一緒にいたい


 速水くんは私に3つ、隠し事をしている。

 あの日、「20時頃に店を出た」と言いながら、実際は18時過ぎであること。
 待ち合わせをした時間までの約2時間半、彼の所在が知れないこと。

 そして、名刺の件。
 名刺破棄の伝言は、嘘だった。



・・・



「それは嫉妬やな」

 箸で肉をひっくり返しながら、ありさが言う。
 目の前には、炭火で焼かれた牛カルビ。
 香ばしい匂いが室内に充満し、食欲を誘う。

「そう……なのかな」

 自惚れでもなく、やっぱりそうなのか。
 そう納得しようとしても、疑念が晴れない。
 モヤモヤした感情を持て余したまま、焼き上がった肉を口に含んだ。





 2日後の土曜日。
 ペアチケットのお礼と称して、速水くんは私とありさを、地元の焼肉店へと連れ出してくれた。

 ちなみに普通の焼肉屋。どこにでもある、大衆向けの小さなお店。高級を謳っている焼肉店はそれなりに値段が張るもので、『超高級焼肉店に行きたい』というありさの主張は、速水くんに即、却下された。
 とはいえ、彼が選んでくれたこの店は、ありさの希望通り黒毛和牛を提供している。しかもドリンクは飲み放題というサービス付き。
 レトロで気さくな雰囲気が人気の店内は、部屋ごとに仕切り板が立てられていて、周囲に気兼ねする必要もない。タダ食いできる点も相まって、ありさの機嫌は悪くなかった。

『俺が奢るから、好きなだけ食べていいよ』

 そう言ってくれた速水くんに、ありさが遠慮をするはずがない。次々にカルビやタンを注文し、意気揚々と食べ尽くしていた。

 ちなみに今、この場に速水くんの姿はない。
 彼のスマホに着信があったみたいで、一時的に席を外している。
 彼のいないタイミングを見計らって、私は名刺の件をありさに相談してみた。
 そして今に至る。

「十中八九、嫉妬でしょ。連絡先の入ってる男の名刺を、愛しの彼女が持ってるんだよ〜? 彼ぴっぴっぴっぴっぴとしては、イヤでしょ」
「(ぴが多いな)でも、取引先とかで頂いた名刺だって沢山あるし、連絡先も書いてるし。何もその人が初めて、ってわけじゃないよ」
「それは、仕事上で交換した名刺でしょ。その、ナントカ君? からの名刺は、プライベートじゃん?」
「まあ……そうだけど」

 確かに、そうだ。佐倉くんの名刺は、仕事絡みで頂いたものじゃない。プライベートで貰った男の名刺を彼女が隠し持っていたら、彼氏としてはやっぱり、嫌な気持ちになるだろう。
 仕事上での名刺交換なら致し方ないけれど、プライベートで貰った名刺、しかも連絡先まで記載しているものなんて、それはもう、ただの名刺とは言えない。

「……速水くんは持っていてほしくないんだよね、きっと」

 彼の気持ちはわかってる、つもり。
 それでも腑に落ちない。
 気に入らないから捨てて、という短絡的思考が、あまりにも乱暴に感じてしまって。
 なんか、速水くんらしくない。

「ありさなら、どうする? 捨てる?」
「えー……わたし彼ピいないし、聞かれてもわかんない」
「頑張って想像力働かせてよ」
「そんなあ(笑)。まあ、いいんでないの。捨てても」
「……いいの、かな」
「ひよりの方から相手に連絡することなんてある?」
「……ない」
「でしょ?」

 ありさが屈託なく笑って、再び金網に箸を伸ばす。途中で店員さんを呼び、カルビを追加で注文している。その光景を、私は黙って見届けた。

 佐倉くんから貰った名刺を捨てたくない。
 と、思ってる。
 そこに特別な理由はない。
 頂いたものを捨てることに抵抗があるのは、誰だって同じだろう。
 それに、名刺1枚にだって会社の経費がかかっている。利益や損得の面から考えても、廃棄ではなく返却という形が望ましい。速水くんだって、それくらいは理解できるはず。

 でも彼は、「返却」ではなく「廃棄」してほしいと言った。
 佐倉くんは「持っていてほしい」と言っている。

(名刺をくれた本人がそう言ってくれてるんだし……わざわざ捨てなくても、いいよね?)

