ずっとこのままで 夕飯は部屋食を用意してもらった。 田舎宿とはいえ、1階に降りれば小さな食事処もある。けれど、"4名までの宿泊であれば部屋食が可能"な事と、「せっかく2人きりで来てるんだから」と助言してくれた彼の一言で、部屋食プランを選択した。 部屋に運ばれてきた料理の数々は、見た目も鮮やかな品ばかり。山海の珍味に舌鼓を打ちながら、旬の地元素材を吟味した和食膳を堪能した。 美食宿として高い評価を受けているだけあって、味は申し分ない程に素晴らしい。 周囲に気兼ねすることなく、2人きりの時間を満喫できる点も気に入った。 帰りたくないな、そう思う程に。 ・・・ 「速水くん、これ」 「ん?」 「あげる」 小さな紙袋を、懐からそっと取り出す。 恐る恐る差し出せば、一拍置いた後に、手から重みが消えていた。 彼は不思議そうに首を捻りつつ、私から受け取った贈り物をまじまじと見つめている。しなやかな指が、丁寧に包装を解いている間の居心地の悪さといったらない。 不安と期待が入り交じる視線を彼に向ければ、袋の中身を確認した彼の目が驚きで見開いた。 「ストラップだ」 「うん。あの、ごめんね。こんな物しか買えなくて」 「いや全然……え、普通に嬉しい。いつの間に買ってたの? ありがとう」 彼の表情が嬉しそうに綻ぶ。声も微かに弾んでいて、贈り物の中身に気落ちされなかったことに安堵した。 男の人が、女の人から貰って嬉しい物なんて私には全くわからない。適当に選んだ訳じゃないけれど、とりあえず無難なものにしようとした自覚は一応あったから。 それでも、選んだものの見た目は悪くない、とも思ってる。 「これ、ガラス細工? 綺麗だね」 「男の人は、こういうものに興味ないかもしれないけど……」 私が彼にあげたのは、アクリル製のアクセサリーが付いたストラップ。ガラス細工ではないけれど、まるで本物の硝子のように透き通った透明感と、陽にかざすと光輝く青が綺麗で気に入った。 速水くんのイメージカラーを表現しているような色合いに、すっかり魅了されてしまった私はつい、勢いで買ってしまったんだ。 アクセサリー部分はミッキーの顔を形作っている。小粒サイズで目立たないしシンプルなデザインだから、男の人が持っていても違和感はないと思う。 こんな子供っぽいストラップなんて貰ったところで、成人の男性はどう思うのかなんて私にはわからないし、速水くんにだって好みはある。喜んでもらえるかどうか不安だったけど、それは杞憂に終わったみたいだ。 「私も色違いのやつ買ったの」 「そうなんだ? じゃあお揃いだね」 「うん。……でも、同じものを身につけてたら、周りに怪しまれるよね」 自嘲気味に笑みを浮かべる。お揃いのものを購入したところで、私物に飾るわけにはいかないことくらいわかってる。 もし部署の人達に見られでもしたら、話のネタにされるどころの話じゃなくなってしまう。3年間、ずっ隠し通してきた私達の関係を、こんなところで暴かれる訳にはいかない。 何より、速水くんに迷惑をかけたくない。 何も言えなくなった私達の間に、沈黙が落ちる。先に口を開いたのは、彼だった。 「……キーケースに付けようかな」 「え……」 私の心情をすぐに察してくれた彼の言葉が、沈みかけた私の心を掬い上げる。 「キーケースなら、スマホほど人の目につく物じゃないし、見られても上手く誤魔化すし。だから天使さんは、スマホにつけてくれても大丈夫だよ」 「……つけて、くれるの?」 「せっかく彼女が買ってくれたものを、引き出しの奥に眠らせておくなんて勿体ないよ」 綺麗な瞳を細めて、彼はそう言ってくれた。