向き合えない、認められない


「私の方こそ、今までありがとう」
「冴木くんも、またね。バイバイ!」

 爽やかな笑顔を披露しながら走り去っていく、その後ろ姿を目に焼き付ける。1年以上も続いていた彼女との関係は、意外にもあっけなく終わりを告げた。
 こんな時でもあの子は普段と変わらず飄々としていて、その清々しい笑顔に胸がきりっと痛む。

 実感が、全く湧かない。本当にこれで彼女とは終わりなんだろうか。1週間のうちのたった1日、金曜の夜になれば彼女に会える。それだけで胸が膨らむような思いだったのに、もうこの時間が訪れることはないのだと知らされて心が沈む。彼女をもう特別扱いできない、ほんの少し親しいだけの友人……いや、友人ですらないかもしれない。何の接点もなかった1年前の俺達に逆戻りだ。

「いいのかよ」

 不意に耳に届いた声。
 向けられる真摯な眼差しから、逃げるように視線を反らした。

「………」
「って、シカトかい」
「……好きな人ができたら関係を終わらせる、そういう約束だっただろ。何で俺が水野さんを追いかける必要があるんだよ」
「あれ? 俺、『追いかけたら?』なんて一言も言ってないのになー。あれかな? つまり追いかけたいって言いたいのかな??」
「………」
「はいダンマリ。図星な」

 カラカラと軽快に笑う。やっぱり村瀬は俺の気持ちに気づいていたみたいだ。多分、村瀬が水野さんに触れなくなった数ヵ月前から。

「あのさ」

 沈黙を貫く俺に、村瀬は静かに言い放つ。

「約束云々の前に、そろそろ止め時かな……って空気は、少し前からあっただろ。ずっとこの関係を続けるつもりはなかったし、お互いの為にも、ここでさっくり終わらせた方がいいって俺は思ったんだよ。それだけだ。冴木が変に負い目を感じる必要ねえよ」
「……」
「それとも、水野さんと今の関係でいたかった?」
「それは……」

 ぐっと言葉が詰まる。毎週金曜日が楽しみでもあったけど、ずっとこの関係を続けたいと思っていたわけじゃない。水野さんのことはセフレ以上に気のおける仲間としても見ていたから、本音を言えばセフレとか関係なく、普通に親しい仲になりたかった。そうすれば、今の関係が終わったとしても、今度は友人として彼女と繋がりが持てるから。たとえ彼女に好きな男ができたとしても。

 そんな風に、水野さんに対して特別な意識を抱くようになったのはいつ頃だろうか。

 関係が終わるということは、当たり前だけど、もう水野さんに触れられないことを意味してる。けれど、一歩踏み出せばセフレ以上の存在になれるかもしれない、そんな可能性も秘めている。その僅かな可能性に期待してしまいそうになるこの想いは、彼女に対する依存なのか執着なのか、はたまた純粋に恋愛なのか。俺にはまだ判断が出来なかった。
 そんな俺の情けない姿を、村瀬は呆れたように見ていた。

「冴木さ、水野さんのこと好きだろ」
「……好きか嫌いかで言えば好きだよ」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
「……知ってる。ごめん」
「好きなら好きって素直に認めりゃいいじゃん。そこは意地張るところじゃないだろ」
「……」

 村瀬の言いたいことはわかる。
 変に意固地になっている部分もある。
 でも、どうしても認められない。認めたくない。水野さんのことを好きだと認めてしまったら、俺の中に残る村瀬への想いを手放さなければならなくなる。

 何かを手に入れるためには、何かを切り捨てなきゃいけないのかもしれない。ありきたりな精神論だけど、あながち間違いでもないんだろう。だからって簡単に手放せるものでもないし、1日2日で捨てられるほど軽いものでもない。俺は今でもまだ、長年抱き続けている村瀬への思いを断ち切れないでいるから。村瀬を捨てて、水野さんと向き合うことがどうしても出来なかった。
 ……他の奴が聞いたらドン引きするだろうな。
 きっと、水野さんも。

