社内いじめの闇1‐佐倉side


 待って?
 おかしくね??

 なんで俺、こんな所にいんの?




「───んじゃー、佐倉いずみクンが加わったところで仕切り直しな! かんぱーいっ!」

 威勢のいい声に乗せられた連中どもが、一斉にビール片手に盛り上がる。
 その中で完全に浮いてる俺。
 そりゃそうだ、今この場にいる連中は調査部門の人間で、俺は営業部門の人間。この場にいる半分以上の人間は誰おま状態だよ。名前すら知らないっていう。

「おー佐倉じゃねーか! やっぱ佐倉だよなあ、こういう時に呼べんのは!」

 いきなり肩を組まれて豪快に笑われた。

 いやお前誰だよ。
 こういう時ってどういう時だよ。
 しかも酒くせぇ。

 色々突っ込みたい所はあるが、ろくに喋ったこともない奴から馴れ馴れしくされても、どう反応していいのかわからない。
 とはいえ、既に出来上がってる奴に何を言っても話が通じるとも思えなくて、とりあえず適当に相槌を打つしかない。

「わりぃ佐倉、急に呼び出して」
「いや、うん……いいんだけどさ……」

 唯一、この部署で顔馴染みの奴───
 井原から、両手を合わせて謝罪された。

 井原とは共に同じ中学・高校出身で、まさか就職先まで同じという腐れ縁だ。仕事上がりに2人で夕飯を食べに行くことも少なくない。
 その井原から突然連絡がきたのが、15分前のこと。

『佐倉? 今どこにいる? ああ、いつものラーメン屋か。悪いけど、今からこっち来れる? 場所は───』

 切羽詰まった口調で居場所だけ告げられて、何事かと思って急行すれば、ただのどんちゃん騒ぎに巻き込まれただけだった。
 そもそも、なんで他部署の飲み会から呼び出しをくらったのか、俺自身も知らない。





 今日は定時に上がってすぐ、親父が経営しているラーメン屋に突入した。人間なら誰しも経験があると思う、今日に限って無性にアレが食べたくなる、というヤツ。まさに今日の俺がそんな感じで、俺の体がものすごくラーメンを欲していた。味噌ともやしとバターのハーモニーに浸りたい気分だったんだ。
 実際に数分前まで、バターの濃厚さと、もやしのシャキシャキ感に舌鼓を打ちながら、味噌ラーメンならではの深いコクと味わいを堪能してたんですよ俺は。

 けれど今、俺の手に握られているのは割り箸でもなければれんげでもない。
 そして此処はラーメン屋でもない。

「いや、速水がさ……あ、速水ってうちの部署の奴なんだけど」
「知ってるよ。速水蓮だろ」
「え、佐倉、速水とも仲良かったっけ?」
「いや。でも有名人じゃん」

 むしろ同期で、速水蓮の存在を知らない奴なんていないと思う。俺らと同じスタートを切った新入社員であったにも関わらず、入社後僅か3ヶ月で、大型プロジェクトのサポート役を任せられるほどの存在感を、奴は社内に知らしめた。

 仕事が出来て、更に真面目で人当たりもよく、誰からも好かれている好青年。それが周りからの、速水蓮の印象だ。

 ただ調査部門の研究員は、一人一人が調査担当分野を持っていて、個人で動く。組織やチームというよりは、個人事業主の集まりに近い部署だ。俺ら営業部門や開発部門と、直接的な関わりを持たない。
 だから速水蓮と話したことは無いし、関わる予定もない。有名人だから知ってると言っても、人伝に聞いた周りの評価ぐらいしか知らない。

「で、その速水クンがどうした」
「うん。速水がさ、『この後用事あるから』って帰ろうとしたんだけど。他の連中がほら、もうあんな状態だから。帰らせまいと駄々をこね始めたんだよね。正直迷惑だし、帰りたがってる速水にも悪いし、じゃあ速水の代わりに誰か呼ぼうぜ、って話になって」
「小学生かよ……で、なんで俺?」
「誰呼ぶ? って話になった時に、佐倉の名前が挙がったから」
「は?」

 なぜだ。
 半分以上の人間は、まだ喋ったことすらない社員なんだけど。

「いや、佐倉もわりと有名人だし」

 どこがだ。そんな反論を含ませた眼差しを井原に向ける。

 俺はしがない営業社員で、顔も中身も営業成績も平均並みの、至って普通の人間だ。漫画や小説で言えば間違いなく、モブの立ち位置だ。
 速水蓮が有名人なのはわかるが、俺はそんな主役並みのスキルも無ければオーラもない。
 そう主張した俺を、井原は鼻で笑った。

