社内いじめの闇2‐佐倉side 芹澤さんのことは俺もよく知ってる。 調査部門の上司でもあり、総括マネージャーという立場上、営業部門にもよく顔を出してくれる人だから。 「どうだろ。あの人鈍いからな……まあでも、専務は天使さ……あ、」 「ん?」 「名前言っちまった」 ああ、と俺も頷く。 あえて名前を出さないようにしていたんだろうけど、ぽろっと口に出してしまった井原は少し慌てていた。 「天使さん、ね」 「佐倉、おま、天使さんも知ってんの?」 「知ってるっていうか、調査資料で何度か名前見たことある。すげぇインパクトのある名前だから記憶に残ってた」 天使って書いて「あまつか」って読むんだなーと、驚いた記憶もある。 実際に話したのは、今日が初めてだけど。 「そんで?」 「あ、うん。専務は天使さんのことは、普通に可愛い部下として見てるっぽいよ。この状況にも気づいてないんじゃないかな」 「いや……いくら鈍くても、異変くらい感じないか?」 横目で見れば、場はかなり盛り上がりを見せている。下品な笑い声で室内は充満していて、根暗女……もとい、天使さんの陰口で女はおろか、男までヒートアップしている。その様はあまりにも異質すぎて、恐怖すら覚えた。 言い方は悪いが、とても同じ人間だとは思えない。 「それがさ……、変なんだよ」 井原の一言に、視線を戻す。 「変って?」 「うん……専務の前では、みんな普通に、天使さんに話しかけるんだよな。専務って課に不在でいることも多いし、そういう雰囲気に気付きにくいんじゃないかな」 「なんだそれ。陰湿じゃん」 怒りにも似た感情が湧き起こる。 さも、自分達は彼女と仲のいい同期だと。 大事な仲間だと、そういう態度を取っている。 自分達のしている後ろめたい事が上司にバレないように、徹底してる。 やってることが卑劣すぎだろ。 「悪質だな……」 「俺もそう思う。けどさ……それって専務の前だけじゃなくて、部署の外でも、全員がそういう態度なんだ。理由はわかるよ、自分達のしている事が周りにバレないように、人の目があるところでは普通に接してる、って」 「うん」 「でも、だからって3年以上も、誰もこの現状に気づかないのはおかしいって、そう思うのは俺だけか?」 周囲を漂う空気が、急に冷えた気がした。 ピリッと、緊張が走る。 「俺さ、天使さんが総スカンされてるのって、天使さん自身に原因があるとは思えないんだ。だから、ずっと違和感があった。みんなが隠し通そうと徹底してるのも不気味だった。足並み揃えすぎっていうか……、 ……指示してる奴がいると思わないか?」 「……え、何が言いたいの井原」 ぞわぞわと、嫌な悪寒が背筋を走る。 聞くな、と。本能がそう言っている。 「こういう手口ってさ、大抵の場合はいるんだよ。裏で、そうなるように仕向けてる人間が」 あまりにも現実離れした話で頭痛がした。 たとえば性格がめちゃくちゃ悪いとか、仕事を全然しないとか、マナーが悪いとか、悪目立ちし過ぎている部分があるなら、こういう状況に陥るのもわかるとしても、だ。 俺にはどうしても、天使さんがそこまで悪質な人間だとは思えなかった。今日初めて、しかもたった3分程度しか話していないけど、ごくごく普通の女の子に見えた。呆気に取られつつも、俺の慌てようにちゃんと受け答えしてくれたし、態度も控えめで謙虚だった。 井原の言い分から判断しても、これ程までに嫌われる要素のある子だとは思えない。 だとしたら。 「……天使さんを陥れたい奴がいて、そいつが裏で糸引いてる、ってこと?」 「そうなんじゃないかと、俺は思ってる」 井原ははっきりと、そう答えた。 この劣悪な環境に身を置いて、ずっと現状を見てきたんだ。