家族のお話。-先生side- 結局、その日は香坂家に泊まりこみになってしまった。 翌朝には莉緒もすっかり元気になって、いつもの調子を取り戻している。一時的な発熱だったようで、目が覚めた頃には熱も引いたようだ。 毛布にくるまって寒さに耐えていたのも、シャワー後に湯冷めしてしまった所為かもしれない。 洗面所の一件で反省もしたし、今後は触れるのを少し控えた方がいいかと考えていた矢先、本人から意外な申し出があった。 「え……えっちは、その……千春くんのおうちでしたい、です」 「………」 朝っぱらから、なんて爆弾発言をするんだこの子は。 んな事言われたら、今すぐマンションへお持ち帰りしたい勢いだが、生憎これから俺も莉緒も仕事がある。こういう時、もし一緒に住んでいたら今頃あんなこととかそんなこととか色々できたのに、なんて、飽きもせず己の欲望を心の中でぶちまける。 しかし表面上はそんな素振りを見せず、彼女の前で紳士を気取る。 「無理に、合わせようとしなくてもいいんだよ?」 「む、むりしてないよ。わたし千春くんとえっちするの好きだもん」 うん、だから朝から煽るようなこと言うのやめよう。 もう今すぐにでも押し倒したい勢いだが、生憎これから仕事が以下略。 「あ、あのね」 「うん」 「昨日、千春くんが『楽しんでくれたらいい』って言ってくれて。それ聞いたら、すごく、気持ちがラクになったの」 切々と、胸の奥に秘めてた思いを口にする。 「付き合い始めたばかりなのに、すぐこういう事していいのかなって迷ってたし、千春くんに触れられただけで、え……えっちな事考えちゃう自分が、その、す、すごく恥ずかしくて」 「………」 ……えっちなこと考えてた……だと? ちょっと興奮した。 そのへんの話を詳しく聞きたい。 「……私だって、本当は」 「うん」 「ずっと、千春くんに触れてほしかったです」 「………」 「触れられて嬉しいって気持ち、もう隠したくないです」 「……うん」 「恥ずかしくて逃げるのも、やめます」 「……莉緒」 「だ、だから……、こ、今度、お部屋にお泊まりしてもいいですか……?」 顔を真っ赤に染めながら、例の涙うるうる光線で俺を見上げてくる。自分がどんな表情をして俺を誘っているのかなんて全く意識してないんだろう。もう仕事投げ出したい。 「……ありがとう。たくさん考えてくれてたんだね」 「う、うん」 「今度来る時は、着替えも持っておいで」 「……!」 俺の言葉に、ぱあっと表情を輝かせる。目映いばかりの笑顔でこくこくと頷いていた。 昨晩の出来事が頭をよぎる。あんなに酷いことをしてしまったのに、一言も俺を責めないどころか受け入れようとしてくれているその健気な姿が愛しくて、そっと胸に抱き寄せた。 腕の中に閉じ込めて誓う。立場や自信の無さを言い訳にして逃げるのは、もうやめる。 もう絶対、この子を手放そうとか考えない。 ずっと大事にする。 そう決めた。 ・・・ 莉緒と一緒に1階に降りると、煌びやかな雰囲気を放つ女性が居間に立っていた。莉緒の母親だ。 「───ああん! 千春センセ!」 振り向きざま、莉子さんは大げさに両手を広げて、さあ胸に飛び込んでいらっしゃい的な態度を俺に見せてくる。笑顔で。もちろん飛び込むつもりは全く無い。 知ってはいたけれど、相変わらず元気いっぱいな人だ。 昨日、というか今日。 莉子さんは真夜中に帰ってきた。 深夜だろうと早朝だろうとテンションの高さは変わらない莉子さんだけど、仕事の取材に追われて毎日忙しく走り回っているようだ。 その表情には、疲労が見え隠れしている。目の下にうっすらクマができているし、睡眠もよく取れていないのかもしれない。 それでも、疲れている素振りを家族に見せようとしないところは、さすがは母親というべきか。 