決意 「どっちが本命?」 何の前触れも無く唐突に訊かれた質問に、箸の動きがぴたりと止まる。 間に挟まれていたから揚げがぽろりと落ちて、お弁当箱の中に落ちた。 「へ?」 素っ頓狂な声をあげた私の鼻先に、玉子焼きが刺さった箸の先端が突きつけられる。マイク代わりみたい。 「ハイ、しらばっくれない。春樹くんとお兄さん、どっちが本命なの」 「はあ……?」 「答えなさい、最上くん」 お昼時間中。 机の上に広げているのは、もかちゃん特製の手作り弁当。 両端には、友人2人が私に詰め寄ってくだらない質問を繰り返している。 友人Aの目がギラついててちょっと引く。 「何言ってんの。家族だよ。本命もくそもないわ」 「あのイケメン兄弟と一緒に暮らしててアンタは乙女心が揺れないの!?」 「ない。家族だもん」 「いとこでしょ!」 「同じ屋根の下で暮らしていれば家族と同じだよ」 憮然としながら、から揚げを口に運ぶ。 絶妙な塩加減と、仄かに香るレモンの酸味がマッチして、さっぱりとした味付けに仕上がっている。 ああ絶品。 見た目も味も、店頭に並んでもおかしくないほどの素晴らしい出来だよ。 まあ私が作ったものだけど。 18歳で家を出るしきたりが定められている桐谷家では、その日が来るまで、親の元で家事や料理を全て習得しなきゃいけない。男も女も関係なく。 家を離れても1人で生活できるように、必要最低限のスキルを身につけなきゃ生活できないから。 その甲斐あって、私も春も、もちろん郁兄も、料理の腕はかなりものだ。ちょっとした自慢。 「ねえ、春樹くんって付き合ってる子いないの?」 友人Bの問いかけに、うっかり反応しそうになる。 微かな動揺を悟られないように、もくもくと箸を進めていく。 「いないんじゃない?」 「気になってる子とかは?」 「聞いたことはない」 「ちなみにお兄さんの方は彼女いるのかな」 「あっちも知らない」 素知らぬ振りを突き通す私に、友人達は眉を寄せている。そんな不満そうな顔されても困るし。 春との関係も、春に抱いている想いも、私は友人達はおろか、誰にも打ち明けていない。 いとこ同士の恋愛観が世間的にどう思われているのか、私にはわからなかったから。 だから安易に口に出すべきじゃないと思った。 唯一知っていそうな人物は、郁兄だけだ。 芸能人や政治家の中でも、いとこ同士で結婚した人達は数名いる。 でもあの人達は有名人で、私たち庶民とは見方や扱いが全然違う。特別視されて当然の人達。 郁兄は「いとこ婚は最近は受け入れられている」なんて言ってたけど、世間一般から見たら隠したいものなんじゃないのかな。 実際私の周りで、いとこ同士で交際とか、結婚なんて話は一度も聞いたことがない。 ……まあ、私の場合はあくまで片想いで、恋愛にすら発展していないんだけど。 春と郁兄のことをしつこく訊いてくる悪友達から逃れるように、私は席を立った。 そのまま教室を出て階段を降りる。 食堂へと続く渡り廊下を歩いていた時、視界の端に、見覚えのある背中が見えた。 思わず足が止まる。 「あ、春――……って、あれ?」 春と、もうひとり。 女の子がいる。 人気のない、校舎の裏。 相手を呼び出して告白するには絶好の場所。 そんな場所に、春と女の子が立っている。 春は私に背を向けている状態だから表情はわからないけれど、女の子の表情は遠目からでもわかるくらい、顔が真っ赤に染まっていた。 窓ガラスを隔てた先にいる2人の会話は、こっち側には聞こえない。 それでも、その場がどんな状況なのかは、私にもわかる。 目が合っちゃいけない。 すぐに身を屈めて、体が隠れるように丸く縮こまる。 「……またか」 はあ、とため息が漏れる。 春が告白されているところを見るのは、これが初めてじゃない。もう何度目だろう。 中学の時まで、春はそんなにモテていなかった。 背は男の子の平均身長より低めで、声はやや高め、そして中性的な顔立ち。何より春は、女の子と積極的に話すタイプじゃなかった。 どちらかといえば目立っていたのは郁兄の方で、女の子の視線はいつも、兄の方を向いていたから。 でも、高校に進学してから成長期に入った春は、急に背が伸び始めた。 私と変わらないぐらいの背丈だったのに、今では頭1つ分くらい違う。