デートのお話。1


 夕飯も済ませて後片付けも終わったら、もう他にする事は何も無い。食器棚の扉を閉めて後ろを振り向けば、先生は先にリビングに戻っていて、ソファーに座ったまま私の様子を眺めていた。
 目が合えば、ちょい、と軽く手招きされる。
 拒む理由も無いので、私は大人しく彼の元まで駆け寄った。
 時間はまだ19時前。私はまだ実家暮らしで、お母さんには21時頃に帰宅すると伝えている。あと2時間も先生と一緒にいられると、そう思っただけで頬が緩んでしまう。またニヤついてる、って笑われちゃうかな?
 笑いを引っ込めて、先生の隣に座る。
 一息ついてから、先生のお部屋をまじまじと眺めた。

 初めてお邪魔した先生のお部屋は、家具も小物もシンプルにまとめられた簡素的な空間が広がっていた。物自体が少なく、壁にはカレンダーすら貼られていない。数少ない雑誌や本は一寸の乱れも無く綺麗に並べられている。その様はまるで、物静かな先生の性格を表しているように感じた。
 弟達の部屋は物で溢れてごちゃごちゃしてるのに、先生のお部屋は綺麗すぎて、逆に殺風景に見えてしまう。そんな室内に、白い子猫がとたとたと元気に走り回っている光景が愛らしくて、つい笑みが浮かんでしまう。
 いつも、こんな感じなのかな。可愛い。

「今日はご馳走様でした。美味しかったです」
「どういたしまして。香坂の口に合って良かった」

 ゆったりと頭を撫でられる。向けられた眼差しはとても優しくて、大切に想われている事を実感する。
 こうして先生のプライベートな空間にお邪魔できただけでも嬉しいのに、その上、夕飯までご馳走になってしまった。しかも先生の手料理だ。
 幸せすぎて、さっきから心がふわふわと舞っている気がする。見た目も中身も格好いいのに、料理まで完璧なんてズルいと思います。

「……ホワイトデーのお返しが、こんなので良かったの?」

 控えめに問いかけられた。

 こんなの、なんて。
 至れり尽くせりなこの状況が、こんなの、な訳が無い。
 私はふるふると首を振った。





 1月末からは、家庭学習期間。
 3年生の殆どは学校に登校していない。
 だけどバレンタインの日だけは、お目当ての相手がいるのか、学校に足を運ぶ女子が目立っていた。
 それは私も例外ではなく。

 チョコが食べられない先生に、焼き菓子を作った。
 手渡すと、先生は快く受け取ってくれて。
 お返しは何がいい? と聞かれた。

 私は咄嗟に 「何も要らないから、先生のお家に行ってみたいです」なんて答えてしまって、先生は目を丸くしていたね。
 それもそのはず。だって、その頃の私達はまだ「先生」と「生徒」の立場にあって、私は先生の彼女でも何でもないんだから。
 的外れで子供じみた要求だってわかってる。
 でも先生は嫌な顔ひとつせず、こうして卒業後に部屋に招き入れてくれた。
 その上、手料理まで振舞ってくれた。
 これだけでも、十分すぎるお返しだと思ってる。

「こんなに素敵なホワイトデーになるとは思ってなかったです」
「欲しい物とか、我侭とか言ってもいいんだよ?」
「本当にいいんです。一緒にいるだけで幸せです」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね」

 やんわりと手首を掴まれて引き寄せられる。ぽすん、と先生の広い胸に頭がぶつかって、片腕で抱き締められた。
 衣服から伝わる先生の体温があったかくて、甘えるように顔を埋める。石鹸の爽やかな香りが、ふわりと身を包んだ。

「……卒業したらすぐ会いに行きたかったけど、遅くなってごめんね」

 頭上から、小さな謝罪の言葉が落ちる。





 世間のバレンタインは、2月14日。
 当然私はまだ学生で、でも、その1ヵ月後のホワイトデーを迎える頃には、既に高校を卒業している。当日はプライベートで会おうね、そう言ってくれたのは先生だった。
 結局、お互いに忙しくてこんなに遅くなってしまったけれど。



 私は4月から、都内の市役所で常勤職員として働き始めている。
 財務部財政課。それが、私が所属している組織の名前。社会情勢の変化に対応する予算の編成や市債の管理、市民税の使い道や財政状況などの情報を発信するのが主な仕事。
 と言っても、働き始めてまだ数日。健全な財政運営を維持する為の業務はやる事が沢山あって、先輩方から教えてもらった内容をひとつひとつ覚えるだけで精一杯。てんてこ舞いな日々を送ってる。
 そして先生は、1年生の担任と生徒会の顧問を受け持っている。

 公立高の教諭は、大体2年目で担任を任せられることが多い。先生は3年目の今年から。副担の経験はあるみたいだけど、担任を受け持つのは、今回が初めて。その上、生徒会の顧問まで掛け持ちすることになったらしい。
 どちらも生徒指導が大変だって言ってたけれど、なんだかんだ言って、上手くやってるみたい。

 私が在学中の時、先生はその爽やかなルックスと親しみやすい気さくな性格のお陰で、沢山の生徒に好かれていた。
 きっと、今のクラスでも人気なんだろうな。
 先生が担任なんて、羨ましい限りです。

「5月の連休もね、本当はどこか連れて行きたかったんだけど」
「忙しいんですね」
「連休明けたら、中間考査もあるからね。仕事溜まってるよ」
「無理しないでくださいね」
「うん。香坂は? 連休いつから?」
「3日からです。暦通りですよ」
「そっか。でも大型連休だからのんびりできるね」

 先生の言葉にうん、と頷く。
 でも内心、ちょっとだけ残念だったり。

 今年のGWは週末を挟んでいる。9日も連休が続いてる。どこか一緒にお出かけできるかなって期待してたんだけど、やっぱり難しいね。
 でも、今までは一緒に過ごせる時間なんて無くて、恋人らしいことも何も出来なかった。もちろん在学中だって、先生との思い出は沢山あるけれど、こうしてプライベートな時間まで先生と一緒にいられるのは、きっと凄い事なんだ。

 卒業後もこうして、先生と会える。
 その権利を得られた。
 それだけで贅沢すぎる幸せだと思う。
 これ以上を望むなんて、

「……『バチがあたりそう』って思ってる?」
「ふわ!?」
「ん?」

 こ、心を読まれた。

「香坂の考えてることは大体わかるよ」
「……そんなにわたし分かりやすいかなあ」
「どこか行こうか?」
「え」

 突然の提案に、思わず声が跳ねる。

「1日か2日くらい息抜きに出かけても、バチはあたらないと思うよ」
「……いいんですか?」
「……行きたくない?」
「……いきたい」

 高望みしちゃいけないと思っても、内心はやっぱり嬉しかった。だって、卒業後に先生と、デートという名目で、恋人同士という形でお出かけするのは初めての事だから。

 そっか。
 デート、なんだ。
 恋人らしいこと、先生とできるんだ。
 してもいいんだ。

 今更そんな事に気付いて、沈みかけていた気分が一気に浮上する。我ながらゲンキンだなあって思うけど、私にとっては初めての彼氏に、初めてのデートだもん。何もかも初めてづくしで、しかもその相手が大好きな先生だなんて、これ以上幸せなことなんてないと思う。
 そんな、すっかり有頂天になってしまっている私に、先生から衝撃の一言が放たれた。

「折角だから、泊まりで旅行に行こうか」





 ………お泊りデートになった。

 一気にハードル上がった。

mae表紙tugi

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