最終警告


「ひーよーりー! ひよりひよりひより!!!」

 週が明けた月曜の朝。
 出社中に背後から、馬鹿っぽい呼び声がこだまする。
 周囲からの痛い視線を一心に受けながら、後ろを振り返る。と、同時に飛び付いてきた小柄な体。
 開発部門所属で同期でもある、谷口ありさ。
 私とは友達……らしい。ありさ談。

「ひより!!」
「うん」
「おはよう!!」
「おはよう」
「今日めっちゃ天気いいね!!!」
「そうね」
「クール!!!」

 相変わらずテンション変わらないね、なんて言いながら屈託なく笑うありさは、今日も無駄にテンションが高い女の子だ。
 ミルクティーブラウンの髪色は緩くウェーブがかかっていて、背が小さくて顔も可愛い。見た目は"ゆるふわ系の可憐な少女"だけど、中身はなかなか強烈だ。
 天真爛漫な性格で友達も多く、嫌われ者の私にも気さくに接してくれる。ただ、常にこのテンションで話しかけてくるから、話す度に疲れたりもする。
 そして、ありさはこの社内で唯一、私と速水くんが付き合っていることを知っている。

「あのねひより! 今日お昼ごはんどうするの?」

 肩を並べて歩道を進む最中、唐突に振られた話題に目を丸くする。
 まだ朝なのに、もうお昼ご飯の心配?

「社員食堂で食べるけど」
「外でランチしよ!!」
「………」

 これまた突然な誘いで一瞬固まった。
 この子はちゃんと、主語や接続詞を学んで会話した方がいいと思う。言いたいことは通じるけれど。

「いつもの子達はいいの?」

 ありさは普段、開発部門の女の子達と一緒にいることが多い。その子達と一緒にいなくてもいいんだろうか。

「出張でいないんだー」
「ああ……そうなんだ」
「ぼっち飯寂しい( ´・ω・`)」

 どよんと醸し出す空気が重くて、私ははあ、とため息を溢す。高校生じゃないんだし、ひとりでご飯くらい平気だと思うけど。そう思ってしまうのは、私がひとりに慣れすぎているせいなのか。
 特に断る理由もないし、ありさの誘いに承諾する。ぱっとありさが顔を上げて、無邪気な笑顔が広がった。その笑みに微笑み返す。

 ありさは喜怒哀楽がハッキリしていて、感情豊かな女の子だ。表情がコロコロと変わるから見ていて飽きないし、人懐っこくて可愛い。……疲れるけれど。
 私と速水くんが仲良くなれるように奮闘していたのもありさだ。交際すると打ち明けた時は、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 嫌味じゃなくて本当に、ありさはいい子だと思う。私じゃ、ありさのようには絶対になれない。
 この素直さと純粋さは、あまりにも眩しすぎる。



・・・



「……え、あれ」
「お疲れ、天使さん」

 ありさと待ち合わせしているカフェに向かえば、なぜか速水くんの姿があった。席に座り、私が来るのを待っていたみたいだ。
 その向かいには、ありさも座ってる。
 ぶんぶんと、全力で手を振っていた。

「どうして、」
「誘っちゃった!」

 さらっと答えたありさは、何の悪気もなさそうな笑顔を私に向ける。速水くんも苦笑交じりに私を見た。

「俺も一緒にいい?」
「え、あの」

 頷きたくなる気持ちを抑え込む。

 確かにここは、会社の外だ。社内じゃない。
 でも会社の近場にある喫茶店で、私達の他にも外へ出向いている社員はいる。もし、部署の誰かにこの場を見られたら───
 なんて胸によぎる不安は、この2人には当に見透かされていたようで。

「大丈夫だよ、2人きりじゃないし。もし他の人に見られても、俺が上手く誤魔化すから」
「そうそうそう大丈夫!! 私が無理やり誘ったってことにしといて!!」
「え、いいのかな……ごめん」

