奪うお話。3 -先生side*


「………う、」

 あ、泣く。
 そう思った次の瞬間には泣いてた。

「うわああぁぁん」

 しかも号泣だった。

「千春くんのばかばかばか嘘つきいいいぃぃ普通に痛かったあああぁぁ」
「ごめんごめん。でもほら、もう挿れ終わったから。おめでとう。明日はお赤飯にしようね莉緒。あずき一缶分まるごと入れてあげる」
「全然優しくないしっ、もう少し雰囲気とかそういうの大事にしてくださいいぃ」
「それを俺に期待しちゃだめだよ」
「赤飯は甘納豆でお願いしますうううぅ」
「あ、北海道は小豆じゃなくて甘納豆だね」

 色々注文が多い。

「あのね莉緒。これ3つめのお話なんだけど。ゆっくり挿れたら余計に痛いんだよ? この痛みをじわじわやられるとか、それこそ拷問でしょ。こういうのは早めに挿れて終わらせた方がいいんだよ」
「ううっ。そうかもしれないけど、そうだったとしても、そういう事じゃないんです……」

 「ばかばか千春くんのばかっ、頭ハゲちゃえ」と、ぐずぐず泣きながら罵声を受ける。散々な言われようだ。

 男の俺にはわからないが、女の子というのは、自身の処女喪失に少なからず夢を抱いてるのかもしれない。一生に一度きりの経験、それを、好きになった男と最高の形で終わらせたいと思う気持ちは、まあ、わからなくはない。
 さすがに罪悪感が湧くが、今のこの状況が、一番の危険要素を孕んだ事態を回避できたことを物語っていた。

「それで、今は?」
「ふえ?」
「まだ怖い?」

 俺は"痛み"よりも、"怖さ"を莉緒に抱かれる事の方が、よっぽど怖い。人は身体的な痛みよりも、精神的な痛みを植え付けられる方が辛く、トラウマになりやすいから。莉緒が抱かれる度に、恐怖を抱くようなら、もう一生抱けない。

 この子は人一倍、痛みに敏感だ。
 過去に負った、心の傷があるから。

「……怖いと感じる前に、終わっちゃった」

 ぽつ、と呟く声に、怒りは感じない。
 一番恐れていたことが一瞬で終わってしまった事に、拍子抜けした莉緒の肩から力が抜ける。同時に怒りも収まったようで、今度はへらへら笑い出した。
 相変わらず、表情がころころと変わる。

「千春くん、おなかに何かいる」
「キノコお化けがいるよ」
「あはは」

 少しだけ涙目で、彼女は砕けたように笑う。
 恐らく今も、下腹部から響く鈍痛は感じているはずだけど、それを表情に出さないのは俺を気遣っているからなのか、それとも気にならない程の痛みなのか。莉緒の性格を考えたら、前者だろう。

「ごめんね。無理やりだったね」

 目尻に残る水滴を指で拭って、頭を撫でる。
 可愛い笑顔が少しだけ崩れて、大きな瞳が寂しげに細められた。

「あのね。千春くんがね、私を怖がらせたくないって思ってたこと、ちゃんとわかってるよ」
「うん」
「でもね、やっぱり、ゆっくりいれてほしかったの」
「………」

 その口調に、俺を咎める響きは無い。
 もう既に終わってしまったことを責めても仕方ないと、莉緒はそう考えてる。それでも俺のしたことを全部、納得しているわけじゃない。
 莉緒は確かに、『痛くても、優しくしてくれたら我慢できる』と言っていたのだから。その言葉を信じてあげるべきだった。尊重してあげるべきだった。俺のしたことは結局、莉緒の健気な気持ちを置いてけぼりにしただけだった。

「……ごめん」

 学習能力がないってこういう事か。何度傷つければ気が済むんだと嫌になる。
 莉緒の実家で安易に触れて、傷つけて、もうしないって決めていたはずなのに。結局また同じ事を繰り返してる。こんなの、いつ愛想つかされても仕方ないんじゃないか。

