自覚した恋心 早坂はずっと私を想ってくれていたのに、私は全く気付けなかった。なのに、私を困らせたくないという理由で何も言わずに隣にいてくれた。助けてくれた。いつも。 そんな早坂の心情を思うと、ぎゅっと胸が締め付けられる。私は早坂の気持ちを何も知らないまま、青木さんとの交際話を平然と打ち明けていたんだ。その時、早坂はどんな気持ちで私の話を聞いてくれていたんだろうと思うと居たたまれない気分になる。 早坂の辛そうな顔を見るのが嫌だって、かなえちゃんが言っていた理由がよくわかる。そりゃそうだよ、好きな人の口から恋人のノロケ話なんて誰が聞きたいと思うんだ、そんなの辛くないはずがない。 「正直、もう諦めるつもりでいた」 「……え」 諦める、そう告げた早坂の覚悟に心臓が冷えたのは一瞬のこと。 「……そのつもり、だったけど、その矢先に青木と別れたって聞いたから。不謹慎だけど、かなりテンション上がったわ」 淡々と答える早坂は平然とした表情を崩さない。ほかほかの親子丼を、静かに口へと運んでいる。 何の焦りも見せない様はさすがの早坂だとしか言いようがないけれど、私と視線を合わせようとしないところが照れ隠しのように見えて、その不器用な態度にくすぐったい気持ちに駆られた。 自然と顔がニヤけてしまう。 同時に込み上げるのは、愛しいと思う気持ち。 ここまで思い悩んでやっと、自分の想いを素直に認めることができた。 好き。好きだよ。 早坂のことが好きになってる。 芽生え始めた恋心を自覚したら、今度は前向きな考えが生まれてくる。早坂が伝えてくれた想いから、今は目を反らしたくないと思った。 「友人のままでいい」だの「関係を壊したくない」だの、必死に言い逃れを繰り返していた私の影は一切ない。むしろ早坂の告白に早く応えたくてしょうがなかった。 そう思ってしまうほど、私の想いは早坂に傾き始めていた。 それから今日までの間は、特に変わったことはなかった。 繁盛期もあって早坂の帰りは遅く、日を跨ぐこともある。早坂が帰宅する頃には私は先に眠ってることが多くて、同居している割には一緒に過ごす時間は少ない。早坂とゆっくり話せるのは朝、出勤前の僅かな時間だけだ。 この1週間、早坂は決して告白の返事を急かしたりはしなかった。思わせ振りな態度を見せることもない。それこそ、以前の私達となんら変わらないくらいに普通の日常だ。 でもそれは、早坂が私のペースに合わせてくれているからだとわかってる。たとえ長期戦になったとしても、私が全てを吹っ切れるまで待とうとしてくれている。その優しさが嬉しかった。 だから強く思う。 早く、早坂の気持ちに応えなきゃ。 その為にも、まずは青木さんの問題を解決させなきゃいけない。 ・・・ 「いただきまーす!」 威勢のいい声とともに、ホットプレートから肉をかっさらい口へと運ぶかなえちゃん。甘タレ付きのジンギスカンを堪能してる。 「おいしー! ジンギスカン初めて食べた!」 「え、マジか」 早坂が心底驚いた顔をする。本日のゲストでもあるかなえちゃんは、こんがりと焼き色がついた肉を頬張りながら頷いた。 「北海道にいれば、こんな美味しい肉をいつでも食べられるんですね〜」 「俺が実家にいた頃は、週3で食べてたな。コンビニにも売ってるし、食べたくなったらいつでも食える」 「わあ、いいなあ」 隣り合わせに並んで箸をつつく早坂と、かなえちゃんの姿を正面から見つめる。まるで兄妹みたいな2人だなあ、なんて感想を抱きながら、ホットプレートの端っこに避けられた野菜を箸で摘まんだ。 ジンギスカンのタレが野菜に染み込んで、噛む度に濃厚な味わいが口内で広がる。もはや野菜じゃなくて別の食べ物に思えてくる。 「にしても、やっぱりかなえちゃん気づいてたんだね。私が早坂のところでお世話になってること」 その一言に、かなえちゃんは瞳をキラキラ輝かせながら頷いた。 「病院の駐車場で訊いた時から気づいてました! 明らかに早坂さん、変だったもん!」 「だよね〜。あれはかなり怪しかった」 賛同すると、彼女の笑みが深くなる。 「でも、それだけじゃないんですよ〜。最近は退勤時間になると早坂さん、凄くソワソワしてたから。もうこれは絶対何かあっ、いったぁ!」 「もう黙れマジで」 ぽか、とかなえちゃんの頭を小突く早坂と、かなえちゃんの笑い声が和やかな空気を生む。無邪気な10代女子の素顔を晒している姿に、私はほっと胸を撫で下ろした。 かなえちゃんは鋭い。早坂の気持ちだけじゃなく、私の気持ちが変化していることも、この子なら既に悟っているような気がする。 でも、彼女は何も言わない。変わり始めている私達の関係を、かなえちゃんなりに黙って見守ろうとしてくれているんだろう。 本当に、出来すぎる後輩を持ったものだと心から思う。 「それで、どうするんですか? 元カレさんのこと」 その一言に顔が強張ってしまう。 