「よく言うわ。コミュ力チート野郎が」
「は?」

 なにその異名。

「『半分以上の人と喋ったことがない』? それ、逆に言えば半分以上の人間と仲がいいってことじゃん。どうなってんだよ。俺なんか、営業と開発部門で仲いい奴いねーし、仕事以外で話すこともねーよ」
「……いや、それはお前が調査部門だからじゃね?」

 この会社の闇だと思う。調査部門との連携が上手くいっていないのは。

 互いに仲が悪い訳ではないけれど、調査部門側が、他部門に必要以上に関わらないスタンスを取っている。組織体制が特殊故の独裁主義が、近寄り難い雰囲気を醸し出している現状だ。
 部門が違うとはいえ、同じ会社の人間であることは変わらないんだし、変に距離感を取ったりしないで普通に関わればいいと思うんだけど。

「それが出来る人間が、どれ程の数でいると思ってんだよ。てか佐倉さ、どうやったらそんなに、誰とでも仲良くなれるわけ? なんなのお前のコミュ力の高さ」
「いや、普通に話してるだけじゃん」
「普通って何」

 俺に聞くな。そう突っ込もうとした時、個室部屋の扉が開いた。
 数名の女子が笑顔で入室してきて、途端に場が華やかになる。

「ごめんおまたせー!」
「おせーよ女子」
「……って、あれ。速水くんは?」
「……専務もいないよ?」

 その場に現れた女性社員が、困惑気味に周囲を見渡している。この場にいる野郎共など眼中にもない、といった感じで。

「速水ならもう帰ったぜ」
「……は? 嘘でしょ? だってまだ18時半だよ!?」
「ちなみに専務は、チビが熱出したって奥さんから連絡きて帰った」
「えー!?」

 事実を突きつけられ、次々に悲鳴が上がる。肩を落とす子、いきなり喚き出す子、更には床に這いつくばって泣き出す子までいる。阿鼻叫喚ってまさにこの光景か。

「なにあれ」
「速水が飲み会に来るの、最近じゃ珍しいからな。気合い入れてから来たんじゃね。それが仇となったみたいだけど」

 そう言いながら、井原は小さく肩をすくめた。

「なに、気合いって。速水クンと相撲でもすんの?」
「相撲(笑)。それめっちゃ見たいわ。そうじゃなくて、あわよくば速水とお近づきになろうとしてたんだろ。うちの部署の女子のほとんどが、速水に心酔してるしな」
「え、こわ」

 そこまでモテるの速水クン。すげえ。

「いや、佐倉もモテんじゃん」
「俺今までモテた記憶ねーんだけど」
「いや、佐倉も人気あるよ。まあその人気の質は、速水とは違うけどさ。中身イケメン? ってーの? 中学でも高校でも、校内一のモテ女はみんな、お前に片想いしてたしな。大体お前が全部もってくんだよなー」
「……はあ?」

 今更知らされた衝撃の事実に目を見開く。
 開いた口が塞がらない。

「え、まって? なにそれ初耳なんだけど? そしてその話を鵜呑みにしたとして、学生時代に彼女がひとりも出来なかった俺はなに?」
「ご愁傷さん(笑)」
「笑い事!?」
「でも俺は、どっちかと言えば佐倉の方が好感持てるけどな」

 最後にぽつりと呟いた一言に、眉を寄せる。

「……なに井原。速水クン嫌いなの?」
「いや、嫌いなのは速水じゃねーよ。アイツはまじでイイ奴だし」


 "嫌いなのは"


 その言い方だと、まるで他の部分に不満がある、そう言っているのも同じ。

「え、なに怖いんだけど。何かあるの?」
「や、速水は関係なくてさ。なんつーか、この部署の雰囲気がさ……」

 苦虫を噛み潰したような表情に、不穏な空気を感じ取って耳を傾ける。自然と声が小さくなっていた。

「てかさー。なにこの人数の多さ。もしかして速水くんと専務以外、全員来てんの?」

 井原が何かを発しようとした時、すぐ傍らで甲高い声が上がる。

「ほぼ全員な。あ、でも来てない奴もいるけど」
「誰?」
「岸良と山崎さんと……あと根暗女」
「あー、あれはどうでもいいわ(笑)」

 馬鹿にしたように女が笑って、釣られたように周りからも笑いが起こる。人を嘲笑う声が渦のように巻き起こって、どことなく不快感に襲われた。

 その嘲笑をキッカケに、その場は速水から"根暗女"とやらに話題が移っていく。やれ無愛想だのオタクっぽいだの気持ち悪いだの、程度の低い罵詈雑言のオンパレードだ。その根暗女、というのが誰なのかは知らないけれど、端から見ていても気分のいいものじゃない。

