両親2


「……ちゃんと話すのは初めてだね。俺の両親は、もういないんだ。親父は俺が17の時に病気で亡くなってるし、母親は家を出ていったきりで帰ってこない。今どこにいるのか、生きているのかすら知らない」
「え……」

 淡々と告げる彼の話は、耳を疑うような内容で。
 どう答えるべきかわからず、私は口を噤んだ。

 3年も付き合っていながら、何も知らされなかった彼の背景。まさか父親は既に他界、母親に至っては失踪中だなんて、誰が予想できただろう。
 彼が、家族の話を語ろうとしなかった理由が今になってわかる。

「俺の親も、谷口さんの親も、はっきり言って親らしいことは何もしない人間だった。子供の面倒なんてちっとも見やしない。だから谷口さんは親に全然懐かなくて、いつも俺の方に逃げてきた。俺自身も両親から距離を置いてた。関わりたくなかったから」
「………」

 関わりたくなかった、なんて。
 家族なのに、まるで他人事のように言い放つ彼の口調に違和感を覚えた。
 そして同時に湧く、妙な親近感。
 速水くんの話が本当なら、私と彼らの家庭環境は、酷似している。

 彼の話を疑っている訳じゃない。昔と違い、今は『家族が一番大事』なんて言える時代じゃなくなった。親や子を殺める事件が多発して、テレビでは連日、虐待や育児放棄などの悲惨なニュースが報道されている。それらの話題が尽きることもない。
 子供にとって親が絶対で、親にとっても子が一番、ではなくなったんだ、今は。そうじゃなかったら、私の家族はもっとマシになれていたはずだ。
 とはいえ、全体的な割合を見れば、良好な関係を築いている家族の方が多いはず。実際、私と似たような環境に苛まれている子は、周囲に1人もいなかった。

 決して、家庭環境に恵まれていたとは言えない私達。
 同じ痛みを抱えた者同士が、この榛原という会社で出会い、親しくなれた。
 これはただの偶然、なのかな。

(……たまたま、だよね。偶然に決まってる)

 むしろ偶然じゃなかったら何だっていうの。
 出会うことを仕向けられた誰かの罠だとでも?
 二番煎じのドラマじゃあるまいし、そんな訳がない。

 必然的な出会いだった、なんて夢物語を語るつもりはないけれど、それでも、私の知らない縁があってこうして巡り会えたのなら、苦しかった今までの日々も、救いがあるように思えてくる。

「……あの、話してくれてありがとう」
「ううん。朝から重い話でごめん」
「でも、結婚するならいずれ聞かなきゃいけなかった事だから……今、聞けてよかった。辛い話させちゃってごめんなさい」
「……俺達、謝ってばかりだね」
「ふふ、ほんとだね」
「……天使さんには、知っていてほしかったんだ。聞いてくれてありがとう」

 堅苦しかった雰囲気が、また元の空気に戻る。
 ゆっくり微笑んだ私に、つられたように彼も表情を緩めた。
 伝えられた事実は重いものだったとしても、深刻な雰囲気にならなかったのは、きっと彼の覚悟や思いを知ってしまったから。

 速水くんはきっと、両親の事を誰にも打ち明けていない。安易に口に出せる内容じゃないからこそ、話せる人は限定されている。
 私に打ち明けてくれたのは、結婚相手だからという点も含めて、自分の弱点とも呼べる部分を晒け出してもいいと望んでくれたからだ。
 だから、彼が自ら両親の話をしてくれた事は、素直に嬉しかった。

「親族と呼べる人もいないから、俺の両親に結婚の報告は必要ないんだ。ただ一応、谷口さんの親には世話になった部分もあるから、俺から一言伝えておくけど。それでいいかな?」
「うん……あのね、速水くん」
「ん?」
「私の両親への挨拶、なんだけど」

 彼が打ち明けてくれたのなら、私も打ち明けなきゃいけない。避けては通れない道だ。

「今日ね、帰ったら実家に電話してみるつもりなの。会って欲しい人がいるって、母親に伝えてみるつもり」
「うん」
「……でも、私の母は会ってくれないかもしれない」
「……え、もしかして反対されるとか」
「あ、違うの。多分、母は反対しないと思う……ただ、あの人も私に興味がなくて、そういう付き合い事も面倒臭がって嫌う人だから。そんな親を持って恥ずかしい限りなんだけど」
「……興味がない?」

 私の言葉に、彼は不思議そうに首を傾げた。

「でも、自分が手塩にかけて育てた娘が結婚する相手だし、親なら普通、気にするよね?」
「……なら、私の親は普通じゃないんだろうね」
「………」
「手塩にかけて育てられた記憶は、私の中ではないかな。私の両親も、そういう人達なの」

