守り方、守られ方2 - 速水side ……とはいえ、当初はかなり困惑した。 俺の行動を全て見抜いていた上に、突然協力を申し出てきた彼女の意図が読めなかったからだ。 俺なんかに協力して、彼女にメリットがあるとは到底思えない。何か裏があるんじゃないか、協力と引き換えに関係を強要されるんじゃないか、そう疑ってしまうのも仕方なかった。 そんな俺の考えすら、三樹さんは既に見抜いていたようで、 「アンタみたいな単細胞バカな男、こっちから願い下げだわ」 と、冷めた顔で失笑された。 さすがにちょっと傷つく。 「アンタも部署の連中も、何しに会社来てんの? 仕事しに来てるんだろうが。会社は恋愛する場所でもなければ公開いじめする場でもねーんだよ。アンタらが腹の探り合いすんのは勝手だけど、よそでやってくんない? 真面目に仕事してるこっちがしんどいわ。空気がギスギスしてて居づらいったらない。無関係の人達が、どんな目でアンタら見てるかわかってる? どんだけ迷惑被ってるか気づいてないの? 馬鹿なの? 小学生でももっと空気読めるわよ」 「……」 畳み掛けるように責められて言葉を失う。口を挟む隙すら与えてくれないあたり、かなりフラストレーションが溜まっていたのだろう。 美人に睨まれると怖いとよく聞くが、本当にその通りだ。三樹さんは口調も荒いが、俺を責め立てている時の眼光が鋭くて、この目を見たら反論どころか動くことすら出来なくなる。 この人、絶対に目だけで人を殺せると思った。 ……けれど。 彼女から受けたこの叱咤が、逆に俺に覚悟を決めさせた。 結局俺は、自分のことしか考えていなかった。周りの、この状況を遠巻きに見守っている人達の気持ちなんて、一切考えていなかった。 三樹さんの言葉は、そのまま彼らの心の叫びだ。彼女が彼らの思いを代弁してくれただけで、言われなければ俺は気づきもしなかった。 周りの迷惑を考えなかった点で言えば、俺も天使さんを苛めている奴等と同じ穴のムジナなんだろう。 俺が、天使さんを守るために出来ることって何だろう。 いじめを止めることなのか、黒幕を捕まえることなのか。 どれも出来る可能性は限りなく低いのに、非効率的な足掻きをいつまで続けるつもりなんだろう。 それに三樹さんの言う通り、天使さんを助けられればそれでいいのか。 俺が、本当に守らなきゃいけない事って何だった。 「このままじゃ天使さん、ダメになるわよ」 「……え?」 驚きで目を見開く。 天使さんとの交際は、ありさと専務以外には話していない。誰にも気づかれていないと思っていただけに、彼女の一言は衝撃だった。 誰に何を言われたわけでもなく、三樹さんは既に俺達の関係すら見抜いていた。いつから気づいていたのかはわからないが、こんなに凄い人がすぐ間近にいたのかと思うと結構怖いものがある。 そしてこの時点で、俺はやっと理解した。 彼女の協力を仰げば、この八方塞がりな状況を打破できることを。 「───天使さんを助ける方法を教えてあげる。でも、3年は掛かると思う。その代わり、速水くんはこの部署の状態を何とかして。アンタ無駄に顔がいいから女受けもいいし、存在感もあるし。上司からも信頼されてるし、適任でしょ」 黒幕に動かされる、のではなく。 俺が、あの部署の連中を動かせ、と。 暗にそう言われているのがわかった。 それからはまた苦難の日々だった。 天使さんを助けたい、でも目先の目的だけに囚われてもいけない。仮に天使さんを助けられたとしても、この部署の人達の事だ。今度は別の人間をターゲットにして、同じ行為を繰り返して愉しむのだろう。 それじゃあこの部署は、いつまで経っても変わらない。根本的な解決にならない。誰かが、根底から変えなきゃいけないんだ。 