終わる関係2


 この関係に決別する為に告げられた言葉は、覚悟はしていたけれど、やっぱり寂しい。それほどまでに、私達の仲は深い付き合いになっていたから。

「こちらこそ、今まで付き合ってくれてありがとう。冴木くんも」
「……うん」

 冴木くんも寂しげに笑う。好きな人ができたら関係を終わらせる、その日がまさか今日になるとは彼も思っていなかったんだろう。私だって、まだ先の話だと思っていた。
 ……そうだ、村瀬くんと関係を終わらせるってことは、つまり冴木くんとの関係も、今日で終わりってことだ。

 でも正直、今日でよかったのかもしれない。この関係もそろそろ潮時かな……とは、薄々思ってはいた。何故なら、村瀬くんは元々この関係に乗り気ではなかったからだ。
 最初の頃は本能のままに楽しんでいたけれど、会社の中で、しかも同じ会社の人間と、内密で不逞な行為を働いていることに罪悪感が湧いてきたのだと思う。次第に彼は、私の身体にあまり触れなくなってきた。
 頭を撫でてくれたり素肌にキスしてくれたり、そういうソフトな触れ合いは多かったけれど、決定的な快楽を与えるような愛撫は徐々に少なくなっていく。対して冴木くんの行為は次第にエスカレートしてしまって、私もこんな性格だから調子に乗ってしまって、村瀬くんの存在を置いてきぼりにしていた部分もあった。

 村瀬くんは優しいから、例の条件を挙げることで私達の関係を拒絶することはしなかった。罪悪感を抱きながら私と冴木くんに合わせてくれていたのだと思うと、申し訳ない気分になる。
 けれど村瀬くんは今、「楽しかった」と言ってくれた。その言葉に、その寂しそうな表情に嘘があるとは思いたくない。不誠実ではあったけれど、私達はこの1年間、確かに友情を築いてきたんだ。

 私も、楽しかった。
 同じ思いを共有できて、そんな嬉しい一言を貰えただけで充分だった。
 だから、この関係は今日で終わらせなきゃいけない。優しい村瀬くんの為にも、村瀬くんを想う島崎さんの為にも。
 そう気持ちを切り替えて、2人に向き直る。

「村瀬くん、島崎さんとご飯行くのって、来週の週末?」
「あ、ううん明日」
「「明日!?」」

 思わず叫んだら冴木くんと被った。

「えええ、明日って! ダメじゃん、今日はもう帰って早く寝ないと!」
「村瀬、明日って島崎さんと待ち合わせしてるの? 何時から?」
「お昼からだけど……」
「余計だめなやつ! 今日はもう帰ろう!」
「でも水野さん、もう居酒屋予約したんじゃなかったっけ?」
「友達誘って行くから平気!」

 なんて勢いで言ってしまったけど、友人を誘うつもりはなかったし1人で行く気もなかった。私はこの3人で行きたかったんだから、1人で飲んでも虚しいだけだ。
 この関係を終わらせるということは、2人との繋がりが無くなるという事。彼らのプライベートにまで関わるわけにはいかない。そこは、セフレとして越えてはいけない一線のように感じていた。
 お店には後で電話して、めっちゃ平謝りして予約を取り消してもらうしかない。

「じゃあ私、先帰るね。村瀬くん、明日頑張ってね」
「うん、ありがとう」
「冴木くんも、またね。バイバイ!」
「……うん、またね」

 大袈裟に手を振りながら、2人に別れを告げて背中を向ける。息を切らしながら走り続けて、横断歩道の前で足を止めた。
 信号が青に変わる。人の流れが一斉に動きだし、白線の上を歩み進める。ネオンの光瞬く街並みは煌びやかで、飲み会帰りの人達でごった返している。人混みの流れに逆らいながら、私も一歩を踏み出した。

「あーあ……」

 口から漏れるのは重い溜め息ばかり。意気消沈してしまうほど、私は彼らといる時間が大切だったのだと改めて思い知った。私達の関係は間違いなく不誠実で、ズルズル続けていいものじゃないと理解していたつもりだし、実際にはもう潮時かな……と思っていたけれど。でも本音は、まだ2人と一緒にいたかったし繋がっていたかった。でも、それを望んでいたのは私だけかもしれない。
 コートのポケットからスマホを取り出して、予約したばかりの居酒屋に連絡をする。受話器越しの声は残念そうにキャンセルを承ってくれて、何度も謝罪の言葉を告げてから通話を切った。画面をスライドすれば、着信履歴の一覧に冴木くんの連絡先が表示されている。

「……」

 冴木くんから着信があったのは数日前。彼から私宛てに連絡が入るのは、実はかなり珍しい。用件は些細なことで、すぐに通話は切れる……かと思いきや、その後は1時間くらい、お互いダラダラと意味のない雑談をしていた。その1時間に、私がどれだけ舞い上がっていたかなんて冴木くんは知らないだろう。
 けれどもう、彼から連絡が来ることはない。
 雑談することもない。
 そう思うと寂しさが募る。