 だから名刺は、捨てないつもりでいる。
 それを速水くんに言うべきか、迷ってる。
 今は『誤ってレシートと捨ててしまった』事にしているけれど、この話をここで終わらせて、うやむやなままにしてもいいのだろうか。
 速水くんに隠し事はしたくないし、正直に明かすべきだと頭では理解してる。でも、本能がそれを拒絶する。今の彼に明かすのは危険だと。

「なんていう名前? その名刺の人」

 ありさにそう尋ねられて、顔を上げる。

「営業部の、佐倉いずみって人。ありさ知ってる?」
「しらんわー」

 あっけらかんとした返答に、つい噴き出してしまった。『聞いてはみたけど全然興味ないです』って空気がありありと伝わってきて、少しだけ心が軽くなる。ありさは、どんな時でもやっぱり、ありさだね。



 店の外に出向いていた速水くんが戻ってきて、この話は一旦、ここで終わった。
 その後は他愛のない話で盛り上がり、時計を見上げれば既に22時を回っている。
 ありとあらゆる焼肉を食べ尽くしたありさは満足げな顔をしていて、帰り際に勘定を済ませてきた速水くんは、財布の中身を見ながら険しい表情を浮かべていた。

「速水くん、お金大丈夫?」
「……谷口さんはもう少し、人に遠慮することを覚えた方がいい」

 ポツリと不満を漏らす姿は、哀愁が漂っている。ありさ、ものすごく食べてたからなあ。
 気の毒だったけど、速水くんは結局最後まで、私達に金額を明かすことはなかった。

「あ、2人とも先に帰っていいよ!」

 店の外に出た後、周囲を見渡しながらありさが言う。その声は少し、弾んでいるように聞こえた。

「え、なんで? 谷口さんもマンションまで送るよ?」

 私達が顔を見合わせた後、速水くんがそう告げる。
 ありさは笑顔を保ったまま、首を横に振った。

「あのね、今からマイフレンズがお迎えにきてくれるんだ★」

 ……マイフレンズ?

「管理部のお友達?」
「うん! 向こうも出張から帰ってきて、みんなで飲んでたみたい。これから合流するの!」
「……そう、なんだ。楽しんできてね」
「ウス!」

 嬉しそうに表情を綻ばせるありさを見て、虚しさが胸に押し寄せてきた。
 それは何度も味わってきた疎外感。速水くんも、ありさも。休日になればこうして誰かしらの誘いがあったり、人付き合いがあったりする。
 でも私には何もない。
 誰からも誘われることもない。
 それが余計、自分は嫌われ者だという事実を突きつけられているように感じて気分が沈んでしまう。
 でも落ち込んでいる様を2人に見せたくなくて、何も気にしてないように振る舞った。

「ありさ、1人で待つの?」
「うん、もうすぐ奴らが迎えに来てくれるから」

 ほら、とスマホの画面を見せられる。
 私の知らない女の子達とのトーク画面には、愛らしいスタンプが沢山表示されていて華やかだ。

「わかった。じゃあ帰ろうか、天使さん」
「あ、うん。じゃあね、ありさ」
「うん、今日は誘ってくれてありがとね〜!」

 ぶんぶんと、大袈裟に両手を振るありさに苦笑する。控えめに手を振り返して、私達は駐車場へ向かった。
 お肉美味しかったね、なんて言いながら車に乗り込む。助手席のドアを閉めれば、焦げた匂いが鼻についた。

「いい匂いする」
「俺達からだね。焼肉の匂い(笑)」
「ふふ、楽しかったね」
「また行こうか、3人で」
「うん」

 彼の言葉に笑いながら頷く。思えば焼肉なんて久々に食べたな、なんて思い起こす。すごく美味しかったし、速水くんとありさとの夕食も楽しかった。先日も3人でランチを一緒にしたけど、あの時も2人は仲良く言い争っていて、微笑ましくて。見てるこっちが和んでしまった。
 また3人で、食べに行けたらいいな。






