守り方、守られ方1 - 速水side


「速水くん、こっちこっち」

 深夜も1時を回った頃。
 待ち合わせ場所として指定された店へ向かえば、そこには見慣れた女性の姿があった。
 俺の気配に気づいた彼女が、ゆったりと微笑みかけて手を振っている。その呼び掛けに片手を挙げて応えた。
 周囲に知人がいないことを確認してから、彼女の元へ駆け寄る。向かい側の席へと腰を下ろせば、

「あれ、美味しそうな匂いする」

 そう言いながら、彼女───
 三樹ヒカリさんは、すん、と鼻を鳴らした。

「あ、うん……焼肉食べに行ってたから」

 店を出てから1時間以上は経っていたけど、まだ服に匂いが残っているみたいだ。

「ごめん、臭い?」
「食欲そそる匂いね、お腹すいてきちゃった。やっぱりラーメン食べてこればよかった」
「ラーメン?」

 思わず目を丸くする。失礼かもしれないが、三樹さんにラーメンという単語が似合わなすぎて驚いた。
 目鼻立ちクッキリとした顔立ちとモデル並みのスタイル、そして男勝りのサバサバした性格のお陰か、社員数の多い調査課の中でも、彼女は一際目立つ存在だ。
 お金に執着心があり、三樹さんのもうひとつの姿───キャバ嬢としてのプライドなのか、体型維持の為の努力は惜しみ無く、財布から消費されているようだった。
 そんな彼女の側面を知っていただけに、深夜に炭水化物を口にするような人には見えないけれど。

「さっきまで、友達の親が経営してるラーメン屋にいたのよ」
「へえ……」

 呆けた返事を返せば、三樹さんはテーブルに肘をつけながら、前屈みに身を乗り出してきた。
 意味ありげな視線を俺に向けて、口を開く。

「ねえ、それより……私がここに呼び出した理由、わかってるよね?」
「……わかってるよ」
「じゃあ……早く、ちょうだい?」

 上目使いでねだる口調は、色香を伴っていて。
 紅いルージュに濡れた唇が弧を描く。
 昼と夜の顔を併せ持つ彼女は、男の誘い方も堕とし方も、経験上よく理解している。
 この人に落とされた男も数多いんだろうな、そう思いながら───俺は鞄から、彼女が望む品を取り出した。

「……はい、これ。三樹さんが欲しいって言ってた、高級チョコレートジェムズ。手に入れるのに苦労したよ」
「そうそう、これ! ずっと食べてみたかったの! でもチョコの為に5、000円も出すなんて勇気いるじゃない? だから手が出なくてさー。ありがとう〜!」

 途端に子供っぽい笑顔に早変わりにした三樹さんは、瞳をキラキラさせながらその包みに手を伸ばした。
 有名な専属チョコラィエにより、一粒一粒がハンドメイドで作られているこのチョコレートは、1粒1、000円という高値がつく高級品だ。それが5個入りなのだから、単純計算で5、000円。一般人からすれば、手を出すのも躊躇うレベル。

 ……というか。
 三樹さん、恐らく俺より数倍稼いでいるはずだから、勇気を振り絞って購入すればいいのに。
 なんて悪態は、心の中だけに留めておく。

「今まで散々貢がせてきたけど、速水くんお金大丈夫?」

 なんて、散々貢がせた後で言うのだからタチが悪い。

「……気にしなくていいよ。これは、俺からの感謝と謝罪の気持ちでもあるから」
「あ、そう? じゃあ遠慮なく受け取るわ。でも、これで最後かと思うと切ないわね」
「……三樹さんには、本当に感謝してる。今までありがとう。三樹さんの協力がなかったら、ここまで辿り着けなかったと思う。不快な思いばかりさせてごめん」

 頭を下げて一言詫びる。
 包装を剥ぎ、念願のチョコレートを口の中に放り投げた三樹さんは「別に不快ではなかったけど」と付け加えた。

「でも、速水くんも健気よね。天使さんを救う為とはいえ、『俺の悪い噂を流して社内に広めてほしい』なんて言われた時はビックリしたわ。コイツ頭大丈夫? ドM? って思ったし」

 遠慮も糞もない彼女の言葉に苦笑い。
 自分でも馬鹿だなって、実際そう思うけど。

「いや……全然救えてないよ。三樹さんにも芹澤専務にも協力して貰っていたのに、結局、状況を改善することはできなかった。天使さんを放置しているのも同然だ。本当、最低な彼氏だよ」
「最低、ではないと思うけど。目に見える努力だけが称賛されるわけじゃないわ。事実、適当に流したしょーもないデマに、食いついた人間は多かったわよ。特に女子ね。『速水くんが裏で女遊びしてる』なんて、自分の目で確かめた訳でもないくせにあっさり信じて。くだらない」
「……いいんだ、それで。俺の印象が悪くなればなるほど、天使さんに向けられる好奇の目が俺に向く。1人でも多く騙されてくれれば、天使さんに向けられる敵視が1人分、減るかもしれない。拙いやり方だけど、表立って止めることができない以上、そうすることしか出来なかったから」