 随分と嫌みったらしい言い方になってしまったけど、本当のことだ。私の母親───あの人にとって子育ては煩わしいものであり、私は家事を全て任せられる便利屋に過ぎなかった。

 今でも思い出せる。私が高校を卒業して、1人暮らしを始める頃に母から言われた台詞。


『この家を出るなら、もう他人同士ね』


 あの人が放った、あの言葉。
 最初は全く意味がわからなかった。

 たとえ実家から離れようが、親子の縁が切れる訳じゃない。確かに両親と仲が良いとは言えなかったけど、家から出たくらいで血の繋がりが無くなる訳じゃない。
 私が実家から離れようが何処に嫁ごうが、あの人の娘だという事実も変わらない。血の繋がりがある以上、赤の他人になれるはずがない。
 仮にも18年間、あの家で共に過ごしてきた娘に対して「家から出るなら他人」だなんて、あまりにも冷酷すぎる発言だと思うけど、当初はまだ、あの言葉の真意を測りかねていた。
 実際に1人暮らしを始めて、両親から連絡のひとつも来ない毎日に慣れてきた頃、あの言葉の裏にある意味に気づいた。

 なんてことはない。家事を放棄する人間はこの家に不要だと、あの人はそう伝えたかったんだろう。

 面倒事は全て娘に押しつけて、自分は楽な生き方をしていた。その面倒事を担ってきた私という人間がいなくなる。
 あの人の中で私は、家政婦的な価値でしかなかったんだ。仕事を放棄して家を出るなら、家族ごっこは終わりだと。つまり、そういうことなんだろう。

 そこまで自分の子供に情が無いのかと虚しくもなったけど、母から離れられたという安心感の方が強かったから、あの一言を引き摺ることはなかった。
 今頃になって、自分の首を絞めることになるなんて思ってもいなかった。

 実家に電話をするということは、3年ぶりにあの人と会話をするということ。
 喜ばしい報告のはずなのに、はっきり言って憂鬱で仕方ない。酷いプレッシャーが襲う。

「……天使さん」
「あっ、はい」
「お母さんのことは、わかったよ。天使さんに任せる。あと、お父さんのことだけど」
「……うん」

 父親に関しても難儀な問題だった。

 母と同様、父とも連絡は一切取っていない。ただ、私の父は榛原で働いている社員でもあった。今は別の支社に勤務している。
 父と一緒に働いていた人から聞いたことだけど、私があの家から出た数ヵ月後、父もあの家を出て母から離れたらしい。
 つまり、私の両親は今、別居中だ。

「お父さんの連絡先、わかる?」
「……ううん、私は知らないの。後で母親に訊いてみようと思ってる。母なら知ってるはずだから」
「その事なんだけど」
「?」
「お父さんのことは、俺に任せてくれないかな? 向こうの支社で何度か顔も合わせてるし、俺単身で会いに行った方が、話し合いがスムーズにいきそうな気がするから」
「……え」

 そう言われても、素直に頷ける訳がない。
 本来であれば、結婚相手と2人揃って行く筈の、両家への結婚報告。親に感謝を伝え、承諾を得るためのもの。彼だけが行っても意味がない。

「だめだよ、私もちゃんと行く」
「でも、お父さんと話すの、しんどくない?」
「………」

 確かに父と話すのも久々で緊張するし、もともと私はあの人が苦手だ。自由奔放な母とは違い、頑固者で見た目に厳しく、自分の考えを曲げない主義の父親とはそりが合わない。
 同じ部署の人と結婚する、なんて言ったら何を言われるか、あの人の場合は想像もつかない。父がもし、社内恋愛を良しとしない考えの持ち主だったら、速水くんとの結婚も反対される可能性がある。

 ……まあ、反対されたらされたで、文句は言うつもりだけど。
 今まで散々、家庭の事を放ったらかしにしていた身分のくせに、娘の結婚には口出しするとか何様なんだ、くらいの反論は許されるだろう。

 けど、速水くんは私との結婚報告を、私抜きで私の父親に告げると言う。

「今の状態じゃ、不安要素が多すぎて天使さんが辛いでしょ? だから、俺1人で会いに行く。お父さんの意思を聞いてくるから、その後は2人で、ちゃんとした形で報告しに行こう?」

「……2人、で?」
「2人で」
「……速水くん」

 私が親に重圧を感じていることを、彼は既に察してくれていた。私の気持ちを理解して、汲み取ってくれている。

「だから、そんなに不安そうな顔しないで? 天使課長とは何度か面識があるけど好意的な態度だったし、結婚のことも、きっと反対されないから」
「……どうしてそう言い切れるの?」
「勘、かな」
「?」

