁也を見て、俺を見て、またプリンに視線を戻した。
 そして、おずおずと手を伸ばす。

「………たべる」

 どんなに悲しくても、辛くても、当たり前のようにお腹は空く。
 もかのお腹がきゅう、と小さく鳴って、「おなか、なった」と呟いたもかの顔は、恥ずかしそうに赤らめていた。
 その様子に、郁也と2人で安心したのを覚えてる。

 その後は3人でソファーに並び、一緒にプリンを食べた。
 相変わらずもかは元気がなかったけれど、プリンは美味しかったようで、また食べたいと俺達にせがんできた。
 その顔は少しだけ、はにかんでいる。
 両親の死から立ち直れずにいたもかが、やっと笑顔を向けてくれたあの瞬間の嬉しさは、今でも忘れられない。



・・・



 あの事故が起きてからの1ヶ月。
 両親は出来るだけもかに寄り添っていたし、俺ももかの傍を片時も離れなかった。
 郁也は自分の好きなお菓子をもかに勧めたり、好きな遊びを一緒にしたり、両親の死からもかの意識を違うものに向けさせようとしていた。
 やり方は拙かったかもしれないけど、ただ元気になってほしい一心で、みんな必死だった。

 その甲斐もあって、もかは少しずつ元気を取り戻し、俺達に笑顔を見せるようになった。
 もともと天真爛漫な性格で、郁也と2人でバスケのボールを取り合いっこしている姿も見かける。
 もかのプリン好きも、バスケ好きも、全部郁也から継承されたものだ。

 重く沈んでいた表情も、今ではすっかり明るいものに変わっている。
 ただ、もかはすごくお転婆だ。
 よく走るしよく転ぶ。
 その度に手足に傷を作ってくるから、結局目が離せない。

「もかちゃん、そこ段差あるから気をつけてね」
「うん」

 学校帰り。
 まだ小1の俺ともかは2人とも同じクラス。
 帰る家も同じだから、登校も下校もいつも一緒だった。

 常に走ったりぴょんぴょん跳ねているもかは、見ているだけで楽しいけれど危なっかしい事もこの上ない。
 段差がある事を事前に伝えたにも関わらず、言ったそばから、もかは転んだ。

 急いで駆け寄って、両手を差し伸べる。
 泣いちゃうかと思ったけれど、それは杞憂に終わった。
 俺が差し出した両手を握って、ぴょん、と勢いよく立ち上がったもかは、へらっと無邪気な笑顔を浮かべていた。

「ころんじゃった」
「大丈夫?」
「へーき」

 水溜りの上で盛大に転んでしまったお陰で、服はすっかり泥まみれになっている。
 自身の格好をしばらく見つめた後、もかは俺を見上げた。

「どろんこ」
「うん」
「いくにーに怒られる?」
「帰ってすぐ洗えば大丈夫だよ」

 濡れていない部分の汚れを手で払ってあげれば、もかは嬉しそうに笑った。

「春くん、おかあさんみたいだね」
「そう?」
「うん。やさしい」

 母親のことを口にしても泣かなくなったもかは、それだけ元気になったという事でもあるけれど、内心は少し複雑だった。
 俺の中では、この頃からもう、特別な女の子として見ていたから。

「帰ろ」
「うん」

 手を取り合って歩き出す。
 始終ニコニコとしているもかの表情に、両親の死を引きずっている様子はなかった。



・・・



 途中から激しく降り始めた雨は、コンビニに着く頃にはもう静かになっていた。一時的な豪雨だったみたいだ。

 パタン、と傘を閉じて店内に入る。
 この天候のせいか、客の姿はほとんど無い。
 客足も鈍いのだろう、人の出入りもほとんどないようだ。

 飲料水が並べられている陳列棚から、ペットボトルを3本取り出す。そのままカゴに入れて、今度はデザートが陳列してある棚へと向かった。
 種類豊富に取り揃えられているプリンの数々を全て買うわけにもいかず、スマホを取り出してもかに電話を入れる。

「もか」
『なーに?』

 のんびりとしたその口調は、俺が家を出る時よりも明るいものに変わっていた。
 耳を澄ませば、近くでカサコソと音がする。
 すぐ側に人の気配。きっと郁也だ。
 一度部屋に戻ったけれど、雨が降っていることに気付いて1階に降りてきたんだろう。

 雨の日に限って、もかの体調が不安定になる事は、当然郁也も気付いてる。
 ずっと気にかけている事も知ってる。

「もかの好きなプリン、色々あるけど。どれがいいのかな」
『一番でっかいやつ』
「……わかりやすいね」

 シンプルすぎる返答に苦笑する。
 特大サイズとか、でっかプリンとか書かれたものを適当にカゴに入れる。プリンだったら何でも美味しいと言ってもかは食べるだろうから、メーカー先なんて気にしない。
 他にも必要なものがあるか聞こうと思ったら、スマホの向こう側で「貸して」と声が聞こえた。

『春樹、俺にも買ってきて』
「いいけど、どれ?」
『3つ並んだやつ』
「………わかりやすいね」

 多分、残り2つは俺達に譲るんだろうな。

『さっき食べたじゃん、人のやつ!』
『足りなかった』

 もかがきゃんきゃん騒ぎ出した。
 また小さな喧嘩が勃発したらしい様子が窺える。

 普段から楽しそうにいがみ合っている郁也ともかだけど、逆に言えば、息が合っているという事だ。
 ひとたびタッグを組めば、この2人に適う者なんていないんじゃないかな。
 二人三脚のレースとかあったら、ぶっちぎりで優勝しそうな2人だ。



 レジで会計を済ませた後に外へ出る。
 空の向こうに、やけに黒い雲が浮いていた。
 今のところは雨音も静かだけど、数分後には
また、酷い天候になるかもしれない。
 傘を広げようとした時、スマホの着信音が鳴って動きを止めた。

「もか?」
『うん』
「どうしたの?」
『こっち、今、雨酷いの』
「そうなんだ。こっちはちょっと弱まったよ」

 俺達の家からコンビニまで近い距離にあるのに、そんなにも天候に違いがあるのかと驚く。
 雨が酷いから、心配になって電話してきたのかな。

「お喋りしながら帰る?」

 きっと断られるだろうな、そう思いながらも問いかけてみれば、案の定もかは「だめ」ときっぱり断った。

『歩きスマホは危ないんだよ』
「うん」
『車とか、走ってきても気付かなかったりするから、だめ』
「うん、わかった」

 身を案じてくれているのがわかるから、素直に頷いた。

『雨、降ってるから』

 注意を促すその声は少し弱い。

『気をつけて帰ってきてね』
「うん」

 通話が切れた後、ポケットにスマホを入れる。傘を広げて、その場から歩き出した。
 空から容赦なく降り続ける雨は傘の表面を弾き、地面へと滴り落ちていく。
 こんな悪天候の中、家で家族を待つだけの身なのも辛いだろう。もかの場合は、特に。

 早く、帰ってあげないと。

 周囲に気をつけながら岐路までの道を急ぐ。
 帰ったらまた3人でプリンを食べることになるんだろうなと、過ぎ去ったあの日の事を懐かしみながら。

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