相容れない 竹井とのキスは初めてだけど、あまり驚きもなく自然と受け入れられた。一度離れた唇は間も無く再び塞がれて、待ちきれないとばかりに隙間を割って侵入した舌が、私のものを絡み取った。 くちゅ、と口内で水音が響く。息の仕方を忘れそうになるほどの強引な口づけ。気持ちごとぶつけてくるような荒々しいキスに、私も夢中になって自らの舌を絡ませた。 息が上がって、酸素を上手く取り入れられない。息苦しさに喘ぎながらも、胸の中は多幸感で満たされていく。ずっと抱え込んでいた悩みは、女に堕ちた瞬間にすべて吹き飛んでしまった。胸の奥底では竹井とこうなることを、望んでいた自分がいたことに気づく。いつだって人間は単純な生き物で、本能に忠実だ。欲望にも。 散々口内を侵された後、竹井の唇が離れていく。つう……と銀糸が透明な玉を連なり、唾液で濡れた私達の、唇の合間を繋いでいた。 瞳に映る光景はいやらしく煽情的で、性感を掻き立てられた身体が甘く疼く。 「んっ」 竹井の指が私の唇の上を辿り、そのまま口内に押し込んできた。無遠慮に侵入を図った指先が上顎をなぞり、甘く緩い快感が走る。 「……弱ぇの? ココ。すげぇエロい顔してるけど」 「ふっ、ん」 違う、と控えめに首を振って否定してみても、蕩けきった顔は隠しようがない。乱暴なキスの余韻が残された身体が熱を帯び、目尻には涙すら浮かんでる。感じていないわけがないのは一目瞭然で、それを見逃すことなく指摘してくる竹井は本当に質が悪い。 「やぁ……は、ん……」 「何? 聞こえない」 「抜、いて……」 とはいえ、指1本で口内を侵され続けるのは正直辛い。快感と言うには遠いし、恥辱的な光景だと自覚すればするほど、興奮よりも羞恥が勝る。口内に溜まる唾液を嚥下すれば、表情を緩めた竹井が指を引き抜き、私が着ているシャツに手を掛けた。 びく、と肩が震える。その先の展開なんて嫌でも予想できるわけで、慌てて竹井の腕を掴んで動きを止めた。私の抵抗が気に入らなかったのだろう、不満そうに眉を寄せた竹井の表情が歪む。 「止めんな」 「……まだお風呂入ってないから」 「だから? それまで待ってろって?」 「や、その……違くて」 「なに」 「……心の準備的なものが、まだ」 「はあ?」 遠回しに拒絶したものの、不満そうな声が落ちる。竹井が不機嫌になるのは当然だ、この流れで拒否するなんて空気読めていないにも程がある。私だってこのまま流されてしまいたい気持ちもあったけど、いまだに仕事帰りの格好だったことに気づいて理性を取り戻すことができた。着替えどころか身体もまだ洗ってないし、何より避妊具が手元に無い。このまま抱かれるのは嫌だ。 ……けど、それを主張したところで納得してくれないのがこの男だった。 シャツの襟元から、ビリッと布の引きちぎられる音が響く。同時にボタンが弾け飛び、無理やり暴かれた胸元から谷間が覗く。突然乱暴なことをされて言葉を失う私を見て、竹井の唇が緩く、弧を描いた。 「……北川さ、今ここで俺に抱かれないと一生後悔すると思うよ」 「な、にそれ、どういう意味……あっ、」 謎の主張に噛みつこうとした私の言い分は、首筋に顔を埋めてきた竹井の暴挙によって遮られた。 肌の薄い鎖骨の上を舌が這い、ちゅっと強く吸われて腰が揺れる。好きな人から受ける直の刺激は、甘ったるい快楽と更なる疼きを私にもたらした。 「ダメだってば」 「おい髪引っ張んな」 「あ、汗かいたし、汚いからやだ……っ」 離れてほしくて竹井の頭をぐいぐい押し返す。どうせ抱かれるなら、綺麗な姿で触れてほしいって思う気持ちは女子共通だと思うけれど、そんな繊細な乙女心を竹井に理解しろというのが無理な話。案の定、竹井の手が私の両手首を掴み、頭上で纏めて拘束されてしまった。 「ちょっと、竹井何してんの……!」 「何って、ナニだろ」 「ねえ、今度にしよ? 今日はほんとに無理だから……っ」 「今度なんてねーよ」 「……え?」 はっきりと断言されて、目を見張る。その一言に例えようのない違和感を覚えて、心の中にもやもやと暗雲が立ち込める。 