わたしだけの


「速水くん、ひよりちゃんが好きなんだって」

「だから、彼女になってあげて?」

 入社して3ヶ月ほど経った頃だと思う。研修や講習会で顔を合わせるうちに仲良くなった、管理部門所属の女の子。その子から突然告げられた告白に、言葉を失った。

「……冗談やめてよ」

 当然信じることなんて出来なかった。

 それはそうだろう。彼の存在感は一際大きなものになっていて、社内でもすっかり有名人だ。私達と同じ新人社員にも関わらず、誰よりも一歩先を行く彼の功績は、他の追随を許さないほどに素晴らしいものだった。
 上司からも目にかけられ、異性からも人気が高く、かといって優秀さを鼻にかけないから同性にも親しまれている。そんな彼が、特に目立った功績もない地味な私を好きだなんて、どう考えてもありえない話だ。

 仕事や評価を抜きにしても、私達には接点がない。同じオフィスで働いていれば挨拶だってするし雑談もするけれど、それだって天気の話だったりニュースの内容だったり、当たり障りのない話題ばかりだ。そんな会話なら、他の社員とだって交わしてる。
 仕事以外でろくに話したことがない私達に、どうしたら、そんな色恋的な展開が期待できるというのか。彼は私のことなんて眼中にもないだろうし、申し訳ないほどに私も、彼には興味がない。

 そう主張しても、彼女は首を横に振る。

「えっ、これ本当の話だよ? 『どうしたら彼女と仲良くなれるかな』って、わたし、速水くんから相談されてるの」
「冗談言うなら、ちゃんと相手を考えようよ。私がそんな嘘信じると思うの?」

 "この話は終わりね"、強制的に話を中断させて、手元の書類に視線を戻す。世間は夏期休暇を前に情勢が動き始めていて、私達はその動きを全て、把握しなければならない。研究員に求められるのは、高い調査能力だ。
 過去のデータではなく、最新の生きた情報で産業・経済の活性化に促進し、社会に貢献することが私達の役目。自身の業務で手一杯だった私には、色恋沙汰に飛びつく余裕なんて当然なかった。

 だからこの時、

「私から言っても信じられないか……うん、やっぱり告白は、本人からじゃなきゃダメだよね」

 隣から聞こえたその呟きも、私は意識外に追いやっていた。






 その翌日。
 速水くんから、屋上に呼び出された。





「谷口さんから聞いてると思うけど、ずっと天使さんのことが好きだったんだ」
「……え」
「友達からでいいから、個人的に仲良くなりたい。だめかな?」

 耳を疑った。
 ありえないと思っていたことが、本当に目の前で起きてしまった。
 聞き間違いだとか、なにか裏があるんじゃないかとか、そんな疑いも出来ないほどに、彼は真摯な眼差しを私に向けてくる。オフィスで見せてくれるような柔和な笑顔は今はなく、固く引き締まった表情は緊張しているように見えた。

 彼の目元が、ほんのりと赤く染まっている。
 そんな顔を見せられたら、疑う余地なんてない。
 まるで伝染したかのように、私まで赤面してしまった。







 "友達からでいいから仲良くなりたい"


 彼は確かにそう言った。

 自分の想いをストレートに伝えた上で、希望的観測は「友達から」。返事は急がない、彼の言葉のニュアンスから、そう読み取れた。

 今まで異性と交際した経験がないどころか、まともな告白すら受けたことがない。初恋すらまだだった。男友達なんて当然、いるはずがない。
 そんな私に彼が挙げた条件は、彼なりの優しい譲歩だったと思う。あくまでも"友達"という範疇でなら、受け入れられるかもしれないと。

 そう、思ってしまった。

「……友達からで……いいなら」

 そう、答えてしまった。







(……今思えばズルいよね、あの告白は)

 渋谷駅の西口。指定された場所で、私はひとり、彼が来るのを待っている。
 ベーシックなリブニットと花柄のフレアスカートに着替え、メイクも少し変えてみた。気付いてくれるかな、なんて、デートを目前に浮き立つ自分のテンションに笑えてくる。

 人混みで溢れる駅周辺は、私のようにスマホをいじりながら立っている子が沢山いる。その光景に馴染んでしまっている私の心はすっかり安らいでいた。
 日々、あの窮屈な箱の中で蔑まれ、息苦しい時を過ごしている私にとって、誰もがみな他人に無関心なこの場所は、何よりも開放的で居心地が良かった。誰も私を気に掛けない、という点では一緒だけど、悪意のない視線がないだけでも安心感を覚える。

 スマホに視線を落とせば、デジタル表記は20時25分を表示している。
 今日の飲み会は参加者が多かったし、抜けようにも抜け出せないのかもしれない。最後に彼に送ったメッセージは既読がついているものの、返信は来なかった。

(……まだかな)

 彼とのラインのやり取りは、あの日、告白された日から始まった。友達からでいい、そう告げた彼に頷いてから、もう3年が経っている。
 彼との交際が周りにバレるのは怖い、そんな私の心情をすぐに察知してくれた速水くんは、「社内では普通通りに接しよう」、そう提案してくれた。
 つまり私たちの関係は公にしない、そう助言してくれたのは有り難かった。

(………まだ、かな)

 デジタル表記は40分を表示している。
 彼の来る気配はない。



 連絡もない。
 返信も来ない。

 でも平気。待つのは、苦痛じゃない。
 好きな人を、"友達"以上に好きになってしまったあの人を想うこの時間が、私は嫌いじゃなかった。











「天使さん」

 すぐ頭上から声が落ちる。
 驚いて顔を上げれば、そこには待ち焦がれていた彼の姿があった。
 急いで走って来てくれたのか、髪が乱れていて呼吸も荒い。肩で息をしている彼の様子に、歓喜で胸が震える。

 ああ、速水くんだ。
 速水くんが、来てくれた。

「ごめんね。遅くなったね」
「ううん、大丈夫だよ」

 そう答える私に、彼は柔らかく微笑んだ。



 向かい合う私達の横を、沢山の人が行き来する。
 誰も私達に目もくれない。
 気にも止めない。
 速水くんの瞳には今、私しか映っていない。

 私だけに注がれる熱視線に、この上ない至福を得る。空虚だった私の世界に、速水くんが上書きされる。彼の視線や言葉、仕草、感情全てが、私の世界を鮮やかに彩っていく。

 誰にも介入できない世界。
 今、目の前にいる速水くんは、みんなの速水くんじゃない。
 私だけの、速水くんだ。

mae表紙tugi

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