 ……社内いじめ、は。
 いつ、どんな形で、どんな状況で炎上するのかわからない。
 下手な正義感を振りかざして制止しようものなら、それが火種を生む要因になってしまう可能性もある。人の目がある所で、卑劣な行為を止めることが危険なことはわかっていた。

 天使さんがどうして標的にされているのか、誰にも知られずに、慎重に調査する必要がある。けれど、原因を探ろうにも部署の人間は知らぬ存ぜぬを貫き通し、この状況を遠巻きに眺めている一部の人間も、「自分達は何も知らない」と保守的な主張しかしない。
 もっと酷かったのは天使さんの方で、当時はとにかく、「自分に関わるな、何も触れるな話しかけるな」というオーラが凄まじかった。取りつく島もないほどに拒絶され、原因を探るどころの話ではなかったんだ。
 そうなると、上司の芹澤専務しか頼る人物がいなくなる。

 あの人達は社内いじめの痕跡を残さないように徹底していたようだけど、専務は薄々気づいていたようだ。内部調査をしたいと申し出た俺の意見に、専務も快く賛同してくれた。

 ……けれど。

「お前は何もするな。俺が何とかするから」

 専務から告げられた言葉を、最初は理解できなかった。
 天使さんを救いたいから相談してるのに、何もするなと言われて落胆もしたし怒りすら覚えた。けれど冷静になれば、専務の言い分も理解できる。あの警告には、色んな懸念が含まれていたんだ。



 人の目に触れる救済が、必ずしも、その人を守ることになるとは限らない。何が発端となって状況が悪化するのかもわからない中で、俺の発言や行動が、いじめを助長してしまうような事になってはならない。助けられるものも助けられなくなる。そんな事態を回避する為に、専務は俺にセーブをかけてきたのだろう。
 それだけじゃない。調査課で問題が起こっている事が他の課や上の人間に知れたら、芹澤さんまで動けなくなってしまう。
 もし芹澤さんに何かあれば、専務の権限で出来たはずの内部調査すら出来なくなる。だから、俺と専務でしている事が表沙汰に出ないように必死だった。

 専務は天使さんのことを、表立って救おうとしてる素振りは誰にも見せなかった。彼女の立場や心境を考慮しての判断だろう。
 専務と天使さんが時折、別室で話し込んでいたことなんて、おそらく部署の人間は誰も知らない。専務が彼女と交わす内容も、仕事の話や近況だったりと当たり障りの無いものばかり。いじめに関する事は、直接話さなかったようだ。
 そうやって、彼女の心が孤独感で押し潰されないように、憎しみで蝕んでいかないように、専務は専務のやり方で天使さんを守っていたのだと思う。孤立している時ほど、人の言葉や優しさは心に響いてくるものだから。
 そんな専務の働きが功を成し、天使さんは再び、俺や専務には心を開いてくれるようになった。

 ……けれど結局、彼女の為にできたのはその程度だ。いじめを止める根本的な解決にはなっていない。
 そして、「何もするな」という専務の言葉は、この現状においては正しかったのだろうけど、だからってこの状況を黙認できるほど、俺は大人でもなかった。



 目の前で、好きな人が傷つけられている。
 周りから理不尽な扱いを受けて、それでも必死に耐えている彼女を助けられない。指をくわえて見守ることしかできない自分が惨めで、腹立だしくて、歯痒くて堪らなかった。
 だから自分にも何か出来ないかと模索して、結局俺は、専務の警告を無視して単独で行動していた。危険行為だとわかっていても、何かせずにはいられなかった。じっとなんて、していられなかったんだ。
 でも、たった1人で出来ることなんて限られている。いや、ほとんど何も出来なかったに等しい。出来るだけ多くの人と会話をしながら状況を探ることと、週末に彼女と過ごす時間を作ることぐらいしか出来なかった。

 部署の人間に疑われないように、専務にも天使さんにもバレないように、常に精神を尖らせながら過ごす毎日は疲労を伴う。
 一向に進展しない状況に焦りが生まれ、どうすることもできず窮地に立たされていた時、



「───なんか、1人でコソコソしながら頑張ってるみたいだけど。見てて痛々しいから手伝ってあげましょうか?」

 そんな痛烈な一言と共に現れたのが、三樹さんで。
 以来、彼女は俺の協力者となって、手助けしてくれている。


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