まじまじと見つめ返す先にある表情はやっぱり涼しげで、けれど薄い唇がはっきりと、決別の言葉を紡いだ。 「俺、明日からもう日本にいねーから」 「……え」 さも当然のように告げられた言葉を、すぐには理解できなかった。 日本にいないということは国外に出るという意味で、海外旅行にでも出掛けるのかと思い至った考えは、次の瞬間に打ち消された。 『今抱かれないと、一生後悔する』 『今度なんてない』 『明日から、もう日本にいないから』 脳裏に、竹井の言葉が甦る。 「……海外?」 「うん」 「仕事で?」 「まあな。半年前から決まってた」 「……」 半年前……は。 竹井の、私に対する接し方が変化してきた時期と被っている。 「……聞いてないんだけど」 「言ってねえし」 「……もしかして滞在長いの?」 竹井は何度か海外出張の経験がある。そして昨年、語学研修の為に半年間、海外に滞在していた時期があった。 もし、次に海外滞在することがあるとすれば、実務研修が目的になる。語学研修時よりも滞在期間は長くなるし、実務研修が終われば今度は海外駐在になるはずだ。実務の後にすぐ海外駐在員になるのは稀な例だけど、可能性はゼロじゃない。そうなれば次に日本に帰ってくるのは、恐らく4〜5年後。いや、もっと長いかもしれない。 突然突きつけられた現実に理解が追い付かない。 頭の中が真っ白になる。 「……なんで教えてくれなかったの」 「むしろなんで教えなきゃいけないわけ? 友達でも恋人でもない奴に」 「そんな言い方……っ」 酷い、なんて思うのは間違ってる。竹井は仕事都合で海外に行くんだから、私にどうこう言われる筋合いなんて彼には無いはずなのだから。 頭ではちゃんとわかってる。 でも、それでも納得できなかった。 「……じゃあ、なんでヨリ戻そうなんて言ったの」 「……」 「私のこと試したの? なんで今日、気持ち確かめようとしたの? ヨリ戻したところでアンタ明日からいないんでしょ!?」 心が、千切れそうだった。さっきまで幸福感に浸っていたのに、突然奈落の底に突き落とされたような絶望感が襲う。ふつふつと込み上げる一方的な怒りが脳内を支配して、この激情を止める術もわからなかった。 もっと早く事情を知っていたら、こんなに失望することもなかっただろうに。自らが居なくなる直前に抱こうとする神経も、私には理解できなかった。 「……結局、私も同じなんだね。竹井が今まで遊んで捨ててきた女の人達と、同じ扱いするんだ。いいよ、じゃあ抱けば? どうせヤリ逃げする気だったんでしょ? 明日から顔合わせることもないし、やっと私から離れられるよ。よかったね」 「……北川」 押し倒されたまま顔を背けていた私には、竹井がこの時、悲痛な表情を浮かべていた事に気付けなかった。今までずっと避けてきた話題を自ら口にしてしまったことに、傷つけられた心が悲鳴を上げる。限界だった。 「……私だけは……、他の女と違うって思ってたのに……っ」 どうして竹井が私の気持ちを暴こうとしたのか、もう一度やり直そうって言ってくれたのか。そんな疑問を考える余裕なんて全くなかった。ただ離ればなれになってしまう事実が悲しくて、大事なことを話してくれなかった現実が辛くて、悔しくて涙がポロポロと溢れ出す。結局私は竹井にとって、その程度の存在だったんだと思い知らされた。 「……北川、まだ俺の話は終わってない」 「今更何よ、ほんっとアンタ最低……っ」 「ばか、聞けよ」 「聞かない。抱かないならもう帰って!」 そう喚いた瞬間、拘束されていた両手首が軽くなった。両頬に竹井の手が触れて、勢いよく顔を持ち上げられる。 「──だから聞けよッ!!」 一喝されて息が止まった。 ぴりっと張り詰めた空気が私達を包み込む。 強制的に目線を合わせられ、改めて見上げた竹井の表情は珍しく、焦りの感情を露にしていた。 突然の豹変ぶりに固まっている私に、竹井は眉をひそめながら深く息を吐く。乱れた呼吸を一旦落ち着かせてから、今度は静かな声で、再び私に話しかけてきた。 トップページ |