「全然、うまくいかないね」

 経験はある。
 知識もある。
 それでも恋愛は上手くいかない。

「うまくいってるよ。これでいいの」
「……え」

 まるで俺の心を見透かしたように告げられた言葉に、目を丸くする。

「前に、お母さんに言われたの。『私達はお互いに遠慮しすぎて、言葉足らず』だって。私も、千春くんも、ここ最近ぎこちなかったのはそのせいだって気付いたから、言いたいことはちゃんと言おうって約束したよね。だからって、これで全部、すんなり上手くいくとは思ってないよ」
「……うん」
「私、男の人とお付き合いするの初めてだから、偉そうな事言えないけど。恋愛って、つまずいたり、間違えちゃうことの方が多いんじゃないのかな? ロボットとか、恋愛小説と付き合ってるわけじゃない、人と人が付き合うんだもん。気持ちがすれ違ったり、意見が食い違って喧嘩するのは当たり前で、それで仲直りして、それが普通なんじゃないのかな……?」
「………」

 つまり『過程』が大事だと、莉緒はそう言いたいのだろう。
 喧嘩もしない、悩みも無い、甘やかして甘やかされるだけの男女交際なんて、普通に考えてもありえない。途中でつまずくのは当然で、『じゃあどうしようか』と悩むところから始まって、改善策を見出す。昨日までの俺達がそうだったように。

 乗り越えなければいけない壁に、俺も莉緒も阻まれた。そして相手の立場を思いやるが故に、言葉が足りなかった事に気づいた。自分の望んでいることを口にするべきだと反省した。だから、『言いたいことは言おう』と互いに約束した。
 俺達はちゃんと学んで、乗り越えている。衝動的に触れて傷つけてしまったあの日とは、全然違う。

 今だって、道の途中でつまずいただけ。
 これが普通。
 何もかもうまくいく恋愛なんてつまらない。

「……莉緒は前向きだね」
「え、あ、ほんとに、そういうものじゃないのかな? って話で。私もよくわからんです」

 わたわたと慌て始めた彼女に苦笑する。
 頭を撫でれば、大人しくなった。

「これからもね、喧嘩することもいっぱいあるし、迷うことも多いと思うけど。その度に話し合って、仲直りできたらいいね。今みたいに」
「うん」

 導き出した答えに、莉緒も笑って頷いた。

「仲直りする度に、私と千春くんの絆はレベルアップしていくのです」

 なんて、つけ加えて。

「……はは」

 小さく息を吐いて、ゆっくり莉緒に体重を預ける。華奢な身体を抱きしめて、ふわふわの髪に顔を埋めた。甘いシャンプーの香りが、精神を落ち着かせていく。

「……千春くん、動かないの?」

 一向に動こうとしない俺に、莉緒の不思議そうな声が耳に届いた。

 今動けば、きっと痛い。この感覚に慣れてもらわないと、先に進めない。
 が、それは口にしなかった。

「もう少し莉緒のナカにいたい。気持ちいいから」
「ほんと? 千春くん気持ちいいの?」
「かなり」
「わあ、なんか嬉しいね」

 本当に嬉しそうに言うから、無性に泣きたくなった。どうしてこうも莉緒の言葉は、俺の心を揺さぶるんだろう。
 莉緒を抱いて、彼女が俺のものになったという実感は、正直なところ全くない。一線を越えたことで、またひとつ壁を乗り越えたと。その程度の感覚でしかない。どんな状況になろうが、結局俺も莉緒も何も変わらない。いつも通りだ。

 ただ、迷いは吹っ切れた。

「莉緒」
「なに?」

 柔らかな頬にキスすれば、ぱちりと瞳が瞬いた。

「俺ね、莉緒と付き合ってること、周りに隠したくない。彼女だって言いたい。それでもしリスクを負うなら、言うべき人と場所は考える。だから莉緒も堂々としてて。誰かに恋人がいるか問われたら、ちゃんと俺がいるって言って」

 注文が多いな。俺も。

「……本当? いいの? 千春くんが彼氏だって周りに言っていいの? ほんとはずっと言いたかったの」

 頬を紅潮させながら、莉緒は嬉しそうに表情を綻ばせた。
 『本当はずっと言いたかった』と、そう放った言葉は想像以上に重くて、我慢させていたことが申し訳なく思うし、そう思ってくれていたのが嬉しかったのも事実だ。



 この笑顔を守りたい。
 ずっと隣で見ていたい。
 それができるのは、きっと俺だけのはずだから。

mae表紙tugi

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