 私が嫌われているばっかりに、2人に気を遣わせてしまっていることが申し訳なく思う。
 でも、せっかくありさが誘ってくれたのに断ることもしたくない。
 だからこれ以上は何も言わなかった。
 そそくさとありさの隣に移動し、椅子を引いて座る。

「……なんでそっちに行くかな」
「え?」
「俺の隣に座ればいいのに。なんで谷口さんの方?」

 子供じみた不満を漏らす速水くんに苦笑する。

「ひよりは男より友情を優先できる素敵な女の子なの! 速水くんざまあです 」
「会社の外に出たら、俺優先でいいと思うけど」
「女の友情に嫉妬とは男として見苦しいぞ!」

 ……ああ、また始まった。
 何度も見慣れたやり取りを前に、私はメニュー表を手に取って眺めていく。

「谷口さんも早く彼氏作りなよ。そしたら今の俺の気持ちがわかるから」
「きいいぃ!! 言ってはならんことををを!! 誰のお陰で君の恋が成就したと思ってんのさ! 感謝こそされてもディスられる理由はないぞ!」
「感謝はしてるけど、だからって何でも許してやれるほど俺は優しくないからね」
「こっわ! マジこっわ! 腹黒やん! ひより、悪いことは言わない。今からでも今後の交際を考え直した方がいいよ!?」
「考え直す暇なんて、俺が与えるわけないでしょ。ね、天使さん」








「あの、えびピラフ頼んでもいいかな」
「天使さん、ちゃんと話聞いてた?」

 真顔で突っ込まれて困り果てる私に、またありさが速水くんに噛み付く。私達3人は、いつもこんな調子。ありさと速水くんの口喧嘩も、いつもの事。

 この2人は幼馴染というやつで、幼い頃からご近所同士で付き合いがあったらしい。幼稚園から高校、職場までずっと一緒という腐れ縁だ。

 速水くんと付き合い始めた当初は、2人の仲を疑ったこともあった。いくら幼馴染みとはいえ、社会人になってからも一緒だなんて、いくらなんでも……なんて風に。
 でも、「それは絶対にありえない」と2人同時に即答された挙げ句、「そっちが金魚の糞のごとくついてくる」と互いを指差して口論を始める始末。そんな2人の漫才を何度も見ているうちに、疑う気持ちはなくなった。



 ありさとは、新入社員の研修期間中に度々話しかけられていた。
 当初はそれが不思議だった。だって、ありさとは部署も違うし、研修時の席も離れている。どうして私に構うんだろう? って。
 その理由は速水くんにあった。
 彼はその頃から既に、私のことをありさに相談していたようで、それでありさが私に興味を持った、という流れだった。以来、彼女は私達の架け橋になってくれている。

 社内では、速水くんは私に気を遣って距離を置いているけれど、ありさは違う。気軽に話しかけてくれて、私と仲良くしてくれる。
 それがとても嬉しくて、私達のことをいつも応援してくれるありさの存在に、私はいつも救われてる。

「3年経っても2人は変わらないね〜。幸せそうで何よりだ〜」

 ニコニコしながらありさが言った。
 フォークを片手に、ミートソースが絡んだパスタをくるくるしてる。

「幸せだけど、天使さんに悪い虫がつかないか、俺はいつも心配」

 そんな一言が聞こえてきて顔を上げる。
「さりげなくノロけやがって」と、悪態つく声が隣から聞こえた。

「そんなのつきません」
「わからないよ。天使さん、ちょっと抜けてるところがあるから不安」
「ぬけてない」
「自覚してないところが余計にね」

 生パスタのモチモチ感をまったり堪能していたありさ(食べてる時は大人しい)が、瞳をキラキラさせながら身を乗り出してきた。

「大丈夫だよ! 2人の恋路を邪魔する輩は、この正義のヒーローありさちゃんがキツいお仕置きするんだから! 車で完膚なきまでにやっつけちゃるからね! 安心おし!」
「車ってなに怖い」

 速水くんの、ありさに対する突っ込みはいつも冴えている。

「人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られるって言うじゃない! でも馬なんていないもん! 飼ってないもん! だから車!!」