茶化すように告げられたその言葉が何より嬉しくて、彼への愛しさが募っていく。 速水くんはいつも、私の胸の内をすぐに察してくれる。時には欲しい言葉をくれる。私の心にずけずけと入り込む訳でもなく、だからって距離を置くわけでもない。そっと心に触れ合うように、隣で寄り添ってくれる。 近からず、遠からずの距離感を保ち続けるのは、誰にでも簡単にできることじゃない。 だから彼の傍は、こんなにも居心地がいい。 「あのね。これ、ありさにも買ったの」 「そうなんだ。何色?」 「黄色。ありさっぽくない?」 「ぽいね」 ありさと長い付き合いの速水くんも、そう言って頷いてくれたのなら間違いないだろう。 いつも元気なありさのイメージカラーは、一際明るい黄色かオレンジ。陽気で、人懐っこくて、常に笑顔が耐えなくて、誰からも愛されている女の子。 あの無邪気さに、何度、心を救われただろう。 「谷口さん、きっと喜ぶよ。……というか、あんなに土産物買ったのにごめんね」 「ううん。これは、私個人から贈りたいものだから」 朗らかに笑う、ありさの笑顔が目に浮かぶ。いつも私と仲良くしてくれるありさへの、ささやかなお礼のつもり。 ありさも速水くん同様、私の部署内の扱いに関しては何も言わない。私が部署の人間から忌み嫌われていることは気づいてるだろうけど、だからって私と距離を置くことはしない。 嫌われ者の私に臆することなく話しかけてくれて、優しくしてくれて、ランチにも誘ってくれて、速水くんのこともすごく協力的で。 ありさの存在が、心の支え。 だから、私に出来ることなんて些細なことかもしれないけど、ありさが喜んでくれるなら何だってしてあげたい。ありさが困っていたら、一番に助けてあげたい。 いつも、そう思ってる。 「ありさ、喜んでくれるといいな……」 隣に寄り添う彼の肩に、コテン……、と控えめに頭を置く。 そうすれば、ふわりと撫でてくれる手があることを、私はもう知っている。 静寂な和の空間。 彼と2人きり、隣同士に寄り添ってまどろむ時間。 息苦しい日常から切り離された一時に、心が安らいでいく。 部屋に用意されていた浴衣を羽織っている速水くんは、普段はスーツで隠れている手首や首元が露になっていて、妙な色気を放っている。着崩れすることもなく和の装いを上手く着こなしている彼は、それでいて涼しげで清潔感もある。 浴衣男子っていいな、なんて思ってしまった。 「……俺も、天使さんにあげたい物があるんだ」 その一言に、頭を離す。 「……私に?」 「うん。大事なもの」 顔を上げれば、私を見下ろす速水くんは穏やかに微笑んでいて。 けれど、どこか緊張感を纏った空気も一緒に感じ取って、私の背筋も不自然にピンと張った。 『大事なもの』 それが何なのかは見当がつかなくて、私は口を閉ざしたまま、彼の瞳を見つめ返した。 「ちょっと待ってて」 「あ、うん」 これ仕舞ってくるね、ストラップの入った紙袋を持ちながら、速水くんはその場から立ち上がった。静かに歩みを進める足が、部屋の隅へと向かう。 『ボストンバッグの中に仕舞ってくる』、そう理由を付けて、私への贈り物を取りに行ったのだと気づいた。 大事なものって何だろう。 速水くんも私の目を盗んで、こっそり何かを買っていたのかな。 2人して同じことを考えて、同じ行動を取っていたのだとしたら、それはそれですごく微笑ましいな、なんて頬が緩んでしまう。 嬉しくて、自然と笑みが浮かんでいた。 「……天使さん」 だから。 背後から聞こえてきた彼の強張った声に、何の違和感も抱かないまま振り向いて。 「───これ、何?」 速水くんが差し出した1枚の紙切れを目にした瞬間、私から笑顔が消えた。 トップページ |