 俺だめなんだよね、こういうの。
 影で人の陰口叩く奴も、こういう場を利用して話題にする奴も。それに乗る連中も。

 生理的に受け付けられない雰囲気に流されたくなくて、ふっと視線を逸らす。
 井原も居心地の悪そうな顔をしていた。

「……さっき言ってた"部署の雰囲気"って、こういう感じのこと?」

 さりげなく部屋の隅っこに移動して、井原に小声で尋ねてみる。他の連中に俺達の会話は聞こえてはいないと思うけど、念の為。

「ん……まあ、そんなとこ」

 苦笑交じりに井原は頷いた。無理して笑ってるのがバレバレで、強張った表情が痛々しい。
 井原も俺と同じタイプで、この手の話題をとことん嫌う。中学以来からの付き合いだけど、昔からダチ想いで優しい奴だったから。だから社会人になった今でも、こうして付き合いが続いている。

「その……社内いじめ、的な?」
「どうなんだろ……近い気はする」
「具体的にどんなこと?」
「総スカンかな」
「仕事の押し付けとかはないんだ?」
「それはないな。みんな担当分野が違うから、他人に仕事任せるとか絶対できない」
「ああ、なるほど」

 直接的な嫌がらせは無いらしい。
 でも、と井原は続けた。

「無視の徹底さが半端ないんだよ。とにかく彼女を除け者にしたいって意思がほぼ全員にあって、仲間外れに必死になってる。そんな状態が3年間続いてる」
「うわ……キツいな」

 そんな部署で仕事したくねぇ、と思った。
 同時に、よく飽きもせず3年も続くな、とも。

「うん、かなりキツい。みんなは本人を叩いて面白がってるのかもしれないけど、真面目に仕事したいと思ってる俺らからしたら迷惑。見ていて不快だし、ほんと職場環境は最悪だよ」

 隣ではあ、と重いため息をつく井原は、心底疲れきった表情でビールを呷《あお》った。

 今まで井原とは、何度も夕飯を共にしている。
 けど、仕事の話はしても職場環境の話はしていなかった気がする。言えなかった、のかもしれない。
 3年も経ってから、やっと俺に打ち明けてくれた。それだけ限界を感じているのだろう。
 ずっとストレスを抱え込んでいたのかと思うと、やるせない気持ちになる。

「井原、大丈夫か? キツいなら部署異動を考えてもいいと思うけど。営業来れば? 一緒に仕事しようぜ」
「正直それも考えたけどさ……3年もここで頑張ってきたし……」
「まあ、そうか……それなりに愛着があるよな」
「うん。それに、あの子も気になるし……」
「あの子?」

 井原の言う「あの子」が、"気になる異性の存在"という意味ではなく、いわゆる"根暗女"と呼ばれている子を指した言葉だと気づいた。

「その、やっぱり心のどこかで『何とかしてあげたい』って思ってる自分がいるんだよな。あまりにも扱いが不憫すぎて。まあ実際思ってるだけで、何も出来てねーけど……。仕事の話ついでに雑談くらいなら、できるんだけど……周りの目が怖くてさ」

 男の癖に情けないけど、そう自嘲気味に言った。
 でも、井原の言うこともわかる。

 何とかしたいって口で言うのは簡単だけど、職場環境や人間関係の問題は、ひとりで何とか出来るものじゃない。
 それ以前に、こんな雰囲気が常日頃な環境なら、それこそ余計に、行動が制限される。
 あまりこういう事は言いたくないけれど、人間誰しも、自分の身が一番可愛いんだ。
 ……俺も含めて。

 正義感を掲げて持て囃《はや》されるのは漫画やアニメだけの話で、現実的には裏目に出ることが大半だ。明日は我が身、なんて事態は誰だって避けたいだろう。それぐらい学校や職場の人間関係って大事だし、精神的にくるから。
 だから、『何とかしたくても、周りが怖くてできない』っていう井原の気持ちは痛いくらいにわかるし、そこを責めてもどうしようもないこともわかってる。

「芹澤専務は知ってんの? この状況」

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