「朝から元気ですね、莉子さん」 「もーーーー元気も元気。元気すぎて、うっかり身ごもっちゃったわ。アハ」 「え?」 彼女の一言に、ぴたりと動きが止まったのは俺ではなく───莉緒と、その兄弟たち。 誰もが今、初めて耳にした衝撃の事実だったんだろう。揃いも揃って、全員がぽかんとした表情で莉子さんを見つめ返していた。 少し離れた所で佇んでいた樹さんは、「いや、いい年してお恥ずかしい」と照れくさそうに頭を掻いている。 どうやら香坂家は、家族が一人増えるようだ。 「えええっ!?」 直後、子供達の叫び声が家中に響き渡った。 チビっ子2人は、自分達より下の兄弟ができることが嬉しいようで、莉子さんの周辺をぴょんぴょん飛び跳ねて喜びようを露にしている。 が、残り3人の子供達は、全く違う反応を示した。 「まじっすか母上ぇー……」 と中学生の弟くんは肩を落とし、 「兄弟多いのって地味にハズいんだけど……」 と高1の弟くんはうんざりしたような表情を浮かべ、 「どーして計画性も無いのに子供作っちゃうの!? 教育費だって馬鹿にできないのにどうするの!?」 と、一番上の立場である莉緒は、ぷりぷりしながら莉子さん達を責め立てている。 こういう時の莉緒はしっかり者だけど、なんせ発言がシビアだ。とはいえ、3人とも本気で嫌がっているわけではない。新しい家族は増えるのは喜ばしい事だ。 「もう……恥ずかしいなあ」 ひとしきり両親を叱った莉緒は、玄関先で俺を見送ってくれている。困ったように肩を落としている姿に苦笑しながら、靴べらを返した。 まさか外泊する事になるとは思っていなかったから、一度マンションに戻らなければならない。着替えなきゃいけないし、必要な書類や教材も部屋に置きっぱなしだ。 それに、あほ猫に飯もあげないと。 腹空かせて、今頃みゃあみゃあ鳴いている頃だろう。 「そんな事言って、本当は嬉しいんじゃないの」 「う……もちろん、嬉しいですけど……」 眉を下げながら口ごもっている。兄弟が多い事で苦労をしてきた莉緒の立場を考えれば、素直に喜べないという気持ちも理解はできる。 それでも、嬉しい気持ちもやっぱりある。 内心、複雑かもな。 「俺は嬉しいな。莉緒の家族好きだから」 「ほんと? うちの家族、好き?」 「うん。賑やかだし、一緒にいても楽しいし、みんないい人ばかりだから。家族ってこういうもんだよな、って思ってる」 「……千春くん」 「俺の家族も、こうなりたかった」 「………」 莉緒の表情が曇る。しんみりとした空気になってしまって、うっかり口を滑らせてしまった事を悔いた。 今更、自分の過去を振り返っても仕方がないことなのに。 「ごめん、なんでもない。忘れて」 中途半端に話を終わらせようとした時、莉緒の両手が突然、俺の両手を取った。 ぎゅうっと力強く握り締めてくる。 「千春くんはもう、私達の家族だよ」 「………」 「みんな、勝手にそう思ってますから」 「………勝手に」 「うん!」 俺の家庭事情は少し複雑で、正直、人様に堂々と言えるようなものじゃない。そして莉緒は、そんな俺の過去を少しだけ知っている。 だから俺が暗くならないように、わざと明るく振舞ってくれているのだろう。ふん、と鼻息を荒くして力説された。すごい顔になってる。 拙くても、その気遣いが素直に嬉しくて、温かい気持ちにさせられる。 大丈夫だと微笑みかければ、莉緒も安堵の笑みを浮かべた。 「―――あっ! 千春センセ、待って」 「ん?」 莉緒の背後から、莉子さんの慌てたような声が聞こえた。 「え……って、わあ! お母さん走っちゃだめだよ! って、なにその荷物!?」 莉緒が驚いたのも無理はない。 玄関まで走ってきた莉子さんの両手には、ボストンバッグが3つ、握られていた。 その中身が何なのかはわからないが、中身がぎゅうぎゅうに詰められて、パンパンに膨れ上がっている。