そうはっきり断言できる程の、確信に近い何かを感じ取ったのかもしれない。 けれど。 裏で全員を操って、社内いじめをさせている黒幕がいる……とか。 「……えええええ。ちょ、待ってやめてやめて。まじこえーよ。ホラーかよ。どうなってんのここの部署」 怖すぎる。考えたくもない。 「だから、迂闊に天使さんに話しかけられないんだよ。誰かに監視されてるような気がして」 「監視とか鳥肌なんですけど!?」 井原によれば、入社当時は険悪ムードもなく、天使さん自身にも問題はなかったらしい。 彼女は就業態度も真面目で、会話も普通にできる、どこにでもいるような女の子だと井原は言った。一緒に飲みに行ったこともあるらしい。 ちなみに家族構成も普通だ。お偉いさんのご令嬢、なんて肩書きもなく、ごく普通の一般家庭で育った一人娘だと聞いた。 つまり、あの子を陥れてメリットを得られる人間が、この部署にいるとは思えない。やっぱり井原の考えすぎなんじゃないかとも思ったけれど、それを全否定できないほどの光景が、数メートル離れた一角で開かれているわけで。 「でもさ。井原の弁論を信じたとして、アイツら、徹底的に隠蔽できてないぞ」 「え?」 「この場に俺がいるから」 酒の勢いなのか、それとも悪口大会の雰囲気に飲まれているのか。 どちらにしても、奴らはすっかり忘れている。 他部門所属の俺が、この場に居合わせていることに。 もし俺が、この部署の内情を外に漏らすなり上司に報告でもしたら、どうするんだろうなコイツら。 「───あ、佐倉じゃん」 すぐ近くから、名指しされて顔を上げる。 見覚えのある顔が、俺達を見下ろしていた。 「よ、ミキ」 「なんでアンタ此処にいんの」 「井原に聞いて」 ビールジョッキ片手に、ミキ─── 三樹ヒカリは、俺の隣に座った。 「井原くん、お疲れさま」 「うん。三樹もお疲れ」 「アンタら、まだツルんでるんだね」 「職場一緒だしね」 砕けた口調で話すミキとは、中学時代から同じ塾に通っていた友達だ。席が近かったからよく話すようになった仲で、井原とも顔馴染み。学生の頃に何度か、3人で遊びに出掛けたりもしたからだ。 「あ、佐倉。俺、ちょっと向こう行ってくるわ」 「おー、いってら」 すぐに戻るから、そう言って井原は席を立つ。そのまま別の集団へと足を向け、連中に声を掛けていた。 おそらくあのグループも、井原と同じ思いを抱いてる奴等なんだろう。この状況を、芳しく思えない少数派の人間。 たとえ劣悪な環境でも、天使さんの現状に心を痛めている人達はちゃんといる。それを確認できただけでも、心が救われる思いだった。 「……2人で何の話してたの?」 隣から、訝しげな表情でミキが尋ねてくる。 「内緒」 「はあ? きも」 相変わらず口が悪い。 「つーか、ミキはいいの? 向こうにいなくても」 男女入り交じって、人の陰口に花を咲かせている連中に目を向ける。 その視線の矛先に気づいたミキは、不機嫌な様を露にしたまま、ビールに口をつけた。 「あそこに居てもつまんないし。アンタと話してた方が気がラクでいいわ」 「……向こうの連中は、楽しそうに見えるけど?」 そう告げる俺の口調は、ちょっと棘があったかもしれない。 「いじめに加担して何が楽しいわけ?」 清々しいほどにキレのある一言が返ってきた。 「女ひとりを相手に、寄って集《たか》ってバッカみたい。誰にでも長所もあるし、短所だってあるでしょ。自分の短所を棚に上げて人の評価が出来るほど、私は偉くないっつーの。大体ダサすぎんのよ、自分の行為を棚にあげて相手を叩くとか。アイツら恥ずかしくないわけ? 人格疑うわマジで」 うわ、キッツい。 けど、うん。