顔立ちも声も、男らしいものに変わった。 もともと真面目で温厚な性格だから、後輩達からは特に慕われていて、加速度的に人気が出た。 それがちょっと寂しく感じていた時期もあったけれど、春の良いところを周りに認められているような気がして、同時に嬉しくもなった。 女の子に呼ばれている場面を見かける度、微笑ましいなって、いつも思っていたのに。 今はただ、苦しい。 「………いいなあ」 羨ましいと思った。 あの子は、春に「好き」って言える権利があるんだ。 私にはそれすら無い。 私も言いたい。 春に好きって、ちゃんと伝えたい。 たとえフラれてもいい。 その方が、スッパリ諦められるような気がするから。 でもそれ以前に、引かれたらどうしよう。 いとこ同士なのに何言ってるの? って思われたらどうしよう。そっちの方が最悪だ。 触れ合ってる時、春はいつも私に「好き」って言ってくれる。 いつしか私も、春に同じ言葉を返すようになっていた。 でも春は、最中の時以外は「好き」って言ってくれない。 私は恋愛対象外だから、それは当然ではあるけれど。 春が言わないから、私も普段は言わない。 だから、あの「好き」は場を盛り上がらせる為に用意した台詞なんだって、いつからかそう捉えるようになっていた。 それでも、あのたった2文字の単語を囁かれる度に、私の胸は甘く疼いた。 自惚れていたかったんだ。 なのに、あの台詞を「本気にしたの?」なんて春に言われたら、ショックすぎてもう立ち直れない。 だから言えない。 だから、家族のままでいい。 18歳になったら、私達は自立する。 来年の3月には離れなきゃいけない。 春は大学で友達をたくさん作って、彼女もできて、その子を一生大事にしていくんだ。 私だって、新しい職場で人生初の彼氏ができるかもしれない。できるといいな。 初めての彼氏も春がいい、なんて、思っちゃいけないんだ。 「……何してるの?」 「……ふぎゃ!?」 びっくりして肩が飛び跳ねた。 見上げれば、ぴったりと閉められていた窓がいつの間にか開け放たれてる。 女の子の姿は既に無くて、その代わり、外から春が顔を覗かせて私を見下ろしていた。 「もしかして見てた?」 「う、ごめん」 悪いことしてるような気分に苛まれて、私は眉を下げた。 すぐ立ち上がって、スカートの汚れを払う。 どことなく気まずい雰囲気が、私の気持ちを更に暗くさせる。 「ほんとにごめん」 「ううん、それより……大丈夫?」 「え?」 「なんか、もか元気ない」 窓枠に手足を置いて、春はそのまま、ヒョイと身軽に飛び越えてきた。 私の前に立って、顔色を窺うように見つめてくる。 つい、目を逸らしてしまった。 「もか?」 「あ……ちょっと、気分悪くなって」 「え、具合悪いの?」 「う、うん」 また、体調の悪さを理由に挙げてしまった。 私って1年の時から全然成長してない。 でも春は、私の嘘を本気で信じてるようだった。 「大丈夫? 保健室、一緒に行く?」 「へーき。1人で行けるから」 「でも」 「それより春、それ外靴じゃないの?」 「あ」 「早く上靴に変えてこないと。バレたら先生に怒られるよ」 「あー……そっか」 上履きじゃない事に今更気づいたらしく、照れくさそうに頭を掻いてる。ちょっとかわいい。 「一緒にいられると思ったんだけどな」 そんな一言に浮ついてしまう自分が恨めしい。 変に期待してしまいそうになる気持ちを無理やり抑え込んで、私は春に背を向けた。 「保健室行ってくるね」 「うん。またあとでね」 ちらりと後ろを振り向けば、春と目が合った。 微笑みながら、軽く手を振ってくれる。 いつもと変わらない穏やかな笑みに、私も笑いかけて手を振った。 走り去っていく春の背中。 遠ざかる後ろ姿を見て、何だか無性に泣きたくなってしまった。 ―――――――― ―――― 夕食を終えて、自室で勉強していた時。 軽いノック音が室内に響いた。 この控えめな叩き方は、郁兄ではなく春のもの。 一瞬迷いが生まれたけど、気を取り直して椅子から腰を上げた。 ドアノブをしっかり握ったまま、ゆっくりと扉を開く。 すぐ扉を閉められるように、手は離さない。 春を部屋に入れない為に、そうする必要があった。 