告白1 あの夜以来、春との仲が少し気まずい。 別段何かが変わったわけじゃない。 朝起きれば普通に挨拶もするし、ご飯だって一緒に食べてる。食卓を囲んで交わす会話だって、他愛の無い話題で盛り上がったりする。 ただそれは、郁兄がその場にいる時のみだ。 極力、春と2人きりになってしまうような状況を避けた。 話す内容も、当たり障りの無い話題をあえて選んだ。 2人きりになってしまったら、また部屋に誘われるかもしれない、それが怖かった。 私と春の関係は間違ってる。 私の想いも、本来家族に抱くような感情なんかじゃない。 普通の家族は、身体を重ねたり恋愛なんてしない。 いとこ同士の恋愛が、たとえ例が少なくてもちゃんと成り立つのは知ってる。 でも私は幼い頃から、ずっとこの家で春と、郁兄と、2人の両親と一緒に暮らしてきたんだ。家族同然の人達だ。 もし私と春が、万が一の可能性をかけて想いが通じたとして、2人の両親はどう思うだろう。 そんなの、深く考えなくてもわかる。 絶対、いいようには思わない。 だから、もうやめるの。 絶対に振り向いてもらえない恋だってわかってて、それでもいいなんて私には思えない。 そんなの、いつまでたっても成長できない。 私だって、好きな人と堂々と付き合いたい。 好きって伝えて、好きって言われたい。 周りから祝福されるような恋がしたい。 隠さなきゃいけない、認めてもらえないかもしれない、あまつさえ家族同然の人と体だけ繋がってるだけの関係なんて、不毛なだけだ。 それに春だって、いつか彼女が出来た時に私の存在が重荷に感じてしまったら、その彼女をちゃんと大事に出来ない。 そんなのだめ。 私は、春の足枷にはなりたくないから。 意図的に避けていることを、春もなんとなく気付いているようだった。 時折、複雑そうな表情を浮かべながら見つめてくる視線に気付いていたけれど、気付いていない振りをした。 何か言いたそうにしているのはわかったけれど、聞きたくなくて目を背けた。 そして結局、春が何かを言うことは無かった。 また元に戻れると思ってた。 今はぎこちなくても、いつかは「あんなこともあったよね」なんて、若気の至りだったとか何だとか言いながら、笑い話にできる日がくるかもしれない。 辛いのは、今だけ。 いつか痛みを忘れられる日が来る。 春のことも、きっと諦められる。 そう思ってたんだけど。 ―――――――――― ――――― 学校からの帰り道。 ゆっくりと、玄関の扉を開く。 床に視線を落とせば、いつもある靴がそこに置かれてはいなかった。 郁兄は当たり前だけど、春もまだ帰ってきていないようだ。 ほっと安堵の息をつく。 きっと放課後も学校に残って、友達と勉強中なんだろう。受験生だもんね。 そのまま階段を駆け上がって自室に入る。 ぽいっ、と鞄をベッドの上に放り投げて、クローゼットを開けた。 「……体、鈍った気がする」 部活引退したせいかなあ。 そんな事をぼんやり考えながら制服を脱いでいく。 スカートのホックを外せば、足元にすとんと力なく落ちた。 胸元のリボンも取っ払って、無造作にポイッと放り投げ捨てる。 シャツのボタンに手をかけて、ひとつずつ外していた―――その時。 「もか」 思いもよらない声が聞こえた。 ドアの向こうから。 え、と思った瞬間、更に予期せぬ事態が起こる。 扉が勝手に開いた。 自動ドアだったっけ? あ、違う。 春が勝手に開けたのか。 「って、ちょっ……!」 ―――わたし着替え中なんだけどっ!! 居る筈のない人物がその場に立っていて、わたしは咄嗟に両手をクロスさせて胸を隠した。 頭で考えるより、先に体が動いてた。バスケで培った抜群の反射神経が、こんなところで本領発揮する。 とはいえ、隠したい場所が全部隠せている状態じゃない。 スカートだって足元に落ちちゃって素足が丸出し。露出度が半端ない。 もかさんの出血大サービスです。誰得。 って、そんな話はどうでもいい! 「か、勝手に入ってこないでよ! 着替えてるんだから!」 そう叫んでみるも、春の反応は薄い。 羞恥心で居た堪れない心持ちの私とは逆に、春は表情を変えることも無く、そのまま部屋の中に入ってきた。 パタンと、後ろ手で静かにドアを閉められる。 その無機質な音は、今この場に2人きりだという現実を、私に呼び起こした。 しまった。 これ、絶対によくない雰囲気になる。 警戒心が生まれる。 心臓がばくばくと乱れた心拍を打つ。 その場から動けないでいる私は、ゆっくり近づいてくる春を、まるで野性動物のように目を凝らして見るしかない。 そんな私の心情を悟ったのだろう。 春の足は、私より数歩離れたところで止まった。 「……春、いたの?」 「いたよ」 「靴なかったよ」 「隠してた」 「なんで」 「もかに逃げられるから」 「っ……、そんなこと、しないよ」 なんて、とんだ口からでまかせだ。 今まで散々逃げ回ってきたツケが、こんなところで返ってくる。 