恋人たち 駅前から離れ、タクシーが停車している場へ向かう。乗り場には既に行列が出来ていて、最後尾に私達も並んだ。 次々に乗車していく人達の大半はスーツ姿だ。 仕事上がり、仲間達と飲みに出掛ける人達の集まりなのだろう。 「なかなか帰らせて貰えなくて。急いでたから連絡できなくてごめん」 タクシーを待つ間、彼は何度も謝罪の言葉を口にした。 あの人達が、速水くんを帰らせたくない気持ちもわからなくはない。自ら勧んで飲み会に参加する人じゃないから、今日みたいな日は貴重だ。彼の帰宅を惜しむ声があっても不思議じゃない。 そもそも速水くんが飲みを断る理由は2つある。ひとつは単純に、アルコールに弱いから。もうひとつは、私と個人的に会う為だ。 みんなとの飲み会より、私を優先してくれる。 それを嬉しく思う私は心が狭いのかもしれない。 でも、私は彼の恋人だ。せめて週末の夜、会社の外だけでも、彼を独占できる立場でいたい。彼女として振る舞える機会が早々ない点では、私にとっても今日は貴重な日だ。 数分経ってから、目の前にタクシーが停車した。私が先に、その後に速水くんが続く形で後部座席に乗り込む。行き先を伝えれば、私と彼を乗せた車はゆっくりと走り出した。 窓の外は人でごった返している。 さすがは華の金曜日、行き交う人の数も、往来する車も多い。 「あの、途中で飲み会抜け出して大丈夫?」 「うん。俺のピンチヒッターとして、誰か店に呼びつけたらしいよ。他の部署の人だと思うけど、会う前に店を出たから誰かはわからない」 「そうなんだ……」 速水くんの代わりに呼ばれるような人、か。 きっと彼同様に人気があって、誰からも愛される人だろうなと思いを巡らせる。誰なんだろうと考えていた時、急に肩を抱かれた。 思いがけず近づいた距離に、心臓がどくんと大きく跳ねる。甘さの残るシトラスの香りが、ふわりと鼻腔を掠めた。 「なに考えてるの?」 私を覗き込む瞳は、欲を孕んだ熱を滲ませている。 「あ……速水くんの代わりって誰なのかな……って」 「俺と一緒にいる時は、俺以外の男のことは考えないで」 「……っ」 零れ落ちた独占欲に、顔に熱が上がる。 2人きりの時ならいざ知らず、運転手さんがいる前でそんなこと、言わないでほしい。絶対に聞かれた。恥ずかしい。 赤面した顔を隠すように俯けば、私の手に彼の手のひらが重なった。耳元に唇を寄せて、甘い囁きを落とす。 「……泊まりでいいよね?」 「……うん」 静かに頷けば、小さく笑う気配がした。 タクシーはスクランブル交差点を進み、道玄坂を辿っていく。そうして見えてきた、右手エリアにある───丸山町の一角。ネオンが瞬く花の街に、車は静かに停車した。 眠らない街と称されるこの周辺は、何件ものクラブと、そしてラブホテルが立ち並んでいる。男女の欲が交差する、独特の雰囲気を放つ街。何度も彼と訪れているけれど、いつ来ても居心地が悪くて場違い感が否めない。彼が気を遣ってコンビニに寄ってくれたお陰で、不快感は少しだけ和らいだ。 軽く口にできるものを購入し、レジ袋を片手にコンビニを出る。ラブホ周辺はカップルの姿も多く、タクシー以外にもミニバンや、ワゴン車も多く駐車していた。 その手の仕事をしている女の子達の、送迎車両なのだろうと悟る。今日は、やけに車の数が多い。 ……ああ、そうか。今日は給料日明けだ。 彼女達にとっても、貴重な稼ぎ時だろう。 「天使さん、もっと俺に寄って」 肩に彼の手が回り、強く引き寄せられる。強制的に体が密着して、心拍数が一気に上昇した。 顔が近い。彼の体温を間近に感じる。 内心は軽くパニック状態だ。 「まだ、慣れない?」 "もう、3年も経つのに" そんな響きにも聞こえた。 「う、うん……速水くんといると、いつもドキドキしちゃって」 「……そういうこと、素で言っちゃうから困る」 「……困るの? ごめんね」 「もう、何。可愛い」 「………」 会話が噛み合っていない気がする。 でも、速水くんだって。私の心臓が止まりそうなことばかりするから、私はいつも困ってるんだよ。 もう3年も経ってるのに、私はいつまでたっても、彼の不意打ちに慣れないままだ。 彼と選んだラブホは、比較的新しい建物だった。"女の子が安らぐ環境"をコンセプトとした、赤と白を貴重とした綺麗な部屋。週末前の夜となれば満室で埋まっていることが多いけど、早い時間帯に入室したお陰で、人気の高い部屋をとれた。 パネル画面で部屋を予約して、エレベーターに乗り込む。部屋に着いて扉を閉めれば、真横に設置されている精算機から自動音声が再生された。 「先に入ってて。精算済ませるから」 「うん」 彼から鞄を受け取り、パンプスを脱ぐ。 速水くんが会計を済ませている間に奥へ入り、クローゼットを開ける。棚に2人分の荷物を置いた。コートをハンガーに掛けようとした時、棚に置いたはずの彼の鞄が傾いた。 「あっ」 そのまま横倒れになって、中身が中途半端に飛び出してしまう。トイレの件といい、今日はミスばっかりしてるなあ……なんて思いつつ、飛び出した書類を拾う。 (……なんの封筒だろう) ふと、手にした青い封筒が気になった。 トップページ |