郁兄はまだ仕事から帰ってきていない。 帰りが遅くなるって今朝言ってた。 だから今、私達はまた2人きりの状態。 警戒心が解けないまま、春と向かい合った。 今までの私達は、郁兄の帰りが遅い日を見計らって、互いの部屋を行き来していた。 時には身体を重ねてきた。 でも、それも終わりにしなきゃ。 このままじゃ、いつまでたっても私は春のことを諦めきれない。 もう、普通の家族に戻るって決めたんだから。 「具合、どう?」 「あ、うん。まだ、ちょっと」 「熱は?」 「ないみたい」 「風邪かな?」 「そうかも」 嘘をつき続けるのは、精神的にキツい。 早く会話を終わらせたくて、返事が単調なものになってしまう。 それを不思議に思ったのか、春が微妙な顔つきで私を見つめてきた。 両手でむに、と頬を挟まれる。 「んー、やっぱり様子が変だ。どうしたの?」 私の態度が素っ気無かったせいかもしれない。 どうやら春は、私の様子がおかしい原因が体調の悪さだけじゃないと判断したようだった。 どうしたもこうしたも、春のことが大好きすぎて辛いんです。 そんなことを当然言えるわけが無く、私は黙って奥歯を噛み締めるしかない。 「なんでも、ないよ」 「ほんとに?」 「うん」 「体調、よくないの?」 「少しね」 「部活引退して、疲れが一気にきたのかな」 「うん」 「体弱ってると、風邪もひきやすいからね」 「うん」 「………」 さっきから頷きっぱなしの私。 春まで黙り込んじゃった。 感じ悪かったかな、と後悔を抱く。 でもごめん。 だってもう、春の顔を見るのも苦しいんだよ。 だから、早く部屋に戻ってほしい。 そう願っていたのに、春はそうしなかった。 ドアノブを握っていない方の手を軽く引いて、距離を詰めてくる。 切なさでいっぱいだった胸が、途端に甘い鼓動で震え始めた。 「……中、入っていいよね?」 ………春はずるい。 さっきから頷いてばかりの私が、また頷いてしまうような言い方をする。 でもここで流されたら、また同じことの繰り返しだ。 だから私は拒むことにした。 「だめ」 「なんで?」 「風邪かもしれないし」 「そうだけど」 「春に移ったら大変だから」 「別にいいよ」 「よくない」 受験生でしょ、そう言って春の胸を押す。 「大丈夫だよ。一晩寝れば元気になるから」 心配させないように、からっと笑いかける。 そこまでして、ようやく春は引き下がってくれた。 まだ納得していない様子にも見えたけど、一応、私の言い分は聞き入れてくれたみたい。 「わかった。ちゃんと寝て休んでね」 「うん、おやすみ」 扉を静かに閉めて、一息つく。 緊張が一気に体から抜けた。 春と一緒にいたい、そう願う想いを無理やり抑え込んで追い払ってしまった罪悪感が胸を占める。 ………ごめん。 ごめんね春。 自然と涙がこみ上げてくる。 大好きで、こんなに大好きなのに、なんで私達は家族なんだろう。 彼女として春の隣に立てなくても、家族に戻れば春と一緒にいられる。 あやふやな関係を遮断して、2年前の、普通の日常を送っていたあの頃に戻ればいい。 そう思うのに、もうひとりの私がその願いを拒絶する。 春の隣に、私の知らない女の子が並んでいる姿なんて見たくない。 私じゃだめなのかな。 私は、春の家族以上の存在になれないのかな。 どうしても、心が願ってしまう。 2年もの間、春と過ごしてきた中で肌を重ね合ってきたあの時間が、何の意味も無かったなんて思いたくなくて。 いつかは春も私のことが、なんて馬鹿なことばかり考えてしまう。 本当に馬鹿だ。 もし春に本当の想いを告げたら、このぬるま湯みたいな関係はすぐに終わる。 私の想いを春が知ってしまったら、気まずさから私を避けるかもしれない。 そうなったら、もう家族にも戻れなくなる。 春との関係も、家族としての春も同時に失ってしまうなんて私には耐えられない。 普通の、家族に戻ろう。 そして来年の3月に、自立する形で離れよう。 辛い気持ちは、離れ離れになっている間に流れる日々が、きっと忘れさせてくれるだろうから。 心を置き去りにしたまま関係を修繕するなんて、絶対うまくいく筈がない。 それでも、今の私にはもう、それしか考えられなかった。 トップページ |