わたしと、先生と、白いねこ。


「はい、今日のご飯」

 間延びした彼の声で、思考を戻された。

 ガラス製のローテーブル。
 その上に並べられた、2つの器。
 じゅわじゅわと香ばしい音を弾かせて、クリームの匂いが熱気に混じって、鼻腔を掠める。
 それは、私の大好物でもあるマカロニグラタン。キツネ色に焼きあがったチーズが糸を引いて、その溶け具合は見ているだけで食欲を膨らませる。
 その隣に置かれたシンプルな小鉢ガラスには、レタスにトマト、ブロッコリーなど、野菜の代表格とも言えるものたちが食卓を飾っていた。

 視線を落とせば、お揃いのスプーンと箸が2つずつ置いてある。
 もちろん彼と、私のもの。
 思わず顔が綻んだ。

 そんな私の表情の変化を、彼──
 先生は、目敏くチェックしていたようで。

「……なにニヤけてんの」
「に、にやけてないです」
「顔笑ってるよ」
「……だって」
「……まあ、ニヤけてんのは俺もかな」

 舞い上がってるのはお互い様。
 そんな風に言われた様で嬉しくなる。
 先生は、私を喜ばせるのが上手いの。

 素直に頷けば、小さく微笑まれた。
 彼の目尻が下がって、優しい瞳が細められる。
 ふわっとした髪質はレイヤーカットで軽やかな印象に、無造作感も出しつつ、爽やかで自然体なヘアスタイル。前髪が瞳にさらっと掛かり、清潔感と色気を上手に両立させている。
 そして綺麗な切れ長の瞳と、端正な顔立ち、スラリと伸びた長い手足。背筋が良くて姿勢がいいから、何をしても格好良くて様になる。モデルさんみたい。
 性格だって優しくて温厚で、人への気遣いを忘れない。穏やかな笑顔と温かい眼差しは、出会った頃から何ひとつ変わらない。

 こんなに素敵な人が、私の……、
 か、カレシ……とか。
 いまだに、信じられません。



 私と向かい合う形でテーブルの前に座った先生は、熱々のグラタンをスプーンで掬って私に差し出してきた。
 促されるままに口に含めば、まろやかな甘みが口内に広がる。あまりの美味しさに、自然と頬も緩んでしまった。

「んまいです」
「愛情こめて作ったからね」

 そんな歯の浮くような台詞を、先生は当然とばかりにさらっと口にする。
 何も言えなくなる私。
 更に先生は二口目を掬って、何の躊躇いも無く、それを自分の口に運んだ。
 今度は呼吸が止まる。心臓に悪い。

 ……先生はこういうこと、自然とやっちゃうんだ。
 それとも、わざとなのかな。
 赤い顔を見られたくなくて俯いたところで、きっと先生にはバレバレだね。

 気を取り直してスプーンを手に取る。
 その時、ぽて……、と膝に何かが触れた。

「にゃあ」

 見下ろした先にいた主が、小さな鳴き声をあげる。前足を私の膝にちょこんと乗せて、じっと見上げてくる瞳。赤いリボンと鈴を首に飾ったこの白い猫ちゃんは、1年ほど前から飼っている、先生の飼い猫ちゃんだ。
 体はちっちゃくても元気いっぱいで、好奇心旺盛でとにかく何でも食べたがる。現に今も、鼻先をすんと鳴らして、食卓に漂う香りを堪能している。キッチンに猫ちゃん専用のご飯は置いてあるはずだけど、グラタンの匂いを嗅ぎつけて来ちゃったのかな。

「先生。この子、先生の作ったグラタン食べたいって」
「だめです」
「やっぱり、猫ちゃんにグラタンはダメですか」
「そうじゃなくて。俺の作った料理を、自分の彼女以外に与えるつもりはありません」
「……へ」

 ごく自然に落とされた「彼女」という言葉に、ぶわっと嬉しさが込み上げてくる。むず痒い気持ちに駆られた。

 少し前までは、生徒と先生だった私達。高校も無事卒業して、今日は初めて社会人の男女という立場で会っている。だからこそ先生の言動や態度に、過剰に意識をしてしまうのかもしれない。
 「彼女」とか、「俺」とか。
 先生、今まで私の前で「俺」なんて言わなかったのに。今日はいっぱい言う。
 そんな、特別感を匂わすようなことばかり口にするから、単純な私はいつも嬉しくなってしまうのに。彼女以外、なんて、相手は猫なのにね。

 笑みを形作ってしまいそうな口元を、きゅっと結ぶ。ごめんね、そう告げながら頭を撫でれば、ニャア、と一声鳴いてから離れた。
 そのままキッチンへと走り去っていく。
 りんりん、首元に付けられた鈴が、愛らしい音色を奏でた。



 私と先生にとって、あの猫ちゃんは特別な存在だった。
 私と先生の想いを繋いでくれた。
 世界で一番大切な、私達だけの白い猫。
 あの子だけじゃない、私と先生を繋いでくれたものは、もっともっと沢山ある。






 コインに裏表があるように、光には影があって、朝があって夜がある。
 全く正反対の性質が隣り合わせに存在していて、でも、決して交わることは無い。
 色で例えるならば白と黒。
 私と先生も似たようなものだった。


『生徒』と『教師』


 限りなく近い距離にいて、手の届かない存在だった人。

 立場の違い、年齢の差、世間の目、法律の壁、責任の重さ。どれだけ上げてもキリが無い程に浮かんでくる様々な障害が、生徒と教師だった私達の前を、重く隔てていた。
 それでも先生と離れられずに済んだのは、周りの人たちの助けがあったからだ。私達に理解を示してくれた友達や家族の応援があって、私達がへこたれそうになった時は、叱咤して支えてくれた。みんなが必死に繋いでくれたから、今、私と先生は一緒にいられるんだ。




 夕飯後は、2人で後片付けをした。
 私が食器を洗って、先生は拭く係。夫婦的な共同作業みたいで、ちょっと照れくさい。
 先生も同じことを感じていたようで、

「いいね、こういうの」

 なんて、少し照れながら言ってた。
 私もつい頷き返す。

 いつか、こんな光景に当たり前の日常になっていくのかな。
 そうなっていけたらいいな。
 それはきっと、幸せな事だね。







 高校卒業を迎えて1ヶ月と少しが過ぎた、桜舞い散る4月の半ば。

 社会人なりたての春。19歳。
 生まれて初めての彼氏が出来ました。



 その人はずっとずっと憧れていた人で、尊敬している人で、高校の先生だった人です。

mae|表紙tugi

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