ドライブするお話。1 「俺、LINEとか基本しないんだよね」 ───なんて言いながら私のスマホを勝手にいじって、そして勝手にLINE登録してくれちゃった彼氏様からメッセージが届いた。お昼休憩中のことだ。 周りでLINEをやってる子は多かったけれど、私はした事がなかった。遊んでいるアプリすらひとつもない。必要最低限の機能しか知らないから、メールと電話以外の使い道がわからなかった。そんな私を見かねて、千春くんがLINEのやり方を教えてくれた。それが昨日の夜の話。 それから今の今までしたやり取りは、「おやすみ」「おはよう」、それくらい。 そして今、千春くんから3度目のLINE。 胸のざわめきを一旦落ち着かせて、スマホをタップする。 画面に表示されたのは、 『元気?』 たったこれだけ。 「んん?」 これはなんですか? 昨日の夜も会ったのに、元気かどうかを問うやり取りはあまり意味がないように思える。 『元気ですよ』 何の捻りもなく、素直な返事を送る。 すぐに既読の文字がついた。 『お昼ご飯、なに食べるの?』 『お弁当です』 『手作り?」 『そうです』 『いいね、手作り弁当。いつか俺にも作って』 「……て、手作り弁当……!」 その考えは頭になかったです。 手作り弁当。 手作り弁当だって。 すごく彼女っぽいです。 ……彼女だけど! ・・・ 「泊まればいいじゃない」 そう告げる声は、お母さんのもの。 GW中、千春くんのマンションへ泊まりに行こうか迷っている私に、事の発端を引き起こした張本人は何の躊躇いもなく、そう言い放った。 今年のGWは長い。4月の28日が週末だから、9日間。でも私と先生の場合は、職種の関係上、5月初めは通常通りの勤務になる。だから正式には、3〜6日までの4日間だ。 でも、お母さんは千春くんに、「10日間くらい」って言っていた。この人の中では、28日から私を外泊させる気らしい。 家族連れで賑わう回転寿司。目の前でくるくる回る食材を前に、私は何も手をつけられず、それらが流れていく様を黙って見届けていた。 隣ではお母さんが、レールの上を流れる小皿に手を伸ばしている。次々に獲物を食らい尽くし、積み重なっている皿の頂上に、空の器を積み重ねた。 カチャリ、と無機質な音が鳴り響く。10枚目。 「あー、シメサバうまし」 「でも、1週間以上も泊まるなんて、迷惑になるんじゃないかな」 「たまごもなかなかイケる」 「私が先生の所に通ってたら、周りにバレちゃうかもしれないし」 「でも北海道の寿司の方がうまいわー」 「もしバレたら、先生の立場が悪くなるかもしれないし」 「海鮮はやっぱ北海道が一番だべ。あと芋な、芋」 「……………お母さん、話聞いて」 「聞いてるわ。お母さんは筋子よりたらこ派よ」 「そんな話してないし」 ちなみに私は筋子派です。 「莉緒は、お母さんに何を言ってほしいの?」 「え………」 お母さんの手が箸を置く。空になった小皿を更に積み上げた。11枚目。 「さっきからゴタク並べて、『迷惑かかる』だの『立場が悪くなる』だの。あんたは自分に自信がないだけでしょ。千春センセは莉緒に、迷惑だ、なんて言ったの?」 「言ってない……けど」 「でしょ」 「でも心の中では思ってるかも」 「そういう事はハッキリ言うタイプでしょ、あの人は」 「そう、かな」 そうなのかな。 私の知ってる千春くんは、いつも優しくて、穏やかに笑う人で、でも間違ってることはちゃんと口に出してくれて、結構意地悪なところもあって、毒舌なところもあって…… ん? あれ? わりとハッキリ言うタイプだ。 「千春センセが迷惑だと思ってない事を、あんたが勝手にそうだって決め付けてるだけ」 「………」 「バレてもいない癖に、バレた時の不安を勝手に抱いてるだけ」 「………」 「たら、ればを今言ったところで仕方ないでしょ」 「……うん」 お母さんの言いたいこともわかる。私達の関係が周囲に知られてしまった訳じゃない。バレた時の心配を今しても、仕方ないんだって。 でも。 でも、もし本当にバレてしまったら、私はどうしたらいいの? 私達はどうなるの? 口を閉ざしてしまった私の目の前では、お寿司が乗った小皿が悠々と流れている。