『このまま速水と関係を続けていたら、あなたは罪を犯すことになる』


「………」


 不意に甦った、あの人の言葉。


『誰にとっても不幸な結果になる』


(……嫌なこと思い出しちゃった)

 あのランチの後に、あの女の人に会ったんだ。



 あれから数日。結局、彼女が誰なのかはわからずじまいで、知る手段も持ち合わせていない。あの日告げられた忠告も謎のままで、彼女が残した言葉は今もなお、胸の奥で燻っている。
 速水くんなら、あの人が誰なのかを知っているかもしれない。でも、どう聞き出せばいいのもかわからない。

「天使さん?」
「……なに?」
「何か考え事? 変な顔してる」
「失礼です」
「うそうそ。かわいいよ」
「………」

 さらりと告げられた言葉に頬が熱くなる。速水くんは相変わらず口が上手くて、私を乗せるのが上手で、そんなベタな囁きにあっさり絆されてしまう。
 この穏やかな空気を壊したくなくて、結局何も言えなかった。

 そうこう考えているうちに、車は都会の喧騒を抜け、閑散とした場所に辿り着く。住み慣れたマンションが遠くに見えてきた。
 もうすぐ、速水くんともお別れだ。

「……帰りたくないな」

 ぽつ、と隣から漏れた呟き。
 そっと、彼に視線を送る。

「……あの、速水くん」
「……ん?」
「お部屋、寄ってく?」

 不安と期待を重ねながら尋ねてみる。一瞬目が合った速水くんは、綺麗な瞳を細めて私に微笑んだ。
 そして前方に視線を戻す。

「天使さんから誘ってくるの、珍しいね」
「そう、だね」
「俺が帰ったら寂しい?」
「………」
「あ、黙っちゃった」
「……わかってて聞くのは、ズルいよ」

 答えなんて、知ってるくせに。

「天使さん」
「………」
「言ってよ」
「……寂しい……です」

 素直に明かせば、微かに笑う気配がした。恥ずかしくて俯く私の右手に、彼の左手が重なる。そのまま緩く握られて、心臓が早鐘を打ち始めた。
 片手運転は危ないよ、なんて言える余裕は勿論ない。

「……俺も、まだ一緒にいたい」

 そう、言ってくれた。

 週末になれば彼と過ごすことも多いけれど、だからって、毎週頻繁に会っているわけじゃない。せっかくの週末なのに、ここでお別れなんて寂しいなって、本当はいつも思ってる。

 今日だって、本当はまだ一緒にいたかった。
 引き留めたい気持ちが強かった。
 でも「帰らないで」なんて言えない。重いと思われるのが嫌だし、彼の負担にもなりたくない。寂しい、なんて言ったら彼を困らせてしまうのがわかっているから言えなかった。だから『部屋に寄る?』なんて誘いで誤魔化してる。

 速水くんに嫌われることはしたくない。
 弱い自分が顔を出す。

「……なんてね。本当は部屋に寄りたいんだけど、明日、休日出勤するんだよね」
「え」

 彼の言葉に、はたりと瞬きを落とす。

「そうなの?」
「うん。天使さんのところに寄っちゃったら、俺、ほんとに帰りたくなくなるし。明日の仕事に響いたらマズイから、今日は我慢するよ」
「……ん……わかった……」

 膨れ上がった気持ちが途端に萎む。あからさまに声が沈んでしまって、我ながら情けなくなった。
 こんなにも速水くんに依存していたんだと、今更気付く。

「本当にごめんね。でも、来週は泊まりで旅行に行けるし。それまでの辛抱だよ」
「……うん」
「そんなに泣きそうな顔しないで」
「……してません」
「してるよ?」
「してない」
「意地っ張りだね。知ってたけど」

 くすくすと笑いながら、彼がハンドルを切る。
 けれど速水くんの車はマンションを通り過ぎ、更に奥の道へ進んでいく。
 どこへ向かう気なんだろうと目をぱちくりさせている私に、速水くんは悪戯っぽく微笑みながら口を開いた。

「……少しだけ、寄り道しよう」

mae表紙tugi

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