孤独


 ───どうして私が、この部署で蔑まれているのか。それは自分でもよくわかっていない。



 昔から、名前でからかわれる事が多かった。馬鹿にされる事も多々あった。そのせいで損をする機会が多かったことも、内向的な性格になってしまったことも事実。
 ちょっと珍しい名前くらいで、と思われるかもしれないけど、まだ10にも満たない頃から、名を呼ばれる度に笑われるような環境にいたんだ。

 教師は適当な注意だけで流すだけ。
 年相応な子供のしている遊び事だと、軽く受け止めていたのだろう。
 両親に至っては『からかわれたくらいで我慢しなさい』の一点張りで、子供の心の痛みには無関心。そんな環境で育てば、誰だってひねくれた性格にもなるだろう。

 苦しい思いを吐露する場所もない、誰も理解してくれない。理不尽な扱いに近い学校生活は、私を弱く、卑屈な人間へと変えてしまった。

 でもそれは、学生の頃の話だ。



 今や私達は、立派な社会人。
 成人を迎え、社会経験も得た大人がいつまでも、低レベルな陰口を叩くわけがない。珍しい名前だと指摘されることはあっても、からかわれる事はなくなった。
 職場環境もすこぶる良く、入社したばかりの頃は周りの人達と上手く付き合えていたはずだ。部署の数人と飲みに出掛けたことも、一度や二度ではない。


 いつから、こうなってしまったのか。


 もう、3年前のことだ。明確な日時なんて、はっきりとは覚えていない。
 ただ、周りとの距離を感じるようになったのは、少しずつ───


 では、ない。

 【ある日突然】、だった。


 昨日までは普通に接していたはずの人達が、特に何かがあったわけでもないのに、突然手のひらを返したように人が変わって、私と距離を置いたのだ。



 意味がわからなかった。どうしてこんな風になったのか、何があったのか。私には全く身に覚えがない。尋ねたくても尋ねられるような雰囲気でもなかった。部署にいるほぼ全員が、私を突然避け始めたのだから。

 その日から私は、この部署で完全に孤立してしまった。



 突然豹変してしまった日常に、最初こそは戸惑いもあった。
 けれど日が経つにつれて、"突然だと思っているのは、私だけかもしれない"、そう思うようになってきた。
 私が気づいていなかっただけで、周りは薄々と、私に嫌悪感を抱き始めていたのかもしれない。そう考える度に、この孤立した状況の原因は自分にあるような気がしてくる。思い当たる節はあった。

 よく言えば大人しく、悪く言えば暗い女。
 いつも俯き加減で、愛想も良い方とは言えない。
 自分に自信が持てなくて、人の顔色ばかり伺っている。
 人の目が恐くて、言葉が恐くて、たとえ褒められたことがあったとしても、その言葉の裏を読んでしまう。悪いように捉えてしまう。
 人の顔を見て話すのは、何よりも苦痛だった。
 うまく喋ることもままならない程に。

 そんな後ろ向きな思考や態度が、周囲の人間を苛立たせていたのかもしれない。私に対する鬱憤がある日爆発した、といった所だろうか。

 憶測でしかない。
 真実はわからない。
 わかるのは、この孤立した環境を生み出したのは恐らく私に要因がある、という事だけだ。







(……そろそろ、戻っても大丈夫かな)

 女子トイレ奥の個室。施錠をしたまま、時間が過ぎ去っていくのをじっと耐える。使用用途のない便座のフタは閉じたまま、私は腰を下ろして暇を持て余していた。
 物音すらしない静かな空間は、余計に孤独感を煽られる。酷く惨めな思いに駆られて、重いため息が漏れた。

 先程の光景が目に浮かぶ。
 まるで私の存在なんて、元からいなかったかのような扱いだった。周りは飲み会の話題で盛り上がり、私はまたひとり、除け者にされている。
 こんなことは今に始まったことじゃなくて、それでも、あの光景を思い出す度に胸がぎゅっと苦しくなる。

 たとえ、この孤立した環境を作り出した原因が私にあったとしても、3年に渡って煙たがられている状況に、心が痛まないわけがない。
 けれど、それを主張したところで火に油を注ぐだけだ。大体、歯向かう勇気もない。



 腕時計に視線を落とし、10分が過ぎたことを確認する。億劫な気分だけど、そろそろ部署に戻らなくてはいけない。こんなところでいつまでも、隠れているわけにもいかないのが現実だ。
 どんなに理不尽な扱いを受けようが、定時までは就業時間であることは変わらない。サボっている間も私の給料は発生しているんだから、その金銭分の対価を務めなくてはならない。

