両親1


 翌朝。目が覚めた頃には、時計の短針がちょうど5時を指したあたりだった。

 一緒のベッドで眠っていた筈の、速水くんの姿は隣にいない。その代わり、遠くから微かに聞こえてくるのは食器と食器の不協和音。
 寝ぼけ眼を擦りながら音の方へ足を向ければ、キッチンで朝食の準備をしている速水くんの姿がある。
 私の気配に気付き、彼は後ろを振り向いた。

「おはよう、天使さん」
「……おはよう」
「もうすぐ朝食できるから待ってて」
「うん」

 速水くんは料理が上手い。和食洋食デザートお菓子、作れる物はオールマイティーだけど、本人曰く得意な料理は、パスタや麺類だという。
 幼い頃からよく料理をしていただけあって、レパートリーの数も豊富だ。彼の手作り料理を何度か頂いたことがあるけれど、どれも飛び抜けて美味しかった。盛り付けも綺麗だし、もともとセンスがあるんだろう。

 私がぼんやりと立ち尽くしている間も、速水くんの手はせわしなく動いている。
 霞かかった思考も次第に働き始め、手伝おうかと側に駆け寄ろうとしたけれど、すごい勢いで止められた。

「天使さんがキッチンで生み出すものは料理じゃない。毒素だから」

 って理由で。

 彼とは違い、私は料理が大の苦手。
 毒素なんて言い過ぎだとも思ったけれど、あながち間違いでもないから反論もできない。過去、様々な黒歴史を塗り替えてきたんだ。

 あれは1人暮らしを始めたばかりの頃。
 自炊くらいは出来るようにならないと、そう意気込んで苦手な料理に挑んだ結果、異臭騒ぎでマンションの住民達に大迷惑を掛けたことがあった。
 他にも、シュークリームを作ろうとしてオーブンを開けたら、フランスパンが出てきたことがあった。
 一体何をどうしたら、そんなミラクルな変貌を遂げたのかはわからないけれど、あの奇跡は一生、忘れられないと思う。

 とにもかくにも、料理スキルが壊滅的なのはちゃんと自覚してたから、コンビニが併設しているマンションに住んでいる。
 昨今のコンビニ弁当は本当に美味しいし、塩分やカロリーも表記してあって、栄養配分までちゃんと考えられている。料理出来ない系女子にとっては、本当にありがたい逸品だ。
 料理どころか女子力まで壊滅気味だけど、今まで料理が出来なくても困ることがなかったのは、そのお陰。

 でも。

(結婚したら、そういうわけにもいかないよね)

 彼だけに料理を任せるわけにはいかない。家事は出来るけど料理は全部旦那任せ、なんて話にもならない。
 夕飯にコンビニ弁当を並べるわけにもいかないし、両親への挨拶や部署異動よりも、頭を抱える難題が出来てしまった。

(……料理教室に通おうかな)

 でも今度は、その料理教室自体を破壊しかねない。

「天使さん」
「え?」
「ご飯できたから食べよ?」

 呼ばれて、顔を上げた途端に鼻腔を掠めた、香ばしい匂い。
 視線を向ければ、彼お手製の朝食メニューがカウンターキッチンに並べられていた。
 近づいて、それらをひとつずつ吟味する。
 卵とベーコン、そしてアボガドのベーグルサンドに、ブルーベリーのヨーグルトに、和風トマトサラダ、そして鮮やかな彩りで飾られた野菜スティック。豪華すぎて何も言えない。

「……すごい」
「いや、別にすごくないよ。野菜は切っただけだし、トマトサラダだって、薄く切って調味料を適当に混ぜて掛けただけだし。簡単だよ。5分でできるし、なのに凄く美味しいからオススメ。今度作り方教えてあげるね」
「ありがとう……ごめんね」
「何が?」
「……料理できない彼女でごめんなさい」
「何言ってるの。家事や洗濯は、天使さんの方が凄いじゃん」
「そうかな」
「片付けも上手いし、掃除も細かいところまで行き届いてるし。洗濯なんて、どうやってるの? って疑うくらいフワフワになるし」