 『だから』の意味がちょっとわからない。
 速水くんも頭抱えちゃった。

「軽く頭痛がしてきた」
「こんなに不安要素を煽られる正義のヒーロー、わたし初めて見た」
「俺も」
「え、まって? そこで結託するのやめよ??」

 この子の支離滅裂な発言は今に始まったことじゃないけれど、毎度解読が難儀だったりする。
 でも、ありさといると嫌な気分も吹き飛んじゃうんだよね。

 速水くんだけじゃない。
 私にとってはありさも、私の世界に必要な子。
 心の支えになっている人。
 ……ちょっとうるさいけど。



・・・



「じゃあわたし先戻るね! ばいばーい!」

 最初から最後までハイなテンションを持続させたまま、ありさは喫茶店を出ていった。会社へ戻る道を、小走りで走り去っていく。
 私と速水くんは、このまま取引先に赴かなきゃいけないから、ここでお別れ。

「天使さん、今日会社戻る?」
「うん」
「俺、取引先に行った後はそのまま直帰する予定だから。もし専務がいたら、伝えておいてもらっていいかな」
「うん、いいよ」

 私が頷けば、速水くんは柔らかく笑う。

「それと、谷口さんのことも。いつも仲良くしてくれてありがとね」
「仲良くしてもらってるのは、私の方だし」
「うん。でもほら、あの子は常にあんな調子だから、よくひとりで突っ走っていくんだ。だから、たまに心配になって」
「うん、わかるよ」
「天使さんは冷静だから、暴走しがちな谷口さんを止めてくれて本当に助かってる」

 まるで、親が子供の心配をするかのような口振りだ。速水くんにとってありさは、家族同然の存在なのかもしれない。微笑ましくて、私も小さく笑う。

「大丈夫だよ。私もありさといると楽しいから。……疲れるけど」
「それは否定しない」

 速水くんの一言にまた笑ってしまう。
 彼にとってもありさは大事な存在だ。言葉の端々から、幼馴染みを気に掛けている優しさを感じ取れる。今更妬くことはしないけど、少しだけ羨ましいな、そう思ってしまう。





 その後は私達も別れ、取引先へと赴いた。
 各社へ足を運び、調査資料の回収と今後の予定を話し合い、自社に戻る。腕時計に視線を落とせば、既に16時半を回っていた。

 今日はこのまま部署に戻って、回収した調査資料の報告だけを済ませて業務終了だ。急ぎの用件でもないから、残りの作業は明日以降に回しても構わない。ほぼオフィスに不在の状態だったから、穏やかな1日を過ごせた。

(お昼は速水くんともお話しできたし、いい日だったな)

 部署の皆から嫌われている原因はわからない。
 劣悪な環境に、胸が痛むのも事実。
 それでも味方はいるし、親身になってくれる存在もいる。だから私は、こうして笑っていられる。速水くんとありさがいなかったら、私はとっくの昔に会社を辞めていただろう。



 多くのことなんて望まない。
 速水くんがいて、ありさがいて。
 些細な幸せがあればそれでいい。

 このまま、平穏な日々が続けばいい───


(………っ!?)


 キィ──……ンと響く、例の耳鳴り。


「……な、んで」

 今は、速水くんはいないのに。
 こんな日が続けばいいと、そう願う私を否定するかのような───……






「天使ひよりさん」


 声が、聞こえた。




 一陣の風が吹く。
 顔を上げた先に、女の人が立っている。

「……誰ですか?」

 問い掛けても、彼女は何も応えない。
 艶やかな黒髪が、風になびいて静かに舞うだけ。
 真っ直ぐに私を見据えて、唇をきつく結んでいる彼女が誰なのか、私は知らない。会ったこともない。
 何の感情も読み取れない瞳は冷ややかで、初夏なのに嫌な寒気が走った。

