私とアイツ


「あーさむいさむいさむい!」
「うわ、雪積もってんじゃん」

 目の前に広がる銀世界に息を飲む。
 アスファルトに積もった雪の表面に、街のイルミネーションが光の影を映し出す。幻想的な光景に、ほう、と感嘆の息をついた。
 身の凍えるような寒さなんて、今は苦に感じない。

 12月に入り、季節は初冬を迎えた。
 空気の冷え込みは日に日に一層と増して、吹きつける夜風は肌を刺す程に痛い。けど、そんな辛さも吹き飛んでしまうほど、街中は人の活気で賑わっていた。
 赤と緑のコントランスに彩られた大通りは、クリスマスツリーを連想させる演出に凝っている。大きな経済効果が得られるクリスマスは、1年の締めくくり直前に控える日本最大のイベントだ。
 昨今のインスタ映えも影響して、各店舗の装飾の力の入れようが凄まじい。随分とお金をかけたのだろう、本気度が窺える。目映い程のイルミネーションを前に、スマホを構えて連写する人の姿も多い。
 誰もがみな、聖なる夜のイベントムードに胸を踊らせていた。

 通りを行き交う人達に混じり、私達も歩き出す。さむさむいとボヤき続ける私の、すぐ隣を歩いている男。ナチュラルショートの前髪に緩くパーマをかけてオシャレ感を演出しているコイツは、同じ店舗で働く同僚のひとり。早坂一沙《はやさか かずさ》、それが彼の名前。
 共にサブマネージャーという立場に身を置く同志でもある。

 クリスマス、そして年末商戦。
 売上げ至上主義の本部の人間は、ここぞとばかりに現場の人間をこき使う。
 それは私達だって例外じゃない。
 クリスマスと年末年始に向けての準備は9月から始まり、本部との度重なる会議、予算達成の為のエリアマネージャーとの話し合い、他店舗との打ち合わせに日々追われている。そして12月からは、社員・パートのシフト調節と年末調整も控えている。1年のうちで最も多忙を極めるこの月は、とにかく捌かなければならない業務が多い。
 11月後半からは残業の毎日で、今日も2人仲良く、閉店後は事務所に缶詰め状態だった私達。とはいえ、毎日こんな状態が続けばさすがに精神も病んでしまう。1日くらいは早上がりしても許されるだろうと判断して、中途半端に仕事を切り上げて私達は外に出た。
 この多忙な時期に、こんな機会はそうそう無い。そのままデートを楽しみながら飲み明かして、今はその帰り道。時間は既に22時を過ぎていた。

 星すら見えない夜空からは、雪がちらちらと舞い落ちている。吐く息が白く染まり、薄暗い闇に溶けていく。一気に襲い掛かる寒気に体が震え始めた頃、ダッフルコート姿の早坂が視界に入った。
 ほろ酔い気分のまま、思い切り腕に抱きついてみる。タックルをかます勢いでしがみついたら、一瞬バランスを崩した早坂が、何すんだコラ、みたいな抗議の目を向けてきた。
 とびっきりのいい笑顔で見返せば、「仕方ないか、寒いもんな」なんて、変な納得の仕方をして早坂はそっぽを向いてしまった。こういうの嫌いじゃないくせにね。なんか可愛い。

 お互い意地っ張りな上に「人前でイチャつくとかありえない」なんて、変なプライドが相まって、普段は公共の場でくっついたり、じゃれあったりなんてしないけれど。
 今は寒いからね。
 くっついてた方があったかいからね。
 仕方なくね。
 誰ともなく呟いた下手な言い訳は、自分の中だけに留めておく。

 周りから見れば、寄り添ってはしゃぐ私達の姿はさぞ滑稽に見えるだろう。「このバカップルが、イチャつくなら違うとこでやれ」、そんな心境だろうか。
 常識の無い大人2人で申し訳ない。
 でもひとつ言わせてほしい。

 カップル―――では、ない。

 早坂は、ただの同僚。
 気の合う男友達。
 同じサブマネ同士、やっすい居酒屋で、仕事の不平不満を垂れ流す飲み仲間。
 そんなところ。
 デートなんて言ったのも、ただのノリだ。

「はやさかー、もう一杯飲みにいこ!」
「だめだ。もう22時過ぎてるし帰るぞ。マンションまで送るから」
「ええ……萎えた。お父さんかよ」
「誰がお父さんだ。……ていうか、今日ペース早かったな。何かあったのか?」