 速水くんはすごいと褒めてくれるけど、そうなって当然の結果だった。母親が何もしない人だったから、自分でやるしかなかったんだから。
 私の母親は本当にだらしがない人で、家事も料理も全部、面倒臭がって手をつけない。やったとしても凄く適当で、見かねた私がやり直すことが多かった。本当にこんな人が、赤ちゃんだった頃の私を育てられたんだろうか? って疑問が浮かぶくらい、ろくな子育てをしなかった。
 そればかりか、私が10歳を迎えた頃から、母は私に全てを押し付けるようになり、夜な夜な遊び呆けては子供をないがしろにするような、無責任かつ自由奔放な日々を満喫していた。
 そして、それは今でも変わっていない。

 父親に至っては仕事に入り浸りで、家庭を一切顧みない。
 そのくせ見た目や世間体には煩くて、みずぼらしい格好をしていれば嫌味を言うし、家の中が散らかっていれば、烈火のごとく怒り出す。
 自分は一切、家事をしないくせに。家族を見ないくせに。

 そんな家庭環境の中で育ってきたから、家事全般は私がやるしかなかったけれど、料理だけは、何をどうしていいのかわからなかった。
 見本になるようなものも無ければ、教えてくれるような人もいない。
 携帯も持たされなかったから調べることもできなくて、お小遣いも微々たるもので本を買うこともできなかった。手のつけようがなかったんだ。

 思い付くままに初めて作った料理は、茄子の味噌汁。
 自分なりに頑張って作ってみたけれど、「不味い」と父親から言われて排水口に捨てられた。
 屈辱を晴らすべくもう一度作った味噌汁は、やっぱり味噌の加減がわからなくて味が濃くなってしまって。結局、2度目の味噌汁は自分で捨てた。
 あの日以来、料理をしなくなった。
 頑張っても無駄な努力だと、僅か10歳で悟ってしまった。

(……両親との思い出って、ほとんどないな)

 幼い頃の記憶は曖昧だ。
 単に忘れているだけだけど、思い出として記憶に残るような思い出自体が、私の場合はまず無かった。
 それだけ、両親との関係が希薄だという証拠でもある。

(……でもいいんだ。今は速水くんと、ありさと過ごした思い出が沢山あるから)

 感傷に浸っても、どうしようもない。
 気を取り直して、彼が作った料理をテーブルに置き直した。
 互いに向い合わせになって座る。手を合わせていただきますをして、一緒に朝食にありついた。もちろん、味は絶品だ。

「天使さん、おいしい?」
「うん、美味しい。速水くんは本当に料理上手いね」
「でも、難しいものは俺も作れないよ。そこはあまり期待しないでね」
「……速水くん、料理の腕はどう磨いたの?」

 彼だって、初めから全部上手くできたわけじゃないと思うけど。

「磨いたわけじゃないけど……あえて言うなら、谷口さんのお陰かな」
「え……ありさ?」

 意外な返答に驚いてしまう。
 滅多に聞けない、2人の思い出話に耳を傾ける。

「あの子、めっちゃ食べるでしょ」
「うん」
「小さい頃から、『おなかすいた』が口癖でさ。お小遣いもそんなに貰ってなかったし、冷蔵庫の中にあるもので、何かしら作るようになったんだ。でも、やっぱり上手くいかなくて。失敗も多かったけど、それでも谷口さん、『おいしい』って言って、全部食べてくれるんだ」

 速水くんの瞳が懐かしそうに細まって、時折可笑しそうに優しく笑う。
 まだ幼い速水くんの拙い料理を、嬉しそうに頬張るありさの姿を想像してみる。可愛くて、心がほっこりしてしまう。

「だからかな。確かに料理歴が長いこともあるけれど、美味しいって食べてくれる人がいたから作ってこれたし、上手くなりたいと思ったから。そういう人が身近にいてくれたら、料理は絶対に上達する」
「……なんか、深いね」
「本当は親に教わるべきなのかもしれないけど。俺の両親も、谷口さんの両親も……正直、いい親とは言えなかったから」

 思わず、どきっとした。
 突然降って落ちた深刻な話に、箸が止まる。
 今までずっと避けてきた、速水くんの家族の話。

mae表紙tugi

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