「冴木が、そこまで俺に執着する理由はあえて聞かないでおくけどさ」
「……ごめん。気持ち悪いよな」
「気持ち悪くねぇよ。お前が勝手に卑屈になってるだけの話だろ」
「………」

 いや、普通に気色悪いだろ。
 男が男に執着するとか気持ち悪い以外の何者でもない。だから誰にも打ち明けられず、報われない思いだけが胸の奥で燻っている。村瀬はそんな俺の気持ちに勘付いていたみたいだけど、俺を拒絶したり遠ざけるようなことは絶対にしなかった。その懐の広さと優しさに甘えて、今でも俺はこの男から離れられないでいる。

 俺の抱いている感情が間違っているとは思わない。けど、誰にも理解してもらえない。受け入れてももらえない。なら一生、このままでいい。この先ずっと女の人に興味が持てないのなら、恋人なんて要らない。いっそ村瀬の隣にずっといたいとすら思っていた。村瀬が望んでいなくても。
 そう吹っ切れようと思っても、心の奥深くにまで根付いたコンプレックスはすぐに拭えるものじゃない。不純な想いに悩む日々は、高校を卒業して就職した後も消えることはなかった。職場どころか部署も同じという環境で、相手への想いを割り切るのは難しい。
 なのに、水野さんだけは別だった。数年間ずっと抱え込んでいた苦しさは、彼女といる間だけは一時的に忘れることができた。と言うよりも、彼女が破天荒すぎて悩む暇を与えてくれない、と言った表現が正しいかもしれない。

 普段の水野さんは、かなり騒がしい人だ。天真爛漫で自由奔放で、人のことを散々引っ掻き回してやりたい放題振り回す。振り回されるのは俺ばかりで、付き合わされるこっちは彼女のペースに捲き込まれるから正直疲れるし、しんどい。本来、俺が苦手とするタイプの女の人。
 なのに、楽しいんだ。
 水野さんといると、余分な力が肩から抜けて心が楽になる。変に気を使わなくていい、顔色を窺ったりご機嫌取りもしなくていい。たとえ憎まれ口を叩いたとしても彼女は全部、笑いで吹き飛ばしてくれる。彼女の隣は村瀬とは違う心地よさがあった。

 そんな水野さんだけど、金曜の夜だけは印象が変わる。脳裏に蘇るのは、快楽に蕩けた彼女の顔。

 村瀬と2人で彼女を抱いたあの日のことは、一度たりとも忘れたことはない。熱っぽく潤んだ瞳、上気した頬、しなやかな身体のライン、汗ばんだ額、妖艶に満ちた白い美肌、甘さを帯びる控えめな嬌声。普段から朗らかな笑顔を披露している彼女とは欠け離れた姿に目を奪われた。夢中になった。自分は男にしか興味を抱けないんじゃないかって、長年抱いていた悩みをたった一晩で覆させてくれた唯一の人だ。

 彼女が去った方に目を向ければ、歩道を行き来する人の群れで視界が埋まっている。水野さんの背中は既に、人の賑わいに隠れて見えなくなっていた。けれど追いかければ、恐らくまだ追い付ける距離にいる。追いかけたい、引き留めたいと思う気持ちが止められない。
 なのに足が動かない。動けないのは迷いがあるからだ。水野さんとここで終わりたくないと思っていても、これ以上踏み込んで男女の関係になってしまうのが怖かった。村瀬に執着していながら、水野さんとの繋がりを求めようとするのは誠実じゃない、そう思えてならなかった。
 それに、村瀬に抱いている感情を水野さんに知られたくない。気持ち悪い奴だと思われたくない。男にしか興味を抱けない、なんて知られた時の、嫌悪に満ちた彼女の表情が安易に浮かんで泣きたくなった。



『気持ち悪くねぇよ。お前が勝手に卑屈になってるだけの話だろ』


 気持ち悪い、なんて。
 誰よりも俺が、俺に思っていたことだから。

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