 意味深な笑みを浮かべた速水くんは、けれどそれ以上、何も話すことはなかった。



・・・



 マンションに辿り着いた頃には、既に7時を回っていた。
 建物の合間から射し込む日差しは、早朝だというのにやけに眩しくて、目を瞑る。
 併設しているコンビニは既にシャッターが開けられていて、人がまばらに出入りしていた。

「送ってくれてありがとう」
「お礼なんていいよ。無理強いしたのは俺だから」

 彼が私に顔を向けて、ゆったりと微笑む。
 車内の空気が動く度にふわりと香る、シトラスの匂いが好きだった。彼の匂いと同じもの。

「俺の方こそ、ごめん」
「え?」

 何に対しての謝罪なのかと首を捻った時、速水くんの手のひらが私の頬に触れた。
 名残惜しそうに、別れを惜しむように撫でる手つき。そんな些細な仕草に心が掻き乱される。

「結構、無理させた。……体、大丈夫?」

 眉尻を下げて謝罪されて、昨晩の情交が脳裏に呼び起こされた。

 泊まってくれるなら3回はしない、そう告げてくれた速水くんは、確かにその約束だけは守ってくれた。
 けど、色々と無理難題を押し付けられたお陰か、下腹部に鈍痛が残ってしまった。
 鎮痛剤を飲めば痛み自体は引くし、体調も悪くない。疲労は若干身体に残っているけど、長引きはしないと思う。
 とはいえ、性交痛を感じるのは久々だった。

 思い起こせば、昨日の速水くんは随分と意地悪だったな……と、感想を抱く。普段は温厚な彼だけど、ベッドの中では少しだけ、意地悪度が増す。最近は、特に。

 男の人ってみんな、そうなんだろうか。
 女の人を抱く時は、人が変わるものなんだろうか。

 私にとって速水くんは初恋の相手で、初めて処女を捧げた人だ。彼以外の人と経験なんてあるわけがなく、女を抱く男の心理なんてわからない。

(速水くん以外の人……なんて、考えただけでも嫌だな)

 嫌悪感で身の毛がよだつ。

「……私、速水くん以外の人にはもう、身体が受け付けないの」
「……えっ」

 何も考えずに口に出してしまった本音に、速水くんから素っ頓狂な声が上がる。的外れな返事をしてしまったことに気がついて、羞恥で顔に熱が集まった。
 体の具合を訊かれただけのに、あなた以外の人に抱かれたくありません、なんて。煽ってると言われても文句は言えない。

「か、体は大丈夫。変なこと言ってごめんなさい、忘れてください」
「………」
「……は、速水くん?」

 固まったまま口を閉ざしている彼の様子に、不安を煽られて呼び掛ける。片手でハンドルを握ったまま微動だにしない彼の顔が、次第に赤く染まっていく変化を、呆然としながら見届けた。
 フイと視線を逸らされて、彼の口から悩ましげなため息が溢れる。ハンドルを握った手の甲に額をくっつけて、小さく呟いた。

「もうやばい、好き」
「……あ、の」
「お願いだから、他の男の前で絶対、そういう意味深なこと言うのやめてね? 天使さんが言うと破壊力すごいんだから」
「……破壊、力? え?」
「自覚なしとか、ほんと心配すぎる」

 そこで顔を上げた速水くんが、後部座席へと視線を送る。目線の先にある出勤用の鞄に手を伸ばし、中身をごそごそ漁り出した。
 中から取り出したのは、ファイル型の名刺ホルダー。クリアポケットから抜き取った名刺を、私に差し出してきた。

「これあげる」
「?」
「元気が出るお守り」
「お守り……?」
「うん」

 手渡されたそれに視線を落とす。青いロゴの入ったデザインは、よく見知っているものだ。
 何気なくひっくり返し、裏面を見た私の目が驚きで見開いた。心臓がとくん、と甘く跳ねる。

「……速水くん、これ」
「何も言わずに受け取って。結構恥ずかしいから」
「……もしかして佐倉くんに対抗してる?」
「どうして毎度スルーしてほしい所をスルーしてくれないんだろねこの子は」




 ───一生、大事にします。


 それは佐倉くんの名刺ではなく、彼のもの。
 この世界にひとつしかない名刺。私だけに託された、特別なメッセージ。
 手紙やメッセージカードではなく、わざわざ"名刺"を媒体として伝えてくれたのも、彼にとっては意味があること。

「佐倉の名刺は持ってるのに、俺の名刺を持っていないのが気に入らない」

 まるで子供の嫉妬のような主張を繰り返す彼に、口元が緩むのを止められなかった。

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