それを俺が、なんて思うのは傲慢なことだし、正直、そんな大層なことが出来るとは思えない。 そもそも俺は、昔から人と話すのは苦手な方だ。 人の輪に疎外感を感じてしまうから近寄りたくないし、人を率先して導けるようなキャラ性もない。人より秀でたものなんて何も持っていない。 それでも出来ることがあるとすれば、仕事で結果を残すことだろう。 時間は掛かるだろうけど、確実に実績を積んで周りの信頼を得ていけば、いつかこの部署が変わらなきゃいけない時に、誰かしらに協力を仰げるかもしれない。本部長や課長クラスの人達に、話を聞いてもらえるかもしれない。 そんな、ほんの一握りの希望に望みを託すほかなかった。 でも、だからって天使さんをないがしろにもしたくない。 せめて自分が頑張っている姿を、彼女に見てもらいたい。 社内で話せなくても、助けられなくても、俺の姿を通して彼女を元気付けてあげたかった。一緒に耐えて、共に頑張ってる奴がここにいるよ、と。言葉なく送るメッセージは、ちゃんと彼女に届いていたようだった。 そう前向きに考えられるようになったのも、三樹さんのお陰だ。彼女が俺に教えてくれた「天使さんを救う方法」が原動力になっていたが、それだけじゃない。理解者が傍にいる安心感は、何より俺に勇気をくれた。 ……ただ、天使さんに三樹さんのことを話せなかったことが、心にずっと引っ掛かっていた。 三樹さんも天使さんの味方なのだと告げるのは、三樹さん本人に猛烈に嫌がられた。俺自身も、天使さんに隠れて三樹さんと会っていることに後ろめたさもある。何もやましいことなどしていなくとも、やっぱり躊躇してしまう。 結局何も言えないまま、3年が経った。 「……3年か」 ぽつり、呟いた一言は震えていた。 目頭が熱くなる。感極まって零れ落ちそうになる涙を、下唇を噛むことで何とか耐えた。 男の癖に泣くとか格好悪いし情けない。 でも胸の奥底から込み上げてくる激情を、自分の意思で止められそうになかった。 「……3年、経ったよ。三樹さん」 「そうね」 「長かった。ずっと耐えて、やっと、」 やっと、救える。 助けられる。この手で、あの子を。 「……指輪、買ったんだ」 気を落ち着かせようと一呼吸する。 その後に告げた言葉に、三樹さんはチョコを掴む手を止めた。 「へえ。天使さんに?」 「もちろん」 「そう。プロポーズするのね」 「うん」 ──結局、3年が経ってもあの部署は変わらないままだった。 天使さんの扱いも相変わらず酷いままで、何も変わっていない。何も。 俺の努力が足りなかったのか、黒幕が一枚上手だったのか、所詮、多勢に無勢だったのか。何も変えられなかった現状の理由など、挙げたらそれこそキリがない。 だからもう迷わない。 強引なやり方だけど、躊躇なんてしていられない。 あの子が傷つけられる姿を、ただ見ていることしか出来ないなんて、もう嫌なんだ。 「……天使さんが、速水くんのプロポーズを受け入れたら、」 一粒のチョコを口の中に放り投げて、三樹さんは口を開いた。 「天使さん、部署異動になるわね」 「……うん、やっと助けられる」 榛原に限ったことではないけれど、夫婦が同じ部署で働くことは一般企業でも認められていない。榛原は社内恋愛に関しては黙認、という形を取っているけれど、婚姻を交わした場合、どちらかが別の部署へ異動になる決まりが定められている。公私混同を避けるために。 3年以上の勤務がないと婚姻は認められない、という謎の規則があったから動けなかったけど、今年で社会人3年目を迎え、彼女との付き合いも3年が過ぎた。 そろそろ将来のことを考えてあげたい気持ちもあったし、異動になれば、あの人達から遠ざけることも出来る。理由としては、今はこれが一番大きい。 