「……私に何か?」
「…………」

 彼女は何も言わない。
 ただ、じっと私を見つめている。
 なんなんだろう。気持ちが悪い。

「……何も用件がないなら失礼しま、」
「速水蓮と関係を持ってる?」

 背筋が冷えた。
 投げ掛けられた問いかけに言葉を失う。
 バレてる、という衝撃よりも、彼女への恐怖の方が大きかった。
 知らない人が急に私の前に現れて、名前を呼ばれて、内密に付き合っているはずの彼との関係を問われた。この状況の意味するところは何なのか、全くわからない。

「……速水は当社員ですが、ご用件があれば私の方から承ります」
「必要ない。用があるのはあなただから」

 喧嘩腰な態度に、さすがに頭にくる。
 何なんだろう。自身の名前も名乗らずに、上から目線のこの態度はあまりにも失礼すぎるんじゃないだろうか。言いたいことがあるなら、さっさと言えばいいのに。

「速水蓮と関係を持ってる?」

 また同じことを問われた。

「何の話ですか」
「持ってるのね」
「速水とは仕事上での付き合いがありますが、個人的なお付き合いはありません」
「嘘つき」
「なっ……」

 断言されて、つい言葉を詰まらせる。まさか、週末に彼とコソコソ会っていたのを見られたのだろうか。

 彼女は速水くんのことを知っているみたいだけど、今の会話からはまだ、彼女が速水くんの知人なのかどうかはわからない。この淡々とした会話から、彼と彼女との関係性が見えてこない。

 まさか、元カノ……とか。
 さっと血の気が引いて、心臓がどくどくと暴れ出す。

「……あなたは、誰ですか」
「知る必要はない」
「どうしてですか」
「私は今日でこの会社を辞めるから」
「……え?」

 そう、なんだ。
 なんだか、拍子抜けした。
 それでも、彼女が元カノだという疑惑は晴れない。私と速水くんの関係をどこまで知っているのかも。

「私に何の用ですか」
「忠告にきたの」
「……忠告?」
「速水蓮と縁を切って」

 一瞬、何を言われてるのかがわからなかった。

「このまま速水と関係を続けていたら、あなたは罪を犯すことになる」
「……罪?」

 話の流れが全く掴めない。
 何の話をしてるんだろう、この人。

「……意味がわかりません」
「他の女が、速水蓮と関係を持つのなら別にいい。女だけが不幸になるだけだから。でも、あなたはだめ。絶対にだめ」
「………」
「誰にとっても不幸な結果になる」





 …………ねえ、待って。

 理解が追い付かない。
 この人、さっきからひとりでなに言ってるの。

 罪って、何。
 不幸な結果って、なに。


「……何を知ってるの、あなた」


 耳鳴りがやまない。
 声が震えた。
 知ってしまったら、何かが壊れる。
 そんな気がした。

 彼女の瞳が揺れた。
 一瞬だけ見せた動揺の色は、すぐに消えて。
 私を真っ直ぐに見据えた。



 彼女の口が、紡いだのは。





「…………私は、」



「谷口ありさの非情さを、私は知っている」






 ………………………は?




「…………ありさ……?」



 今、ありさの話なんてしていない。
 速水くんの話をしていたのに。
 なんで、急に、ありさの名前…………



「……忠告はしたから」
「待っ、」
「縁を切って、手の届かないところに行って」
「……それは」
「………」
「……できません」
「……そう」

 それきり、彼女は何も言わなかった。
 そのまま真っ直ぐ歩き出し、私の真横を通り過ぎていく。
 遠ざかっていくヒールの音を背に、身動きすらできず固まっていた。

「………」

 意味がわからない。
 全然わからない。
 いきなり現れて、いきなり私達を引き離そうとするような発言をして、言いたいことだけ言って去ってしまった。
 そんな見ず知らずの人の言うことに従う義理なんてない。信じる価値もない。

 そう思うのに、なんでかな。
 彼女の言葉が、


『───早く逃げて』


 そう言ってるように、聞こえたのは。



(1章・了)

mae表紙tugi

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