そのうちの一皿をお母さんの手が攫って、私に差し出してきた。 「ほらほら食べる。もったいないでしょ」 「……うん」 ウニが乗ったお寿司だった。 箸でつまんで、ぱくりと口に含む。 「……なんか、微妙」 「ね? 美味しくないわけじゃないんだけどね」 「うん」 「こんな味だっけ? ってなるわね」 「なる」 なんだろう。 美味しいんだけど、美味しくない。 こういう時、改めて思う。北海道は美味しい食材の宝庫だ。 でも千春くんが作ってくれたご飯は、何でも美味しかったな。 また千春くんのグラタン、食べたいなあ。 「………ふ…ぇ、」 ぽたりと、瞳から雫が零れた。 熱くなった目頭から涙がこみ上げて、頬を伝い落ちていく。箸を握ったままの手が微かに震えてた。 困った。 自分で思っていたより情緒不安定だ。 「あらま」 私が突然泣き始めても動揺すらしないお母さんが、バッグからポケットティッシュを取り出して、私に差し出してくれた。 一度箸を置いて、無言のまま受け取る。その場で、ちーん! と思いっきり鼻水をかんだ。 飲食店なのに汚くてごめんなさい。 「涙も拭かんかい」 「うう、だって鼻水たれる」 「そら絵面的にやばいわ」 ごしごしと涙も拭き始めた私の隣では、積み上げられた山の頂点に手を伸ばす、お母さんの姿がある。空になった器を更に積み上げた。12枚目。 「莉緒が今悩んでることはね、千春センセも同じくらい悩んでることだと思うのよ」 「……そうだと思う」 ぐす、と鼻をすすって頷く。 きっと、千春くんはもっと色々なことを沢山考えてる。私よりももっと、多くの事を。 「それでもね、センセは莉緒を誘ってくれたでしょ」 「……うん」 「立場的にリスクを負うかもしれないのに、一緒にいてくれてるでしょ」 「……ん」 「莉緒も一緒にいたいんでしょ」 「……うん」 「なら一緒にいればいいじゃない」 「……でも」 違う。 違うの。 一緒にいるとかいたいとか、本当は、それは問題じゃない。 私は怖いんです。 8つの年の差が、ものすごく怖い。 今時、年の差恋愛なんて珍しいことでも何でもない。むしろ流行ってるって聞くぐらいだし、有名人の中には、10や20以上の年の差で結婚した人だっている。たった8つの年齢の差なんて、周りから見ればどうってことない数値なのかもしれない。 でも私は怖い。 その差に酷く距離を感じてもどかしい。 今年の春に高校を卒業したばかりの、成人すら迎えていない中途半端な子供と、思考も知識量も経験値も圧倒的に上な大人。私より8年分多く費やしてきた時間の中で得た糧が、今の千春くんなんだ。 ただの数値じゃない。 この8年は計り知れないほど、重い。 今の千春くんに、私はどう映っているんだろう。大人なあの人に、子供な私はどう思われてるんだろう。 私は本当に、先生の彼女になれていますか? 子供っぽいと思われるのが嫌。 それを理由に、面倒くさい子だと思われたらどうしよう。 飽きられたらどうしよう。 嫌われたらどうしよう。 それが怖くて、遠慮ばかりしてしまう。頑張って背伸びしようとする。大人びようとする。子供だと思われたくないから。子供なのに。 今の私はまるで、このお寿司と同じだ。 口の中に入れた瞬間は美味しいと感じるのに、時間が経つと味覚が変わる。何かが違う、そんな気にさせられる。 ついこの間まで、私は確かに幸せを感じていたはずだった。千春くんと一緒にいられる、それだけで、胸いっぱいの幸福感に浸ってた。 それが今はどうだろう。 幸せなはずなのに不安ばかりが押し寄せてきて、その重圧に押し潰されそうになってる。 高校を卒業したら、全部うまくいくと思っていた。 でも、理想と現実はこんなにも違っていた。 「……ごちそうさま」 箸に手を伸ばす気力もなく、両手を膝の上に置く。レールに乗って流れていく寿司達を前に、食欲がもう湧かなかった。確かに空腹を感じてはいるのに、胃が何も受け付けない。 「もういいの?」 「うん」 「ほとんど食べてないじゃない」 「……ごめんなさい」 何だか叱られている気分になって、しゅんと肩を落とす。また意味もなく泣きたくなって、唇をかみ締めて必死に堪えた。 トップページ |