「……私もご飯、誘いたかったな」





 ――関係を終わらせる条件のひとつでもある「好きな人」が、この3人の中にできてしまったことを、私は一切想定していなかった。
 いつから、とか、何がキッカケだったのかはわからない。気がつけば、社内で冴木くんの姿を探している自分がいた。

 彼女になりたい気持ちはあっても、今のわたしは彼にとって、ただの遊び相手に過ぎない。それ以上でもそれ以下でもなく、金曜の夜以外のわたし達は、社内では全くの他人だ。
 彼がわたしに好意を抱いてくれるとは思えないし、なら今の関係を続けた方が、冴木くんと一緒にいられる機会を作ることができる。そう思っていたけれど、その関係もあっけなく今日、終わってしまった。

「……どうしよ」

 独り言のような呟きは、夜の賑わいに溶けていく。本当は、関係が終わったら冴木くんに告白しようかと考えたこともあった。
 でも結局、この様だ。告白する勇気もなく、元気よくバイバイして逃げてきてしまった。こんな様で「彼女になりたい」なんてよく言えたものだと自嘲する。

 ノロノロと歩き続けていると、歩道橋が目の前に見えてきた。タン、タン、と一段ずつ踏み鳴らし、冷えた夜風を一身に受ける。
 別れる直前、「またね」と答えてくれた冴木くんの声は切なそうに聞こえた。彼も寂しいと思ってくれているのかな、だとしたら嬉しいな。思い過ごしかもしれないけれど、そう思ったら少しだけ辛い気持ちが和らいだ。

 彼への想いを自覚したのは、つい最近のこと。
 片想い歴は全然浅い。
 本気になる前に諦めてしまえば、失恋の痛手も軽くて済む。
 告白すらしていないのに失恋も何もないけれど、セフレから恋人に昇格したなんて話はあまり聞かないし、想いを打ち明けたところで玉砕するのは目に見えている。望みはきっと薄い。
 そもそも冴木くんとわたしじゃ、見た目も中身も違いすぎて釣り合わない。セフレのくせに彼女にもなりたいなんて傲慢すぎる気もするし、万が一付き合えたとしても、地味なわたしじゃ冴木くんの隣に相応しくないって、周りから笑われるに決まってる。
 なら諦めた方がいい。
 恥を掻くくらいなら、何も告げずに大人しく身を引いた方が――

「……水野さん!」

 ……タイミングよろしく耳に届いた叫び声。とくん、と鼓動が胸を打つ。
 ゆっくり振り向いた先に居たのは、今まさに想い描いていた人の姿で。

「え、冴木……くん?」
「は……ッ、よかった会えた……、もうお店に入ってたら、どうしようかと思っ、う……ケホッ、」
「えええちょっと大丈夫? 走ってきたの!?」

 手すりに寄り掛かり、咳込みながら咽せている彼の姿に慌てふためく。駆け寄れば、冴木くんはゆっくりと顔を上げた。

「ごめ、ちょ……っと、だめかも」
「おん!?」
「……こんなに、全速力で走ったのは高校以来、かも……はあ、疲れた……」

 乱れた呼吸を整えながら、冴木くんがくしゃりと微笑む。その砕けた笑い方に、きゅんっと乙女心が疼いた。好きな人の、滅多に見られない必死な様を見せつけられて、胸が高鳴ってしまうのは仕方ないことだと思う。周りを見渡せば村瀬くんの姿はなく、今ここにいるのは彼1人だけのようだ。
 追いかけてきてくれた上に、『会えてよかった』なんて微笑むイケメンとか美味しすぎるんだけど、この状況の意味するところは何なのか、全くわからなくて戸惑ってしまう。

「え、どうしたの。わたし忘れ物した?」

 慌ててバックの中身を確認しても、必要なものはちゃんと入っている。冴木くんを見返せば、彼は複雑そうな表情を浮かべたまま口を開いた。

「……友達と飲みに行くの?」
「え」
「……」

 予想外の問い掛けに言葉を失う。つい目を丸くしながら彼を見入ってしまった。
 彼も真っ直ぐにわたしを見つめ返していて、その視線が反れることはない。何とも言えない微妙な空気が漂う。

「……あ、えと。帰ります」
「……帰るの?」
「うん。友達誘うにしても時間遅いし、1人で飲みに行くのも寂しいなって」
「……宅飲み?」
「だね。部屋でテレビでも見ながらビール空けようかな〜」

 へら、と笑いながらその場しのぎの返事を交わす。感傷に浸りながら部屋で飲むより、人で賑わっている居酒屋で飲んだ方が気が紛れるような気もするけれど、3人で行く予定だった居酒屋で、1人で飲む気にはどうしてもなれなかった。
 予約キャンセルの連絡も入れてしまったし、別の店を探すのも億劫だし、さっさと帰って寝てしまおうと、そう思っていたけれど。

 そこで、思いがけない誘いを受けた。

「……だったら、俺の部屋で飲まない?」

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