 訝しげな表情で早坂が尋ねてくる。この男に下手な嘘や言い訳は通用しないから、どう答えようか迷った。
 インテリアショップで働き始めて7年が経つ。直営店でもある今の店舗に、早坂が異動してきたのが4年前。数年共に働いた今となっては、互いに気心知れた親友みたいな地位を確立している。
 これだけ長い付き合いになると、私の異変も、既に奴にはお見通しだったようだ。

「なんだよ、ストレスか?」
「ストレスならこんもり溜まってるよ。売上げの数字しか見ない本部の奴等にね」
「本部がいい加減なのはいつもの事だろ……どうした?」

 気心知れた友達と言うのは、時に厄介だ。誤魔化したい時に誤魔化しがきかない。師走の多忙と本部の無能っぷりを言い訳にしようと主張してみるものの、早坂にはやっぱり通じなかった。
 更に言えば、困っている人間を絶対に見捨てないのが早坂という人間だ。その素晴らしい長所はこんな時にもいかんなく発揮される。親身になってくれるのは有り難いけれど、私としてはできれば、誤魔化されてほしかったのだけど。
 ……仕方ないな。

「よーし早坂。飲み直そうか。私の部屋で」
「はいはい……、は?」

 ぴたりと動きを止めた早坂の腕を、ぐいぐい引っ張って連行する。困惑している様子を完全に無視し、停車したタクシーの後部座席に奴を思いっきりぶん投げた。









「おい待て七瀬」

 バッグから部屋の鍵を取り出した際に、本日何度目かの制止が掛かる。
 ちなみに七瀬というのは私の名前だ。
 七瀬遥《ななせ はるか》。もうすぐ26歳。

「なに」
「なにじゃねーよ。俺帰るからな」
「いやいやいや飲み直そうって言ったじゃん」
「七瀬が勝手に言ったんだろ、おい引っ張んな」

 がっしりと腕を絡ませて、独身男性を部屋に引きずり込もうとする喪女とは私の事です。
 なんだかんだ言って早坂は私に甘い。いつも我儘や勝手に付き合ってくれる訳だけど、どういう訳か今日に限って頑なに拒否を示す。
 そんなに私の部屋で飲むのが嫌なのかと思うと、さすがにちょっと傷つく。

「え、なに。なんでそんなに嫌がるの?」
「別に嫌じゃないけど」
「じゃあ付き合ってよ。今日はとことん飲み明かしたい気分なんだから」
「だめだって」
「なんで」
「……お前、男いるだろ」

 はっ? と素っ頓狂な声が出た。
 何の話かと目を瞬かせる私に、早坂は苦虫を噛み潰したような険しい表情を浮かべている。

「彼氏持ちの女の部屋には入れない」

 というのが早坂の言い分だった。
 顔も抜群に良くて性格だって悪くない、真面目で誠実で頼り甲斐もあって、誰からも慕われている早坂は、店舗のスタッフ達からも絶大な人気を博している。本当に、『なんでコイツ彼女いないんだ?』って首を捻りたくなるほど早坂はいい奴だし、いい男だ。宅飲みに付き合ってくれない理由も、やっぱり早坂らしい理由だった。
 けど、そこには誤解が生じている。

「何言ってんの? 彼氏なんかいないけど」
「青木って男と付き合ってるだろ」
「あー、早坂の口からその名前は聞きたくなかった」
「は?」
「もう別れてる。私の中では」

 そう。あくまでも私の中では別れた筈の相手。
 つまり相手にとってはそうではない訳で。
 それが私の頭を悩ませ、ストレスの要因になっている。
 私の曖昧な物言いに、早坂も何かを感じ取ったのだろう。眉間に皺を寄せながら見つめ返してきた。

「……訳有り?」
「すごく」
「ストレスの原因になってる?」
「なってる」
「今日、やたらと酒のペース早かったのも、ソイツのせい?」
「ソイツ」
「……話聞いたら帰るからな」
「ウッス」

 ほらね、早坂はこういう奴だ。目の前で困ってる人間を絶対に見捨てないし見捨てられない。それは私にだけじゃなくて、店のスタッフや家族や友人に対してもそうなんだろう。
 そんな彼につい甘えてしまうのは、私の悪い癖かもしれない。早坂の隣は居心地がいいし、彼自身が本当にいい人だから、つい頼りがちになってしまう。
 早坂といずれ付き合うだろう、未来の彼女が羨ましい。コイツは一途っぽいし、絶対に彼女一筋で誠実な付き合いをしてくれそうだから。
 そういう普通の恋が私もしたい。したかった。

 ……なんせ、私の元彼はとんでもない奴だったからな。

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