早坂との問題が一時終息した今、残る問題は青木さんのことだ。 「うん……どうしようね」 つい言い淀んでしまう。いまだに自宅マンションに戻らず、職場復帰も果たしていない私は、現時点で青木さんと再会する機会がない。唯一の連絡手段はスマホだけど、私からは連絡しずらいし、彼からは電話はおろか、メールも来ることはなかった。 ちゃんと別れ話をしないと、そう思ってはいたけれど、もし青木さんがこのまま私に接触してこないのであれば、何も言わず縁を切ってしまうのもアリなのかな……とすら思えてきた。それほどこの1週間は、平和で穏やかな日々だったから。 そんな甘いことを一瞬考えて、すぐにその思考を打ち消した。早坂の気持ちに早く応えたい、だから青木さんとの関係に終止符を打たなきゃいけないという決意が、今更揺らぐことはあってはならないことだ。 今の状態で早坂に向き合うのは誠実じゃない。誠実な想いをぶつけてくれた早坂に対して、私も誠実に返したい。だからやっぱり、私はあの人ときっぱり別れなきゃいけないと思い直した。 向かい合わせに座る早坂に、そっと視線を向ける。かなえちゃんの皿に肉や野菜を盛り付け、甲斐甲斐しく世話をする早坂の瞳は真剣そのものだ。 その眼差しに胸が高鳴る。 そんな瞳も表情も既に見慣れているはずなのに、好きと自覚すれば鼓動が乱れてしまうほど見惚れてしまう。 惚れた弱味ってやつなのかな。 「……なに?」 私の視線に早坂も気がついたようで、ぱちりと目が合ってしまった。 「んー、イケメンだなーと思って」 「……は?」 茶化せば、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてる。その表情が徐々に赤く染まって、ふっと視線を反らされた。 「……どこがだよ。顔面崩壊してんだろ、俺なんか」 不機嫌そうな声音を発する早坂の、ぶっきらぼうな口調すら可愛いって思えてしまう。 「あ、早坂さん照れてるー」 「うるさい早く食え」 動揺を隠しきれていない様をかなえちゃんに突っ込まれ、ブスッとした態度が幼く見えて頬が緩む。今まで見向きもしなかった早坂の、新たな一面を知る度に目が離せなくなる。私の思考がこの人に染まっていく、それがこんなにも嬉しい。こんな風に早坂を想う日がくるなんて、少し前の自分には想像すら出来なかっただろう。 こんな穏やかな日がずっと続けばいいのに。 けれど私の思いは無情にも、数分後に砕かれることになる。 「……あれ?」 ショートメールの受信を知らせるランプが点滅していることに気づいたのは、それから1時間後のことだった。焼き肉の最中に飲み物が無くなり、キッチンへと取りに行った際に気付いた。 虫の知らせという奴なのか、この時から既に嫌な予感はしていた。そしてこういう勘は大抵外れないもので、案の定、青木さんからのメッセージを受信していた。 しかも合間合間に、着信もきてる。 3人で盛り上がっていたから全然気づかなかった。 重々しい気分で画面をタッチする。 暴力沙汰を起こしてしまった青木さんだけど、彼だってはなから手を出すつもりはなかったのだと、私は勝手に思っていた。 この1週間で、彼も色々と反省したのかもしれない。もしかしたら、別れないという考えを改めているかもしれない。その為の話し合いの誘いであればいい―― そんなことを期待しながらスマホを見て、 絶句した。 「……な、にこれ……」 『遥、いまどこ?』 『ずっと部屋にいないね』 『もう帰った?』 『今日もいなかった』 『どこにいる』 『電話出て』 『なんで無視するの』 『また殴られたいの?』 『ねえ怒ってないから電話出て』 『遥に会えなくて苦しいよ』 『なんで返信くれないの』 『俺は悪くないよ』 『無視?』 『早坂と一緒にいるのか』 『おい』 『返信しろよ』 『今から探しに行く』 『はるか』 『電話』 『電話』 『電話』 『出ろ』 受信したメッセージ数は、73件。 「……73って、怖っ……」 おびただしい数のメールに息を飲む。短文ばかりが綴られているメッセージは、スクロールする度に苛立ちを含ませたものが増えていく。一方の着信履歴も、青木さんの電話番号で埋め尽くされていた。 スクロールしても、し続けても、画面に表示されるのは全部、青木さんの電話番号ばかり。その異常な数値に、彼の狂気を見たような気がして身震いする。 かなえちゃんがここに来るまで、青木さんからの連絡は一切きていなかった。最後にスマホを見てから1時間半の間に、膨大なメールと着信が来ていたことにゾッとする。 「……あっ、」 違和感を覚えたのはその直後。 慌てて画面に視線を落として人指し指を滑らせる。 スクロールした先に見つけた、ひとつのメッセージ。 目にした瞬間、さっと血の気が引いた。 『早坂と一緒にいるのか』 ―――知ってる。 このひと、早坂のこと、知ってる。 トップページ |