ミキは昔からこういう奴。 態度でけーし、口わりーし、キツいこともズバズバ言うし、可愛いげの欠片もない奴だけど、誰かに対して悪意のある評価は、ミキはしない。プライドも高いから、自らの評価を自分で下げることも絶対しない。 周りがこうして盛り上がっていても、ミキは何も言わずその場を見守るか、立ち去るか。どちらかを選んで行動してる。 今は、後者を選んだんだろう。 「……そこまで言うなら、その子と仲良くしてやればいいのに」 ぼそっと呟いた俺の非難に、ミキは心底嫌そうに表情を歪めた。 「それこそお断りよ。んなことしたら、私もすぐにハブられるじゃん。そこまでお節介じゃないし、優しくもないから。大体、言われる方にも問題あるんじゃないの?」 「……あー、そっちの考え方か」 "言われる方にも問題はある" その手の考え方には否定しないけど、俺自身はあまり共感できない。 ただ、ミキの言い分にも納得できる部分はあるから、責めたりはしないけど。 「てか、まじ最悪。速水くんが来るっていうから、彼氏のデート断ってこっち来たのに。いないじゃん」 とても聞き捨てならない台詞を唐突に、淡々と吐き捨てたなコイツ。 「ミキお前、速水クン狙いなの? え、てか彼氏いいのかよ」 彼氏に同情しちゃうんですけど。 彼氏いる女まで虜にしちゃう速水クンまじで怖い。妬みとかじゃなくて普通に怖い。 「彼氏はいいの。もう別れようかと思ってるし」 「え、えー……。それで今度は速水?」 「まあね」 「速水クンって、彼女いないの?」 「そういう話は一切聞かないわね」 「周りに言ってないだけで、本当はいるんじゃないの?」 いてもおかしくないよな。 あれほどの優良物件、女が放っておかないのもわかる気がする。 「さあ。別にどっちでもいい。速水くんとは遊びで付き合いたいし」 「はい? 遊び?? 遊園地にでも行くの?」 「アンタほんとお子ちゃま。大人の遊びに決まってるでしょ」 「へっ」 ええ……そっちの遊びかよ。 セのつく友達になりたいとか、個人的にくっそも理解できない。何を拗らせたら、そんなだらしない感情が生まれるんだろう。 「女ってこわ……」 「真剣に恋愛すんの面倒くさいんだもん。適当に遊んで寝てくれる男の方がラク」 「貞操観念どうしたんだよ……てか、速水クンってそういうキャラなの?」 「多分ね」 「多分で済ませていいのそれ」 そもそも断言できる根拠はどこにあるのか。 違ったら速水クンに失礼すぎる。 「……はあ。あのさ、速水クンってどんな人?」 「知らないの?」 「喋ったことねーもん」 「どんなって……別に。普通にイイ人」 「あ、そう」 なんだかな。井原も同じこと言ってたな。 誰に聞いても「いい人」の評価しか出てこない速水クンな。 まあ実際そうなんだろうから、評価通りの人物ってことか。 「……いつまで盛り上がってんのかな、あそこ。戻りづらい。帰ろうかな」 ぽつ、とミキが不満を漏らした。 「あ、じゃあ一緒にラーメン食いに行く? 俺ここに来る前、親父んとこいたんだよね」 「ああ、佐倉んとこラーメン屋だっけ。行く行く。ここにいても、不快すぎて病むから出たい。井原くんも誘おうよ」 ミキが席を離れ、井原に声を掛ける。 受け答えしてる井原の表情はどこか安堵しているように見えて、さっきのミキの言葉を思い出した。 ───不快すぎて病む、か。 確かにこの職場環境は、精神衛生上、悪い影響を及ぼしかねないよな、とひとりごちる。 俺なら病むわー。 井原もミキも、よく耐えられるな。 依然として盛り上がっている連中を見て思う。 間違っても、あんな社会人にはなりたくねえわ、内心そう吐き捨てながら俺も席を立った。 トップページ |