春の声が低い。 感情の篭らないトーンに恐怖を抱く。 なんか、すごく怒ってる……? 春が怒ってるところなんて、18年間生きてきてほとんど見たことが無いような気がする。 静かな怒りを称えた瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。 「ねえ」 不穏な響きを纏った呼びかけに、体がびくりと震える。 「なんで避けるの」 核心を突かれて、ぐっと息が詰まる。 「……避けてないし」 「うそだ」 「うそじゃない」 「今日だって、ずっと目合わせてくれなかった」 「たまたまだよ」 「もか、」 「だから避けてないってば!」 春の言葉を遮って嘘をつく。 何ムキになってるんだろう。 図星を突かれて怒るなんて、避けてますって言ってるようなものなのに。 離れていても、春の機嫌が悪くなっているのがわかる。怖くて彼の顔が見れない。 嘘をつき続けている事への罪悪感もあって、胸が押し潰されそうなくらい苦しい。 どうしよう、どうしたらいい。 必死に頭をフル回転させてみても、パニックに陥っている状態ではその働きも鈍い。 先に沈黙を破ったのは、春の方だった。 一度歩みを止めた足を再び動かして、私に近づいてくる。 腕を引かれて、そのまま布団の上に押し倒された。 ベッドがキシリと音を鳴らす。 咄嗟に体を起こそうとしたけれど、両手首を春に押え付けられてそれも叶わない。 「あっ、や、だめ、春っ……!」 馬乗りになった春は特に何をするでもなく、ただ真っ直ぐ私を見下ろしている。 このままじゃ、また流されてしまう。 そう思って、許しを請うように必死に首を振る。 「俺、なにかした?」 「し、してない」 「じゃあ、いいよね」 「え……」 「もか、俺とこういう事するの好きでしょ」 あんまりな言い草に言葉が出ない。 急速に体の熱が冷えていく。 「……っ、それは春の方でしょ!?」 ショックだった。 まるで、「仕方が無いから付き合ってあげてる」ように聞こえて腹が立った。 やっぱり春は、ただの好奇心から私に触れていただけなんだ。 したかったから、しただけ。 私が好きだからとか、そういう特別な意味は何もない。 そんなの既にわかっていたはずなのに、面と向かってそう告げられたら悲しかった。 「嫌なの?」 「え……」 「俺と、こういう事するの嫌になったの?」 「………」 嫌じゃない。むしろ逆。 春に触れられている時間がすごく好き。 頭の中が春のことでいっぱいになるから。 でも温もりが離れると、不安でどうしようもなくなる。 いずれ春と離れなきゃいけないのに、私だけ彼に、彼との行為に依存してる。 このまま来年まで春への想いを引きずってしまったら、私はこの先、新しい恋もできない。 未来の見えない恋なんて苦しいだけ。 ねえ、春。 わたし春のこと好きなんだよ。 いつから、なんてもうわからないけれど、春への想いに気付いてから、私はずっと幸せだった。 でも春は私のこと、性の対象としか見ていないんだよね? いつかは、本当に好きになった女の子と一緒になっちゃうんだよね? 私はその姿を指くわえて見ていなきゃいけないの? 何も言えなくなった私に、春は傷ついたように顔を歪めた。 「もう、いいよ」 私の両手を解放して、春が体勢を崩す。 ベッドから降りて、私から離れていく。 「もかも、俺が好きなんだと思ってた」 「………え?」 伏せがちな瞳は悲しい色で染まっている。 くるりと背を向けられて、目線も合わなくなる。 私はただ、春の言葉を頭の中で反復していた。 『もかも、俺が好きなんだと思ってた』 「も」って……何? 春も私のこと好きだったの? 「嫌だったなら言ってくれたらいいのに。今まで無理強いしてごめん」 「な、ちが……!」 それは違う、と。 喉が引きつって、反論の声が出なかった。 春への想いを断ち切りたくて、家族に戻ろうと思った。 このままの関係を続けても、家族に戻っても、どっちにしても来年には春と離れなきゃいけない。 それが辛くて、どっちを選んでも苦しいなら元に戻りたいと思った。 彼女としての立場になれないなら、せめて家族として繋がっていたかった。 ただ、それだけだった。 嫌だなんて思ってない。 無理矢理されたとも思ってない。 嫌ってないのに、春にそう誤解されたままなんて絶対いやだ。 彼女になれない事よりも、ずっとずっと嫌だった。 「春、待って!」 必死に声を絞り出せば、春の足が止まる。 振り向いてくれて、目が合った。 そんな些細な事が嬉しくて、肩から力が抜ける。 じんわりと、目頭が熱くなる。 「なんで泣くの」 「だって」 「もか、俺のこと嫌いなんでしょ」 「ちがう……っ」 「いいよ、もう無理に俺に合わせなくても」 「無理してないよ!」 春を引きとめたくて、必死に泣き喚いた。 瞳に膜が張っていく。 もう、限界だった。 「すき」 言った瞬間、ぽろりと一粒の涙が落ちた。 トップページ |