買い物に行くお話。2 「あそこ」 「え?」 「いつも行くスーパー」 指し示された方向に、商店街と書かれたアーチ型の看板が見える。そのドームの中に入ると、小さなお店がたくさん並んでいた。 昭和の雰囲気を思わせる昔ながらの空間は、テレビで見たことがある光景に似ている。その一角に、種類豊富な野菜と果物がずらりと並んだ、八百屋さんのようなお店を見つけた。 千春くんに連れられて、そのお店の前に立つ。 大通りや地下街にあるスーパーよりも小規模で、食材のサイズは小さめ。一袋に入っている数も、1つか2つ程度しかない。 なのに夕方前にも関わらず、お店の前は沢山の買い物客で溢れている。 その理由は、価格を見て納得した。 「わ、安い!」 びっくりです。 ほとんど全部、100円なのです。 「食品専門の100円ショップなんだよね」 「うわあ」 野菜高騰が騒がれている昨今で、まさかの全て100円揃い。豆腐やもやしに至っては、3個セットで100円というお買い得感。 サイズを小さくしたり、個数や量を減らすことでコストを下げているだけで、品質自体は問題なし。傷んでいたり汚れたりもしていないし、色や艶も良くてすごく美味しそう。 こんなお店があったなんて知らなかった。盲点でした。 1人暮らしの人や主婦の人達は、ここに通ってるんだ。千春くんも。 「こんにちは」 店先で、お客さんの対応をしていた店員さんに、千春くんが声を掛ける。 振り向いた店員さんが、にこやかに笑う。 若い男の人だった。 「お、こんにちは。今日も子猫ちゃんのお預かり?」 「お願いできますか?」 「いいですよ。そちらのお嬢さんもお預かり?」 「え」 わ、わたし? 「こっちは、お預かりしません」 「なるほど」 にこにこと笑顔で流されて、どうしたらいいのかわからなくなる。 「あれですか? これ?」 小指を突き立てて千春くんに尋ねる店員さん。 ちょっと古い気がするジェスチャーにも、千春くんは全く動揺していない。 「まあ、それです」 あ、あっさりと認めた。 恥ずかしさと嬉しさで爆発しそう。 「可愛い彼女だね。あと若いね」 「元生徒なので」 「っ!?」 そこまで言っちゃうの!? 焦って彼を見上げても、やっぱり千春くんは涼しげな表情を崩さない。堂々としてる。 いいのかな、生徒なんて言っちゃっても。 変に怪しまれたりしないかな。 不安に襲われる私とは対照的に、千春くんと店員さんの間に流れる空気はとっても緩やかで、ほのぼのとしてる。 「元生徒とは。やるねー」 「まあね」 「よろしくね、彼女さん。うちの店をご贔屓に」 「は、はい!」 ぺこっとお辞儀をすれば、屈託なく笑われる。 礼儀正しいね、そう言って頭をぽんぽんされた。 「いっぱい買ってってね」 「はい!」 私の返事にニコ、と笑った店員さんは、すぐ自分の仕事へと戻っていく。その手には、かき揚げ丼入りの籐カゴが握られている。人見知りしないかき揚げ丼は、その店員さんにも懐いているようだった。 千春くんと一緒に、店の中へ入る。 空調が効いている店内はちょっと寒い。 買い物カゴを手に取った彼の隣に並んで、商品を物色していく。 「さっきの人はね、このお店を経営してるご夫婦の息子さん」 「かき揚げ丼、預けてくれた人?」 「うん」 陳列している商品を眺めながら、千春くんが商店街のことを説明してくれる。その間、常連客の人とすれ違う度に千春くんは挨拶をして、世間話をして、私の事を紹介してくれた。 彼女だと告げられる度に照れ臭くて、くすぐったい気持ちにさせられる。明らかに年齢差のある私達の事をどう思われるか不安だったけど、みんな優しく受け入れてくれた。 お客さんの殆どが顔見知りのようで、ご近所連れで来店している人達も多い。千春くんも始終楽しそうに、お客さんと話をしていた。 ここに来ると元気貰えるんだよね、彼が呟いた一言に私も大きく頷く。 このお店は、いつも誰かの笑顔で溢れてるんだ。明るくて、温かくて、優しい人達ばかり。 千春くんがこのスーパーを贔屓している理由が、ここに来てわかった気がする。値段が安いだけじゃない、下町ならではの、人情に溢れた商店街が好きな人達が、ここに集まってくるんだね。 地元の人達に支えられてお店が成り立っているんだと、改めて感じ取る。 「店のご夫婦は、事務所で仕事してるっぽいね。莉緒のこと紹介したかったけど、今日は無理かな」 そう言いながら、千春くんの手が猫用の餌缶を手に取った。 数秒見つめた後、カゴの中にぽい、と入れる。 目を丸くさせる私の目の前で、カゴの中の食材はどんどん増えていく。買うか買わないか、なんて迷いは一切見えない。 そういえば幼い頃、お父さんと買い物に行った時も似たような光景を見た。 お父さんも、商品のラベルを一瞬見ただけで、ほいほいとカゴの中に詰め込んでいた。 男の人の買い物って、こういうものなのかな? その手捌きの早さに圧倒していると、むに、と頬に何かを押し付けられた。 「これ食べる?」 「う?」 「『1歳から食べられる、にゃん汰先生のベビーせんべい8枚入り。幼児対象』」 「いらないですっ!」 「はは」 遠慮しなくていいのに、そう言いながら商品を棚に戻した千春くんの声はずっと楽しそう。 からかわれたと気づいた私は、む、としながら頬を膨らませた。 彼女扱いしてくれたと思ったら、すぐこれだもん。いつもいつも私のことからかって、遊んで……。 でも遊ばれているのも楽しい、なんて思ってる自分が、一番重症な気がする。 「さて、帰ろっか」 「結構買っちゃった」 「あほ猫持ってくれる? 俺は荷物の方ね」 「うん」 山盛りになっているレジ袋を、千春くんは軽々と持ち上げた。 店員さんから返してもらったかき揚げ丼は、籐カゴの縁にちょこん、と前足を置いて、顔を覗かせている。千春くんが持ってるレジ袋を、ずっと気にしてる。 自分のご飯が入ってるって気付いてるのかも。 「楽しかった?」 千春くんにそう聞かれて、私は笑顔で頷いた。 「また来たいです」 「いいよ。また一緒に来よう」 千春くんが微笑みながら、片方の手を差し伸べてくれる。 その手を、ぎゅっと握り返した。 恋人繋ぎじゃなくて、普通の手つなぎ。 直に伝わる温もりに、幸せが満ちていく。 手を繋ぐことも、一緒にお買い物をすることも、高校生の頃は出来なかったこと。 今まで出来なかった事が、ひとつずつ出来ていく事が嬉しい。 私達は少しずつ、恋人らしくなれているよね。 夕暮れに染まる商店街の帰り道。 私と、千春くんと、猫ちゃんの影が、紅で彩り始めたアスファルトの上に伸びていた。 トップページ |