見た目は結構重そうだ。 そして俺の前に、謎の荷物を置いた。 「はいこれ。千春センセのおうちに運んでね」 「あの、なんですかこれ」 「莉緒の荷物」 「え?」 「は?」 俺と莉緒の声が重なった。 なんで莉緒の荷物を俺のマンション…… てか、荷物って、そもそも何だ。 莉緒に視線を移しても、彼女は???マークを頭上に点滅させている。 莉緒自身も何なのかわかっていないという事は、この荷物は莉子さんが独断で用意した、という事になるけれど。 事態を全く把握できていない俺達に、俺達の最初の理解者でもある彼女は――― 次の瞬間、とんでもない事を言い出した。 「GW中、莉緒ちゃんは我が家に入れません」 「………は、?」 素っ頓狂な声が出た。 「来ても追い出します」 「………え?」 「お、おかあさん……?」 莉緒もすっかり困惑している。 「なんということでしょう。莉緒ちゃんの住むお家がありません」 「………」 「そういう訳なので、千春センセ。10日間ほど、うちの娘をよろしくおねがいしまーす」 「………」 ………どういう訳だ。 「ちょっと待ってください。娘を家から追い出すって、なんですかそれ」 「いいじゃないですかー。いずれ結婚したら一緒に住むことになるんだし、予行練習だと思って。ね?」 「いや、無理やりすぎますから」 「何なら、もういっそ結婚してくれてもいいんですよ。私は早く初孫がほしいんです。莉緒ちゃん似の女の子でお願いします」 「………」 軽く眩暈がする。出会った頃からいつもそうだ。莉子さんはいつも周囲の人間を巻き込んで、突拍子も無い事を平気でしでかす奇想天外の人物だった。 その手腕っぷりには毎度頭が下がる思いだったが、まさか娘を家から追い出して彼氏の家に半同棲させようなんて無茶苦茶にも程がある。案の定、莉緒はフリーズしてしまった。解凍にしばらく時間がかかりそうだ。 どうして莉子さんがこんな事を仕掛けたのか、それは本人でなければわからない。 けどこの人は、ナオ以上に頭のキレる人だ。 いまだに一定の距離を保っていなければならない俺達の事情も、その事に対して少なからずストレスを抱えている事も、莉緒が未成年だという現実に様々な葛藤を抱いている事も、この人なら既に気付いているだろう。 ついでに言えば、GWという長い休暇がありながら、2人で過ごす時間が少ない事に対しての不満も。 その深刻な問題(でもないが、俺にとっては深刻)を回避する為のこの発言なんだとしたら、なんとも末恐ろしい母親だ。 でも、俺は知ってる。 莉子さんは本当に家族を大事にしていて、特に一番苦労をさせてきた莉緒には、心の底から感謝もしている事を。 だから莉子さんは、常に莉緒の為に動いている。俺達の交際をすぐに許可してくれたのも、莉緒の幸せを一番に願っているからだ。家族の為に、ずっと我慢ばかりしていた娘が唯一望んだ事は、好きなようにさせてやりたいと強く思っているからだ。 ……でも、やっぱり半同棲は色々問題があるんじゃないかと。 そう思ったところで、もう無理だろう。莉子さんは、やると言った事は絶対にやる人だ。 GW期間中、帰る場所のない莉緒を引き取るのは、俺以外に居ないようだ。 ……それに正直言えば、嬉しい。 ちらりと莉緒に目を向ければ、彼女はいまだに放心状態のままだった。口から白い魂が抜けつつある。 莉緒をどう誘おうか迷う俺に、つつ……、と横から近づいてきた莉子さんは、娘に聞こえないようにと、そっと耳打ちしてきた。 「千春センセ、あのね」 「?」 「バッグの中に、ゴム1箱入れておいたので」 「…………」 何してんのこの人。 「20袋入ってます」 「…………」 「ご利用は計画的に」 「…………」 ……ほんと、頭が下がります。 (1章・了) トップページ |