覚悟のお話。3


「今、莉緒が考えてること当ててあげようか」
「い、いや、いいです」

 慌てて手を振れば、コホ、とわざとらしい咳を鳴らして、千春くんは私を見た。

「じゃあ、先に不安の芽から摘んでおこうか。『初めては痛い』って、莉緒はどうしてそう思うの?」
「え……だって」

 ネットに書いてあったもん。

 漫画や小説も見ない、読まない私の情報源は限りなく狭い。大半が、ネットから得た情報だ。
 あとは高校時代の同級生とか、お父さんのお店で働く女の人達から、うっすら聞いた程度でしかない。
 それを正直に明かせば、千春くんは呆れたように溜め息をついた。

「嘘まみれのネット情報を全部鵜呑みにしない。そんな情報は今すぐドブに捨てなさい」
「……はい」

 怒られた。
 とりあえず頷いておく。

「まずね、莉緒ちゃん。"処女喪失が痛い"っていうのは誤認。半分当たりだけど、半分ハズレ」
「え……でも」

 そんなの、にわかに信じられない。
 だって。その、ここに……アレを、いれるんだよね?
 絶対の絶対に、痛いに決まってる。
 想像するだけで痛そうなのに。

「まあ聞きなさい。今から3つ、お話しするから」
「みっつ?」
「まずひとつめ」

 ぴ、と千春くんが人差し指を立てる。

「全然痛くないかって聞かれたら、まあ普通に痛いと思うよ。誰もいれたことがない、触ったこともない、開発すらされていない狭い場所に、いきなり異物突っ込まれるんだから。痛くない方がおかしい」

 ……うん。だよね。

「だから、少しでも女性の負担を減らすためにローションが開発されて、潤滑ゼリーが注入されているゴムが販売されてるの。あとは、極力痛まないようにするテクもあるんだけど、こればかりは経験を積んでいかないと出来ない。つまり性交時の痛みは、ちゃんと準備した上で、やり方さえ間違えなければ、ある程度は無痛にできるって事。わかった?」
「………」

 ……わかった、ような。
 わからないような。

「……潤いが必要、っていう部分は、理解できました」
「賢い生徒で助かるよ。で、やり方次第で痛みを和らげることができるっていう点を頭に入れて、ふたつめのお話」

 更に2本の指を立てる千春くん。
 ピースしてるみたい。

「処女を卒業する年齢って、平均で何歳だと思う?」
「……17か、8くらい?」
「だね。大体高校生か、20代。処女を捧げる相手も、自分とほぼ同じ年齢の男が大半だと思うんだ。同級生とか先輩とかね。場合によっては、相手は童貞かもしれない」
「どっ……」

 ドウテイ。
 聞き慣れない単語に目を白黒させる。

「若い子達は当然だけど、経験値がない。特に血気盛んな男子学生は、女の子への配慮より、己の欲を発散する事に意識がどうしても向くからね。更に女の子側が気を遣って、痛くても口に出せずに我慢する。悪循環だね」
「あ……」
「もうわかったでしょ? 誤認なのに、『初めてが痛い』って言われる原因」
「な、なんとなく」

 『初めてが痛い』という認識が広まったのは、ほんの些細なズレが生じたから。

 お互い経験不足。配慮足らず。
 何の準備もなしにいれられたら、当然痛いに決まってる。
 男の人がどんなに優しくしてあげたとしても、それだけじゃダメなんだ。
 そういう小さな失敗が積み重なって、女の子が痛い思いをしなきゃいけない要因を生み出しちゃったのかもしれない。
 でもこれは、あくまでも身体的な話であって。

「千春くん」
「ん?」
「あの、あのね。もし経験が無くてすごく痛かったとしても、それでも好きな人に優しくされたら、きっと女の子は嬉しいと思うの」

 抱かれた経験なんてないから、想像でしかないけれど。
 私、もしすごく痛かったとしても、千春くんに優しくされたらきっと嬉しいし、痛みも我慢できると、思う。
 そんな気が、してきた。

「へえ? さっきまで『痛いのはやだー』ってピーピー泣いてたのは誰だっけ?」
「うっ」

 わたしです。

「まあ、そういう精神論の話は後でするけど」
「後?」
「ん。とにかく、『女の子の初めてを痛めないようにする』には、ちゃんと準備が必要で、正しいやり方があるんだよ。ただ、そのやり方を習得するにも時間と経験が必要で、」

 そこで言葉を切った千春くんは、ゆっくりと瞬きを落として。
 そして私を真っ直ぐに捉えた。

「今、君の目の前にいるのは、経験と実績を十分に兼ね揃えた大人です」
「……千春くん」
「絶対痛くさせないって保証はできないけど、最小限に抑える。痛みなんて一瞬で忘れさせてあげるから、安心して飛び込んでおいで」

 その言葉の節々に見える、余裕。
 私を安心させようと偽った言葉なんかじゃない、絶対的な自信の表れ。
 目の前にいるのは、私より8年分の経験を培った、大人の男性。

「……ほんとに?」
「うん」
「痛く、しない?」
「技術面で言えば、そこはもう、任せてくれていいよ。ほらほら俺の顔をよーく見て。信じられる瞳でしょ?」

 にっこり。にこにこ。
 そんな擬音がぴったりな、眩しい笑顔。
 私はしばらく考えてから、よいしょ、と膝上から降りようとした。

「待て待て待て。なに逃げようとしてるの」

 直後に捕まった。

「なんか、全部胡散臭く聞こえるの」
「ひどい。こんなに莉緒ちゃんに尽くしてるのに」
「うう……じゃあ3つめのお話は何ですか」

 肝心の最後を聞いていなかった。
 疑いの目を向ける私に、千春くんは口を開こうとして。止まった。

「……………………3つめは、口で説明するより身体に直接教えてあげる。そっちの方が早いから」
「………。」

 なんでしょう。
 嫌な予感しかしません。

「一応、補足しておくけど。失敗したからって、相手の男が悪いっていう話じゃないからね。それだったら、全部男に任せっぱなしにした女の子は何も悪くないのか、って話になるし」
「……うん」

 好きな人に全てを任せたい、女の子はそう思いがちだけど。その考えも問題なんだ。

「経験が足りない自覚があるなら、お互いにちゃんと勉強しないと。まあ、莉緒には関係ない話だけどね。何故ならキミの初めてを貰うのは、俺なので。勉強要らずだよ」
「………」

 もう抱く気満々です。このひと。

「あのね莉緒ちゃん。その、"スンッ"てすました顔するの、やめよう。先生悲しいです」
「ごめんなさい」
「棒読み」

 くすくす笑いながら、千春くんは私の体を抱え直した。
 不意に香る、石鹸の匂い。
 互いの体から、同じ香りがふんわりと漂った。

mae表紙tugi

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