 そろりと腰を上げて立ち上がる。
 扉を開けようと鍵に手を触れた時、こちらに向かってくる足音に気づいた。

 ひとりじゃない、数人。
 静かだった空間が、途端に賑やかになる。

「速水くんが行くなら私も行こうかなー」

 陽気な声に、解錠しようとした手が止まる。
 三樹さん、だ。

「ちょ、彼氏のデートはどうした」
「彼氏より速水くんを優先するに決まってるじゃん」
「うわあ、彼氏かわいそう」

 下品な会話を繰り返す彼女達の登場で、身動きが取れなくなってしまった。もしこれが違う部署の子であれば、何の問題なく、個室から出ることができたのに。

 三樹さん達の足音は鏡の前で止まり、そのまま雑談を楽しんでいる。扉が開閉する音はなく、化粧直しに来ただけのようだった。私が奥の個室に入っていることも、彼女達はまだ気づいていない。
 これ幸いとばかりに、息を殺して彼女達が去るのを待つ。

「てかさ、専務ウケるんだけど。天使さんに男とか」

 突然私の名前が飛び出して、肩がびくりと震え上がる。途端に心臓が暴れだして、極度の緊張状態に陥った。ぎゅうっと握りしめた手に汗が滲む。

「ほんと。笑い抑えるのに必死だったわ。いるわけないじゃん、あんな根暗女に男とか」
「わかんないよ? 今日予定あるって言ってたし、マジで男かも」
「うそ、絶対キモオタ男だよ(笑)」
「つーか、まじで何なのあの子。ほんとウザい。この会社にいる意味なくない? さっさと辞めてくれたらいいのに」

(………っ)

 そんな事を言われる筋合いなんて無い。
 悔しくて、でも声を出すわけにもいかなくて、ぐっと奥歯を噛み締める。


 ……ねえ。
 わたし、貴方達に何かした?

 どうして、そこまで言われなきゃいけないの?


「なんかさあ、お高く止まってる感じが癪に障るんだよね。無愛想だしさ。あの人見てると、ほんとイラッとする」

 私は普通に仕事をしているだけなのに、勝手なイメージを押し付けているのは、そっちの癖に。

「気にしなきゃいいんじゃん。存在感ゼロなんだから」
「嫌いな女って、存在感皆無でも視界に入るじゃん。余計にムカつく」
「わかる。あの人、インスタとかツイッターやってるのかな? やってたら見るのに」
「やってないんじゃない? 友達とかいなさそう。ツイッターやってたら面白いよね、病みポエムばっかり投稿してそうで」
「やばっ、キモすぎてウケる!」

(……何なの)

 どうしてこの人達は、自分にだって短所はあるくせに、それすら棚に上げて他人の評価ができるんだろう。自分達が偉いつもりなんだろうか。

「てか、うちらやばくない? めっちゃ天使さんの悪口で盛り上がってるんだけど(笑)」

 ……陰口を叩いている自覚はあったんだな、と内心せせら笑う。
 何しに会社に来てるんだろう、この人達。

「あーあ、最近楽しい事ないなー。今の彼氏にも飽きたし、速水くんに乗り換えようかな」

 そのとき不意に聞こえた、三樹さんの言葉。
 毒ついていた思考が止まる。

(……速水くん?)

「ちょ、ちょっと待ってヒカリ。あんた、結構速水くんのことマジなの?」

 その問い掛けに、三樹さんは軽快に笑った。

「本気じゃないけどさ。速水くんって、裏で結構遊んでそうじゃない?」
「あ、それ思った。なんかさあ、慣れてる感あるよね、女の扱いに」
「でしょ? 迫ったら、案外ヤってくれそうじゃない? セフレになってくれないかなー」

(……最低)

 彼まで侮辱するような発言に、怒りを覚える。心の中が黒い感情で染まって、悔しさで目頭が熱くなった。
 どうしてこんな下品な人達に、何も関係のない彼まで蔑まれなければならないのか。こんな人達と数年、同じ部署で働いていたのだと思うだけで、嫌悪感が増す。


 きらい。
 だいっきらい。
 あなた達こそ、会社からいなくなればいいのに。


 じわりと滲む涙を拭おうと、腕を動かす。
 その直後、


 ───ガツンッ!


(……っ!?)

 壁に取り付けられたトイレットペーパーのホルダーに、思いきり肘がぶつかった。瞬時に血の気が引いて、体が凍りつく。無意識に呼吸を止めていた。

 彼女達の会話が途切れた。
 視線が、ここに集まっている気がする。
 数秒の沈黙が続いた後、

「……は? 誰かいるし」

(……っ、)

 バレ、た。

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