調査課の業務自体は、天使さんは結構好きだったみたいだ。提携先の人達とも仲良くしてもらっていたようだし、こんな形で異動させてしまうのは申し訳なく思うけど。 それでも、1日でも早く、あの人達から離れてほしい気持ちの方が勝った。 「安心してるところ悪いけど。これで終わりじゃないわよ、速水くん」 「……うん、わかってる」 懸念しているのは、単純にプロポーズを断られる可能性もある事と、もうひとつ。 天使さんが異動する事を報せた際の、部署の反応だ。 社員が異動を希望した場合、妥当な理由であれば可能という規則はある。他部署でスキルアップを図りたい、部署で不当な扱いを受けている、などが対象になる。 ただ、必ず異動できる訳じゃない。内部監査に通らなきゃ異動は叶わない。 自分達の行いが外に漏れないよう、部署のほぼ全員が守りに徹している以上、たとえ天使さんが不当な扱いを受けている事を理由に異動願を申し出たとしても、恐らく上には通じなかっただろう。証拠や証言が得られないのだから当然だ。 芹澤さんも、天使さんには同じ部署で頑張ってほしい気持ちがあったようだし、自ら彼女に異動を勧めるような発言はしていない。そして天使さん自身も、部署異動を希望することはなかった。 もし、天使さんを部署から追い出したい為に始めた社内いじめだとしたら、彼女が異動になってしまえば彼らの目的は達成される。天使さんへの嫌がらせも終息する筈だ。 でも先日、仁が見せてくれた鑑定書を見たときに確信した。 このいじめは、ただの社内いじめじゃない。 もっと深いところに根を張っている、榛原の闇から来ているものだ。 あの人達が、自分達の卑劣な行いを徹底的に外に漏らさなかった理由。 それは単純に、周りの目を気にしていたから、ではない。 上司や人事部に密告される可能性を潰し、不当な扱いを受けての異動を、あえてさせない為なのか。 他に、別の理由があるのか。 「……天使さんが異動になって、それでもし、部署の人達が落ち着いてくれるならそれでいい。でも、もしそうじゃないとしたら」 「黒幕が動くかもね」 「………」 ……いじめというのは仲間意識を生みやすい。 誰かが始めた嫌がらせに誰かが面白がって便乗し、増幅していく。ウイルスのようなものだ。 だとしても、調査課にいる約9割の人間が社内いじめに荷担しているなんて、いくらなんでも多すぎる。しかも長期に渡ってだ。 3年経てば、婚姻による部署異動が可能になるとはいったものの、「さすがに3年もこんな状態は続かないだろう」と心のどこかで思っていた。 けれどそれは甘い考えでしかなく、現実は依然として変わらないままだ。 そこまで彼女を標的にしているのは、ただ面白がっているからではなく、別の思惑がある。 9割の人間が、その思惑の為に動かされている。 長年に渡って嫌がらせを徹底出来ているのも、誘導している人間がいるからだ。 リーダー格的な存在がいる、たぶん、あの部署の中に。 それが誰なのかも、三樹さんのお陰で大体把握できた。 「ここまでわかったら、もう十分だよ。あとは俺と専務で動くから、三樹さんは手を引いて。天使さんに向けられた敵意が、今度は三樹さんに向けられると大変だから」 「それは別に構わないけど。"アイツ"の事、しばらく見張っていた方がいいわよ。何かやらかしそうな気配感じるもの」 「……どうしてわかるの?」 「女の勘よ」 「わかった。用心しとく」 キャバ嬢として数年、人の見る目を蓄えてきた彼女がそう言うのだから間違いないだろう。 俺が動けない時は、いつも彼女が代わりに動いてくれた。感謝してもしきれない。 「ねえ、どこが好きなの?」 不意に、そんな軽い質問が飛び込んできて動きが止まる。 「え?」 「天使さんのこと。どこに惚れたの?」 トップページ |